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1、2008年11月ー世界学問研究所規約にもとづく活動として、この「序論」部分のエッセンスが、出版事情厳しい折ながら良心的に刊行されているオピニオン誌『日本主義』(白陽社、2008年冬号、紀伊国屋・丸善など全国書店で販売)に「新学問論」として掲載されました。
あわせて御参照賜れば、幸いです。
2、2008年12月5日ー世界学問研究所規約にもとづく活動として、明治初年の汚職事件についてテレビの取材を受けました。
思えば、筆者が事件録の分野に最初に乗り出した『華族事件録』(新人物往来社、新潮社)は、主要新聞・雑誌などに取り上げられました。大きな反響があって、今でも恐縮しています。
富社会の問題性を照射する上で、『事件録』は最適であります。
3、2008年12月6日ー世界学問研究所規約に基づいて、「ブータンGNHの一考察ー仏教と権力との関連について」を最終推敲中であり、そのエッセンスを世界的な仏教経済の学術機関で報告する傍ら、近々このサイトで公開予定です。
第四代ブータン国王の提唱したGNH(Gross National Happiness)は国際的に注目され、GDPに疑問を抱いている人々などに大いに受け入れられています。
しかし、これが提唱された歴史的背景・仏教的理念などを理解する人は非常に少なく、ただGDPに代わる概念として引用・援用され、賞賛されているかです。某スタンフォード大学教授は、GNHを自由主義に対する規制主義ととらえる体たらくです。「自由と規制」というありきたりの視点でみますと、いかにも自由が規制よりも優れた思想にみえてきますが、経済的「自由」とは、「儲けるための欲望の自由」でしかないのであり、仏教哲学の欲望規制という高邁な理念にはほど遠いものです。やはりGNH概念は、仏教と権力の関係を抜きにしては語れないものですが、この点を触れた研究が少ないのが現状です。
そこで、ここで、ブータン仏教史や現在ブータンの直面する諸問題などをも踏まえて、GNHの意義と限界を明らかにしています。
4、2009年1月20日ー世界学問研究所規約に基づいて、世界的学術機関「仏教経済研究所」で「ブータンGNHの一考察ー仏教と権力との関連について」を報告しました。
世界的に著名な仏教経済学者、仏教学者らから、貴重なご意見を頂きました。また、新聞論説委員氏から、実に鋭いご質問を受けました。的確な質問は、論旨・核心を明確化するので、とても有益です。
いずれ公開しますが、当分発表の手続きの時間がありません。関心のあるかたは、2月12日朝日新聞夕刊2面「窓 論説委員室から」に一部核心が紹介されていますので、ご参考にして頂ければ幸いです。
5、2009年2月5日ー世界学問研究所規約にもとづく活動として、「山城屋和助事件」、「尾去沢鉱山事件」に関して、NHK教育テレビ『歴史に好奇心』の教材執筆、番組出演に協力しました。
ノンフィクション作家朝倉喬司氏の総合案内で近代資本主義の「貨幣魔術」(権力の貨幣増発・乱発、経済的「悪徳」者の詐欺・マネーゲームなど)の一部を取り上げていて、近代の弊害を反省する上では非常に重要な番組です。
金融論では、一般に貨幣の利便性とか役割しか述べないものですが、貨幣は権力者が「富国」手段として創出したものです。貨幣は権力者の富に結びつき、やがて資本主義のもとで一般庶民にも手の届く錬金術になってゆきます。金融は経済的「悪徳」者が一般庶民も巻き込んで、全世界を席巻し、その果てには現在の金融危機をもたらしました。デリバティブ理論などにノーベル経済学賞を与えた「経済学の欺瞞性」には真剣に反省し、さらには今後もこの資本主義体制でいいのかどうか根源的な問いを発しなければなりません。節欲を説く仏教系の大学までもが金融投資で大きな損失を被ったり、学問とは無縁な元財務省官僚側が「政府紙幣」発行論を提唱するような時代です。一般庶民が金融被害を被る可能性は、限りなく大きい見てよいでしょう。そういう意味では、この番組は時機にかなった好番組です。
なお、政府紙幣とは、経済の内在的必要に基づいて貨幣を発行するのではなく、権力が戦争・恐慌などの非常時を口実に乱発する怖れのあるものです。なぜ中央銀行ができたのか、政府紙幣の乱発が如何なる物価騰貴を招いたのかの歴史を知っていれば、政府紙幣の弊害は一目瞭然です。日本では、戊辰戦争の時に太政官金札が乱発されインフレを招いて以後、小額政府紙幣を除いて一切政府紙幣が発行されなかったのは、政府紙幣を発行すれば、その弊害(内在的貨幣流通の攪乱による日本銀行券の価値低下、物価騰貴。権力の紙幣乱発の発端になる)は大きいからです。仮に一時的に「景気回復」しても、「経済外」的に強権発行したゆえに、一般庶民に与える弊害は極めて深刻だからです。これまた権力の「貨幣魔術」の一つです。
「山城屋和助事件」については、NHK教育テレビ『歴史に好奇心』の教材では紙幅制約でエッセンスのみしか書けませんでしたが、良心的オピニオン誌『日本主義』春号(丸善、紀伊国屋など全国で発売中)には詳細を述べています。
6、2009年3月13日ー世界学問研究所規約にもとづく活動として、志ある編集長と会談しました。「本物の学問とはなんですか」というので、「富(経済学、経営学、国際経済学、貿易、など)と権力(財政学、法律学、政治学、外交など)がなくなっても、生き残っている中に本物の学問があるでしょう」と答えました。
そして、さきほど古本屋(私にとって神保町古本屋は近接図書館の一部です。ただし、利用頻度はアマゾンが高いです。神保町古書店ネット検索では見つからない本も、アマゾンではほぼ確実に見つかります)で購入したばかりの元東大教授岩崎武雄『哲学のすすめ』(講談社現代叢書、昭和41年)を取り出して、「学問性とはなにか」について「客観性を要求するもの」とあるのを引用しつつ、「これでは、学問論を構築できません」とだけ答えておきました。
学問に限らず、編集もまた志ある人々によって担われるものです。
「自然社会論」のエッセンスの雑誌掲載などについて話し合いました。掲載されましたらば、報告します。
7、2009年3月14日現在、世界学問研究所規約に基づいて、世界的学術機関たる仏教経済研究所の機関誌『仏教経済研究』2008年に掲載した「仏教経済学 労働編」の続編として、並行して『仏教経済学 流通編、分配編』の推敲を手がけています。
これまで仏教経済学=自然経済学とみてきましたが、流通・分配過程では、仏教経済学と自然経済学とに違いがでてくることが明らかになりました。
仏教は、自然社会の精神を少なからず取りれていますので、労働=生産過程では仏教経済学と自然経済学との間に大きな相違はありませんでしたが、結局、仏教は「富社会の宗教」であるために、富の存在を認める仏教経済学と、その存在を批判、否定する自然経済学との間に相違がでてくるようです。これまた、発表、掲載の際には、ここで公表します。
なお、仏教が「富社会の宗教」であるということは、単に仏教が利潤を認めるということを意味するのみならず、仏教が「親権力的」であることを意味します。これが重要です。これは2009年正月仏教経済研究所で報告したところでもありますが、余り仏教側ではこれを正面切って問題にはしません。以前、ある高僧はこれを認め、特に仏教の戦争協力の反省を口にされました。ですが、戦争協力もさることながら、仏教が、時の世俗権力とともに、荘園領主、封建領主として人々を搾取してきた「親権力的」だったことを真剣に反省すべきでしょう。
この「仏教の親権力性」はいくつかの謎に接近するヒントにもなります。豪族戦乱状況と仏教統治ということについては、大乗仏教国のチベット(法王支配)とブータン(シャプドゥーンのもとに聖界を監督するジェ−・ケンポ[宗教の長]、俗界を監督するドゥック・デシ[政治の長。摂政、任期3年。1651年−1907年、まで55人就任。君主制確立した1907年廃止])が大いに参考になります。つまり、仏教による国家統治の形態を考える場合、法王が直接統治するか(チベット的形態)、法王のもとに聖俗代表者を通して統治するか(1907年までのブータン)、世俗国王(或いは頂点)が法王を「序列的に従属」させるか、自ら法王となって転輪聖王(アショカ王[前304−232年]から現ブータン国王まで、この実例あり)という存在になるかであります。
この観点から「聖徳太子」、「法隆寺」の謎に迫ると、多くの貴重な示唆が与えられます。ここでは、簡単に述べておけば、遠山美津夫『なぜ聖徳太子は天皇になれなかったか』(角川ソフ
ィア文庫、2000年)、豊田有恒『聖徳太子の悲劇ーなぜ天皇になれなかったか』(祥伝社、1992年)と考える発想から離れて、「なぜ厩戸皇子は大王にならなかったのか」、仏教王国の権力形態(従来の久米邦武、津田左右吉などの貴重な研究は史料批判をするのみで、権力構造分析が欠落)とはいかなるものなのかと考えるべきだということを指摘するにとどめましょう。大王による豪族祭主権掌握を通しての神道的支配が行き詰まる中で、蘇我馬子、厩戸皇子が仏教による全国統治を実現しようとする場合、誰かを頂点の法王に据えて、法王が「臣下」の世俗大王らを通して全国豪族を支配するということが考えられたでしょう。
こうみると、厩戸皇子が菩薩、釈迦に擬せられたり、「上宮聖コ法王、または法主王」(厩戸皇子の伝記『上宮聖徳法王帝説』)と称されたり、「法興六年[法興年号の存在]十月 歳在丙辰 我法王大王[厩戸皇子] 与恵慈法師及葛城臣・・遥夷与村」(『伊予国風土記』中の「道後湯岡の碑文」)とあったり、日本最初の本格的寺院たる法興寺(飛鳥寺とも言われる。蘇我馬子が用明天皇に請願し、厩戸皇子に建立させる)を建立したり、斑鳩宮を造営し、そこに法隆寺(法とはダルマであり、転輪聖王の全国支配の手段)を建立したり、「国に二君なし」(十七条憲法の12項)と言った理由がよくわかってきます。かつ、後に法王支配ではなく、天皇支配が確定する過程で、仏教は律令制天皇のもとで利用する存在とされ(だから、法隆寺再建や、聖武天皇の東大寺建立、大仏造営などがなされた)、法王支配という「歪んだ」痕跡の修正(厩戸皇子は推古天皇の摂政的存在。法王を法皇としたこと[法王は大王の上にたちうるが<例えば、称徳天皇が道鏡を法王にして、同等かそれ以上にして、一時的中継ぎとして彼を天皇にしようとする事件がおこる>、法皇は律令制天皇制下の仏教界頂点。法王と法皇の相違は仏教王国権力構造論に立脚すれば一目瞭然です])がはかられたことも良く理解できます。
なお、津田史学方法論の問題点について、梅原猛氏は的確な指摘をされています。梅原氏は、「日本の古代史学において、多くの歴史家は津田左右吉の解釈の下にたっているが、私は津田左右吉の方法論は根本的に間違っていると思う」とし、「矛盾律を犯す者はすべて不合理とする」「形式論理」で、「悟性の立場」(『飛鳥とは何か』[『梅原猛著作集』第15巻、1982年、401頁])だと批判します。だからといって、梅原氏の「感性的」方法だけが正しいとするのも問題でしょう。「真理とは・・・肯定と否定の中間にある」(『神々の流竄』[『梅原猛著作集』第8巻、1981年、30頁])ものであれば、悟性的立場(史料批判)と感性的・宗教的立場の柔軟な駆使(形式的な総合とはいいません)が必要でしょう。
8、2009年3月30日、世界学問研究所規約に基づいて、今年中に世界的学術機関たる仏教経済研究所で「仏教経済学 流通篇」か、「厩戸皇子の仏教王国ー仏教と権力の関連」について報告します。
「厩戸皇子(聖徳太子)の仏教王国構想」、「仏教経済学 流通篇」などは、世界人類の歴史・現在・未来を考える世界初の総合的根源的学問論『自然社会と富社会』の関連研究です。
前者は前回発表した「ブータンGNH の一考察ー仏教と権力との関連」の続編であり、、後者は前々回発表した「仏教経済学 労働篇」の続編(これは『仏教経済研究』に公表されてから、出版会社社長がわざわざ刊行をすすめに来訪)です。いずれを先に発表し、どちらを次回にするかは、まだ未定です。
こうした総合的・根源的学問構築と諸個別研究深化の相乗作用の中に真の学問力(これは「宇宙自然のうちに世界人類の過去・現在・未来を科学的・哲学的に見通す力」だといっておきましょう)が醸成されます。
9、2009年5月3日、世界学問研究所規約第三条第六項第二にもとづく活動として、このHPのうち「自然社会」の一部のエッセンスをオピニオン雑誌『日本主義』夏号(紀伊国屋などで販売中)に掲載しました。
なお、物理学者竹内均氏が「学問論」についてすぐれた指摘をしています。氏は、「私は『第三世代の学問』という考えを提案しています。第一世代の学問は博物学的であり、第二世代の学問は分析的でまた専門化している。これらに対する第三世代の学問の特徴は総合であり、そこでは一種の世界観がうちだされる。ここまでいかなくては、学問は学問たるに値しない、と私は思っている」(「個性的と科学的と」『梅原猛著作集』月報1、第8巻神々の流竄)というのです。分かることと実行することとは別ですが、新しい総合的学問の必要性が分かるだけでもえらいと思いますね。
そうです、「虚学」「偽学」が横行する現在、真の学問か否かをみるメルクマールの一つは、そこに「学問の総合化・根源化」を内在的に追究するものがあるか否かでしょう。これがあれば、学問的精神・緊張が自ずと横溢し、非学問を峻拒する批判力が漲るでしょう。
これは仏教経済研究所で発表したことでもありますが、私がこれまで調べたりした結果では、物理学者の中に「学問総合化」を提唱する人が少なくないということが指摘できます。これは、真の学問とは具体的に何かを力強く示唆しています。私は40年の諸研究従事の後にここにようやく気がついたのですが、これは回り道、無駄だったとは少しも思いません。仮にはじめから物理学だけを専攻していれば、物理学の総合的・根源的重要性の認識度が希薄であり、いざ総合しようにも必要知識が希薄だったろうと思うからです。総合的・根源的学問構築には、膨大な学問蓄積が必要だからです。
実際、物理学者で総合的学問の必要性を提唱する人は少なくありませんが、それを実行に移した人はほとんどいないでしょう。皆無かもしれません。これは、物理学だけやっていても「総合的・根源的学問」を構築することができないということでしょう。
では、なぜ「総合的・根源的学問」が必要なのかということを再確認しておきますれば、例えば経済学のように、個別学問研究は人類・社会に害悪を与えるからです。理由は明快にして簡単なのです。
10、2009年5月28日、世界学問研究所規約第三条第六項第二にもとづいて、仏教経済に関しては世界的学術機関である仏教経済研究所の学会誌『仏教経済研究』2009年度号に「ブータンGNHの考察ー仏教と権力の関連について」を発表しましたので、興味のあるかたはご高覧いただければ幸いです。
仏教の持つ深遠な哲学は世界一であり、実に多くのことを教えられています。ですが、この仏教にもおかしなところがないわけではありません。道元はまずは信じよといいましたが、学者はそういうわけにはゆきません。疑うところから、学問営為の第一歩がはじまります。仏教のおかしなところの一つは仏教の「親権力性」です。それを「仏教と権力」として、ブータン仏教王国論、「聖徳太子飛鳥仏教王国論」などとしてとりあげているとろです。。
「総合的・根源的学問」構築作業という大きな営みの相乗作用として、こうしたことと関連して、近々、富問題関連研究の本が刊行されるでしょうから、これもまた刊行されました暁にはここで報告いたしましょう。
11、2009年7月10日、現在、2009年12月に、世界学問研究所規約第三条第六項第二にもとづいて、仏教経済の世界的研究機関である仏教経済研究所で「厩戸皇子らの仏教王国論」を「仏教と権力の関連」から発表しますので、この準備にも従事しています。
当時の大王の神祇統治において仏教統治がどういう意味を持ったのかなという視点に立脚するとき、思いのほか、「大化改新」の歴史的意義もまた初めて鮮やかにうかびあがってきます。これは私にも実に新鮮な驚きでした。日本にも「仏教王国」といったものがあったというこのみならず、「大化」ということの正しい深い意味が初めて鮮明になってきました。そのほかにも、古くから、神道は宗教なのか、宗教でないのかが、議論されてきましたが、神道とは「権力宗教そのもの」であることなどもはっきりしてきました。仏教が親権力的宗教であったとすれば、神道とは権力宗教そのものなのです。分析視角を新しいものにすると、実に多くのことがわかってきます。
以前はもとより、今でも大化改新はなかったのではないかなどの低水準の意見がでてくるのは、当時の大王統治の実態が十分に把握されてこなかったからです。これもまた、古代は古代史研究者、近代は近代史研究者という非学問的「縄張り専門研究」の弊害そのものです。これは「研究」ではあっても、「学問」ではありません。こうした「研究の弊害」は実は古くからさけばれていますが、実際にその打破を実践している「良心」的な人は皆無か僅少でしょう。そういう学問的「欺瞞」性でよくもまあ「素人」を教えられるものです。ホッブスが『リヴァイサン』で「事実のみに立脚する史学」は学問ではないとしましたが、これに関してはホッブス指摘はあながち的外れではないでしょう。
『日本書紀』は神話だから学術的価値は低いなどという方もいますが、当時の「統治」とは「神話」「神祇」的なものなのであり、これが当時の現実です。そういう視角から『日本書紀』をみるならば、それは、大王の神祇統治、仏教法王の仏教統治、「王政復古」たる大王神化(明治維新もまた王政復古であり、これとの比較もまた、この古代の「王政復古」の意義を照明してくれます)などを探る上では貴重な資料の宝庫です。私の提唱する「諸個別研究の相乗作用による総合的・根源的学問論構築」は、実に多くの成果をあげはじめています。例えば、ほんの一例をあげますれば、@従来の富社会の権力は、神道(古代)、神道・仏教(古代後期・中世)、儒教(近世)、神道(戦前)という「宗教」を不可分な支柱としていましたが、現代では権力が頼り寄るべき宗教をもてないという歴史始まって以来の「本源的権力危機」(メディア政策が危機対策としての民心掌握手段となり、社会福祉策・安定社会策・雇用確保策などが危機隠蔽策となるが、いずれも破綻するだろう。権力政策はいつも目先だけだからであり、危機は、まず財源破綻・人心離反としてあらわれる)状況に直面しているということ(中央権力の崩壊で、「真の地方時代」が始まる。暫定的に国家は外交・防衛などの機能を分担するが、最終的には国連国家=世界連邦結成で外国機能も不要になり、国連軍充実で防衛機能も消失しよう)、A仏教は親権力的宗教だが、やがて仁王経・金光明経を生み出して権力宗教そのものになりさがったということ、B大乗仏教とは、どうも小乗ではなかなか普及がはかどらないことにあせりを覚えた僧侶らが権力に擦り寄って仏教親権力化を目ざしたものともいえることなどなどがわかってきています。
こういう古いことが、現代とどういう関係があるのかと疑問に思う方がいるかもしれません。これに対しては、古代・中世・近世の凝集体が近現代であるといっておきましょう。明治維新期に拠点を定めていれば、この事は一目瞭然です。「私は現代の専門家だ」などというものがいらっしゃれば、こういう方は「現代とは古代・中世・近世の凝集物であるという学問的・根源的視点を放棄している」のであり、「専門研究などは誰でもできる」のであり、「カール・マルクス、マックス・ウェーバーの学問方法論的には大きな問題があるが、それはさておいても、さすが学者(研究者ではない)のカール・マルクス、マックス・ウェーバーは古代から現代まであつかっている」とだけ言っておきましょう。
12、2009年8月11日、8月15日終戦記念日が近づくと、必ずと言ってよいほど「なぜ太平洋戦争がおきたのか」、「太平洋戦争はさけられなかったのか」などの議論がでてきます。
少なくとも、戦前において、日本は戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と、諸戦争を遂行してきました(詳細は拙著『日本外債史論』参照)。なぜ太平洋戦争のみをとりあげるのでしょうか。敗北し、しかも史上最大の犠牲を伴ったからでしょうか。恐らく勝利していれば、日本の太平洋戦争開戦は「反省」されなかったかもしれません。
ですが、軍がある以上、参謀部(陸軍)、軍令部(海軍)などの機構が設置され戦闘作戦の立案・遂行を職務としています。そういう「戦争遂行が当然視されているような状況」では、戦争決定如何などは「紙一重」であり、敗色の濃厚な中での停戦などはかなり至難だったのです。こういう構造を取り上げずに、開戦責任、終戦責任などを問うのは本末転倒というべきでしょう。
仮に東条英機らの日米開戦路線を阻止し得るものがいたとしても、日本が満州国解体、対中利権縮小などで大幅な譲歩をしない限り米国は対日強硬路線を変更することはなかったのです。米国は、すでに中南米に利権を張り巡らし、今度は遅れて参入して中国市場でさらなる投資機会を目ざし、機会均等・門戸開放を提唱していたのです。アメリカはもっともうけるために、先行した日本に中国市場を開放しろと要求してきたわけです(詳細は拙著『日本外債史論』参照)。ですが、アメリカは、意図的に日本が受け入れがたい強硬な要求をしてきましたので、当時の日本ではとてもこれはできないとしたのでした。
高橋是清は、日露戦争でユダヤ系マーチャント・バンカーのヤコブ・シフとは親友となって日露外債の起債に成功し、以後もシフとは親交を深めます。娘をシフの家に長期滞在させたり、シフはわざわざ自宅に「TAKAHASHI
KOREKIYO ROOM」を作ったりします。二人はとても中がよかったのです。ですが、その親米家是清ですら、日露戦争で日本将兵が血を流して得たものとして満州利権の放棄を頑強に断りつづけています(詳細は、拙著『国際財政金融家 高橋是清』、『日本外債史論』参照)。
石橋湛山の如く朝鮮、台湾などの植民地放棄や満州利権放棄などを説く人もいましたが、それは当時の日本では例外中の例外でした。早晩、日米は利権をめぐって衝突せざるをえなかったのです。それまで親密だった日米関係が一挙に緊張し始めたのは、実はつとに日露戦争以後からのことであり、その当時から日米戦争の危機は指摘されていました。何も昭和に入ってから、日米衝突が危惧され始めたのではありません。大正期後半頃になると、軍部がアメリカを仮想敵国にしてゆきます。これに対して、日米戦争反対を唱えた海軍軍人もいました。海軍大佐水野広徳は、第1次大戦後の欧米諸国を視察し、近代機械工業を応用した近代戦の非人道的な悲惨さを痛感し、以後「非戦・平和論」者に転向します。水野は、大正10年には海軍を退役し、大正13年には米国を仮想敵国とした「新国防方針」を批判して『中央公論』6月号に「新国防方針の解剖」を発表し、日本の敗北を結論して、日米非戦論を展開しました。昭和7年10月には日米戦争を想定した『打開か破滅か興亡の此一戦』(東海書院)を発行しますが、発売禁止となりました。
重要なことは、誰が開戦を決めたか、開戦は回避できなかったのかなどの議論ではなく、「戦前の戦争遂行構造」の分析でしょう。現在でもアメリカなどは軍を保有して戦争計画を立案・遂行しているのであり、まずもって「富社会での戦争遂行構造」の分析をしっかりしなければならないということです。だから、「富社会での戦争遂行構造」は日米ともに同じですから(アメリカは民主主義、日本は半封建的・軍国主義という違いはありますが)、日米戦争の責任は日本だけでなく、アメリカにもあります。
大正初期には、日米開戦しても日本有利という意見もありましたが、昭和10年代には米国は日本に対して軍事的に完全に優位となります。これを背景に、米国は日本がとてものめないような要求ををつきつけ、戦争をあおりはじめます。醍醐海軍中将などは、こうしたアメリカの挑発で始まった戦争に対して、いずれ米国が処罰される日がくるだろうと見通しています(拙著『華族事件録』)。
今次の日米戦争には、責任は日本のみならず、アメリカにもあります。ですが、もうこういう議論はいいのではないでしょうか。本当に戦争を回避し平和を維持したいのであるならば、権力者・軍人個々人が「富社会の誕生以来、戦争が不可避となる構造」に繰り込まれているという厳然たる歴史をも踏まえて、この「いかなる人間でも戦争遂行に巻き込まれる構造」を「いかなるもとでも開戦に踏み切れないような構造的平和社会」にグローバルに転換することこそが重要なのです。今こそ「市場のグローバリゼーション」ではなく、「平和のグローバリゼーション」が求められているといえましょう。
もう目先の議論はいいのではないでしょうか。戦争は、長期的にみるならば「富と権力」の登場以来構造的に不可避となったものでありますが、少なくとも賢明な方々は「戦前」(明治維新〜太平洋戦争終戦)くらいの中期的視点はもちましょう。となれば、8月15日終戦記念日は戦争記念日(戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争などの諸戦争を考え反省する記念日)とするのが妥当となってくるでしょうか。
13、2009年9月23日、8月にはいずれも筆者が関与して、期せずして新人物往来社、講談社から華族本が刊行されました。前者は『明治大正昭和 華族の全てが分かる本』、後者は『華族総覧』です。
新人物往来社は名誌『歴史読本』を出版されていて、筆者は古くから華族論文を掲載していただいて、大いにお世話になってきました。そこで、ご恩返しのつもりで同社『華族の全てが分かる本』に筆者論文(華族の資産形成)の掲載をすることに致しました。これは共著という形態ですが、筆者は末席を汚し僅かな比重でしかありません。
一方、講談社『華族総覧』は、華族400家弱を府県別に各伝記・文書などに依拠して記述したものです。1冊で本数百冊・資料数千点以上を読むのと同じ価値があります。巻末の資産家華族一覧表の作成だけでも数年を要しています。時間と労力を要する作業ではありましたが、それだけ学術的にもずいぶん多くの新発見を致しました。一般の方でも気軽に楽しく読めて、大いに為になるように配慮いたしました。
この『華族総覧』は、縄文社会を自然社会論として普遍的観点から執筆している最中に平行して行ったものであり、ほかにも仏教経済研究所での発表も控えて準備していましたので、三つの研究が重なって、時間と労力を要する作業でありました。小説ならば、根拠なく想像力で執筆できますが、学問は根拠と方法論に基づかねばなりませんから、何かと大変です。
この『華族総覧』の校正も実に労力を必要としました。仏教経済学=自然経済学、「仏教と権力」の研究(400字詰め原稿用紙で500枚以上。いずれこのネットでも公開予定)などの研究をかかえているときに700頁弱の本の校正をするのですから、これも時間と労力を要する作業でした。ですが、それ以上に大変なのが編集者氏です。校正用の原稿が真夜中の時刻を記載した宅急便で送られてきました。夜中の2、3時まで編集業務に携われているのです。本当に心からご苦労様と思った次第です。
これは、『富社会』の研究の一部をなすものです。富社会については、実に種々多様な研究がなされ、「真学」と「虚学」「偽学」などとが混在して、何が「本物の学問か」が分からない状況にあり、「何が本物の学問か」を明らかにする者すらいないという状況です。この元凶の一つが「商業主義的経営」に従事する「大学」でしょう。もはや多くの「大学」は「学問の府」などではなく、断片的専門知識を切り売りする「専門学校」に近いかもしれません。こういう所に貴重な国税を投入するべきではありませんし、人々も指摘する通りこれは憲法違反でもあります。これは、もはや大学には、目先の断片的・「実用的」専門知識に先走るものとなって、学問を長期的視野にたって根源的・総合的に明らかにしようとする、或いはできる方がいないからかもしれません。今の日本の大学のほとんどは「大卒資格販売」所に近いでしょう。専門知識は専門学校で十分であり、「本物の大学」では、いくつもの専門知識を咀嚼能力ある総合的・根源的学力を養成し、中長期的・宇宙的視野で物を考察する力を育成することが必要かもしれません。
『富社会』では、人間は「自然と人間との関係」と「人間と人間との関係」において二重の意味で不自然な状況に置かれます。そこでは、利潤を動機とする生産によって富が増殖して、基本的にはそれをめぐって対立・戦争が常態化し、各地に多種多様な人生模様が展開し、経済研究家は「古代・中世・近世・近代・現代の経済」を批判的にか肯定的に取り上げて、その断面のみをもって「経済は発達している、進歩している」、「農民の成長がある」(農民は元の「自由な人民」に向かって回帰しているだけであり、「進歩」などではない)などと称しています。彼らが提示する「発展」・「成長」とは虚仮そのもであり、こういう考えが人類を「破局」の方向に導いてゆきます。こういう虚仮システムの根源的・総合的な把握なくして、人間本位に「発展」・「成長」と両立させようとする浅はかな「気候温暖化」対策は、例の如く問題を先延ばしするにすぎません。
法律家は「悪法も法なり」と称して、この諸悪に満ち満ちた現状を権力に与して維持しようとします。法律は学問などとは程遠いものです。また、こうした富社会にうごめく人生模様をとらえて、小説家が卓越した文体のもとに独特の鋭い感性・切り口で「これが人間の運命だ」、「これが人の定めだ」などとして小説を書き、人々はその断面図だけを人間の運命と「錯覚」してしまいます。この意味で経済研究家・法律家とか小説家といわれる人々の責任もまた小さくないかもしれません。
この富社会では、十人十色、60億人60億色の人生模様があるのです。人々は、好むと好まざるに関係なく、「富社会」固有の特徴によって「人と自然との関係」、「人と人との関係」において顕在的・潜在的対立に追い込まれ、矛盾に気づいて悩み、時に訪れる「平和」、「憩い」に自分ならぬ自分を見出しながらも、どうしようもない状況においつめられてゆきます。人間は無力なのです。仏教は、これを業として解脱を説き、キリスト教は「原罪」として神による救済をときます。ひとたび身についた人間の欲望は即自的にはもうどうしようもありませんから、根本的打開策を断念して坐して、或いは紛らわして富社会の自滅を待つという色彩が濃厚となります。何も考えないよりはましではありますが、中途半端に考えるならば、富社会の根源的改革の視点まではとても到達できません。そして、これを根源的・総合的にとらえる学問もまたないし、今の分断的・細切れ的な「研究」機構では到底それを望めないし、実現はできないでしょう。
『富社会』の正体とは、「自然社会」と比較対照しなければ、根源的・総合的に、従って学問的に正しく把握できないのです。この方法的主軸となるのが、「自然と人間との関係」と「人間と人間との関係」という分析視角です。これこそが、「自然社会」と「富社会」とを根源的・総合的に把握する分析視角です。しかも、重要な事は、恐らく世界中で自然社会が最も長く「理想的」に展開した国の一つが日本だということです。はっきり言いまして、これは、根底では「自然から教えていただく」という謙虚さに裏付けられつつも、30年計画の「ノーベル」賞十個分以上の大研究となるという意気込みがなければ、達成できないものでしょう。
自然社会研究、それを前提とした根源的・総合的学問論などを世界に発信することが次の課題となりますが、これはネットのみならず、国際発信のプロの国際交流団体元幹部や学問性(研究性ではない)の高い学術機関・シンクタンクなどを通しても多様になされるでしょう。
根源的・総合的学問論の構築とは、時間と労力を要する作業ではありますが、これで全世界の人々に「本物の学問」を提供できると思いますと、他では味わえない、ささやかな充実感を覚えます。
14、2009年10月19日、現在、「物理学基礎研究」、「自然社会の研究」、「富社会の宗教」、「富社会の経済学」・自然(仏教)経済学、「富社会の問題性」などを平行従事しています。「経済学」などでいう「最適効率配分」などとは関係なく、そういうことを持ち出すまでも泣く、時間配分と体力維持が自然と重要な課題となってきます。
物理学は「学問の中核」であり、絶えずそういう物理学的な思考・基本視角が、研鑽の中核的位置をしめています。ですが、物理学では量子物理学から生物物理など実に多くの分野に細分化していて、とても総てに通暁できるものではありませんし、実験室があるわけでもありませんので、あくまで学問的基礎として物理学という学問の方法論、問題意識などをおさえているというものです。
「自然社会の研究」に関しても、自然社会の重要遺跡の幾つかの探訪にとどまり、自ら発掘調査するものではありません。既に先人が発掘調査した遺跡の研究成果を利用させていただくにとどまります。ですが、富社会の総合的研究も深めていますので、そういう観点から斬新な視点で「自然社会」にアプローチすることが可能になっているといえるでしょう。
現在は、12月初旬に世界的研究機関である仏教経済研究所で、「富社会の宗教」研究の一環として、「厩戸王子らの仏教王国」を発表する準備を最優先しています。バランスを組み替えて、これに注力しています。
ここでは、従来なかった斬新な分析視角で、厩戸王子の治世期間のみならず、前後の時期も射程におさめ、「仏教統治と神祇統治」との相関(単独仏教史、単独神道史は沢山ありますが、両者の連関を見たものはほとんどありません)のうちに、「厩戸仏教王国」と、大化改新(従来「大化」の真の意味が理解されていません)、聖武天皇・孝謙=称徳天皇の仏教統治(道鏡問題。従来仏教法王道鏡は皇位につこうとしていた側面のみが強調されていましたが、仏教法王厩戸との連関のうちにこの問題をとらえると、従来と違う側面が浮かびあがってまいります)、桓武天皇の「天地人統治」を「一つの過程」として解明しています。
仏教導入以来、日本の統治は、従来の神祇統治と新しい仏教統治との間で揺れ動いてゆきますので、これを抜きには該期の統治を正しく考察することはできません。だからといって、仏教史、神道史だけやっていたのでは、ダイナミックな古代史像は描写できません。この基底には、農業生産の展開による地方豪族・百姓の展開があり、また神祇思想と類似した道教の影響もあって、まさに富社会は富をめぐって多様に揺れ動いています。従って、今度の仏教経済研究所での報告は、日本史はもとより、仏教史・神道史でも、今までにない研究になるでしょう。
そもそも、仏教は、富社会宗教の中では「自然社会の宗教」に最も近い宗教の一つでしょう。仏教の素晴らしさ、不滅性、哲学性は大体わかりましたが、実は仏教にも問題があります。生き残るために仏教はヒンヅー教に妥協して「密教化」しました。これはこれで一つの新しい仏教を生み出しましたから、評価すべきかもしれません。しかし、仏教が、普及のために権力と経済的支配階級に「妥協」して、権力宗教となり、利潤・富を認めている所は問題です。これぐらいは大宗教になるためには仕方がないとして、容認する方もいますが、大宗教になどなる必要は一切ありません。
宗教は、人間が生きてゆくうえにとって不可欠なものでしょう。人間は、様々な危機を敏感に察知して、それに対処して生きながらえてきています。様々な危機に取り巻かれて、人間は絶えず不安ですし、富社会では、人間の多くが富を生み出すために自分の労働力を「強制的」に差し出すことを余儀なくされて、自然社会以上に大きな不安に直面しています。ですから、キリスト教は神による救済、仏教は解脱・悟りをとくわけです。ですが、いずれも富社会をどうすればよいのかという問題には答えていません。
富社会では、大部分の人間が富形成のために「俗」事に巻き込まれ、宗教行為から分断され、聖俗不一致となって、ここに聖職者による宗教担当という事態が生じてきます。しかし、この聖職自体も実は大きく俗化されていて、果たしてそういう宗教が正しいのかと言う問題もあります。最澄は、こうした「飯の種」としての仏教などは初めから念頭にはなく、だからこそ形骸化した奈良仏教の打破をさけんだわけです。彼が真実の仏教を求めた魂の純粋さ、強さは、時代を超えて今でも力強く響き渡ってきます。「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄、上は諸仏に違い、中は皇法に背き、下は孝礼を闕く」(」願文)と、ここまで、自分を突き詰めなくては、新しい物は生み出されません。ですが、最澄はまた、悟りを問題にするにとどまり、その限りで仏教改革を提唱しますが、この社会、国家をどうするかまでは、提言できませんでした。明らかに仏教には大きな限界があります。ですから、新しい経済学として、これまで「仏教経済学」構築に従事してもきましたが、この頃は、「仏教経済学」というよりは、「自然経済学」とした方がよいとも考えています。
なお、仏教経済学=自然経済学の「流通」・「金融」篇もまた着々と構築しています。そのためにも、仏教の限界と問題点を明らかにし、「仏教」の弊害もまた自分なりに研究するために、「権力と仏教」というテーマを設定して、ブータンに続いて、日本の仏教王政(「厩戸王子の仏教王国」)を取り上げ、「権力と仏教の関係」を不十分ながら掘り下げているわけであります。
15、2009年1月1日、学問的思考とは何でしょうか。社会科学という分野では、それは「思考の厳密化」であり、周知の通り、マックス・ウェーバーは類型的思考、カール・マルクスは「下降法・上向法」を説きました。これが長期にわたって日本の社会科学者の呪縛となってきました。中には、『資本論』の篇別構成だけを何日も読んで思考方法を「純化」する人すらいました。数学を導入するこころみ(経済数学、数量経済史、経済統計など)もありましたが、それはあくまで補助的・部分的にとどまり、主軸になれるものではありません。そもそも、「虚仮」の富社会を分析する思考方法をいかに厳密化させても、所詮は「虚仮」であり、学問ではありません。
マルクス歴史学が金科玉条とする「人民史観」ぐらい非学問的なものはありません。確かに、人民、民衆が歴史をつくり、社会の原動力であるかでありますが、自然社会と違って、富社会では人間は「無限悪循環」に巻き込まれいて、人民の解放、旧体制の解体が、今度は新しい支配階級を生み、新しい不平等社会を作り出し、根本的解決というものはありえないからです。マルクスは労働者階級こそ平等社会の実現者としたわけですが、富社会の根源的考察を欠いていた為、結局、社会主義国家は新たな支配ー被支配関係、不平等搾取関係を生み出して崩壊しました。マルクスは、なぜこういう根源的総合的核心に気がつかなかったのでしょうか。それは、マルクスが結局富み社会の枠内で問題の解決をはかり、自然社会を根源的始点に設定できなかったからです。自然に働きかけることを当然とみなしたからです。
かつまた「歴史学者と称する人々」は、古代、中世、近世、近代、現代と非学問的な「縄張り」を決め合って、その時代しか対象としないので、自然社会を根源的視点にすえることはもとより、旧体制解体の民衆の中から支配階級が生まれ、富社会の歴史とは「悪循環の繰り返し」だということに気づかないのです。また、新しい史料、遺跡を発見して、実はこうだった、あるがままの時代像とはこうだったということを解明するものもあります。ですが、いずれも根源的総合的視点を欠如するものがほとんどであり、こういう「歴史学」は弊害以外の何物でもなく、学問とは程遠いものです。
では、学問的思考とは何でしょうか。私は自然総体を見る物理学的思考方法こそが、学問的思考であると思います。確かに、ここでも厳密な思考が数学によってなされますが、なによりも人間を含む自然総体を体系的・総合的に把握するということが重要です。ですが、物理学の世界も実に個別細分化されていて、物理学全体の思考方法というものが把握しにくいものとなっています。物理の個別研究は、全体を見なくても、ある程度はできるでしょうが、それが自然総体を総合的に見る物理学的思考を体現しているとは限らないでしょう。
そういう中で、桜井邦明『物理学入門15講』(東京教学社、1996年)、押崎憲夫・町田茂『基幹物理学』(てらぺいあ、2009年)などは、総体としての物理学的思考を考える上で大いに有益です。前者は、「普遍的な学問」(2頁)、「自然哲学」から誕生した「人間を含めて全ての自然現象の成り立ちを研究」(75頁)、「現代は自然科学全体が、物理学を根底において一つの統一的な描像の下に統一されていこうとしている時代」(123頁)など、物理学が学問の中の学問であるということが鮮明に把握できるように述べられています。
後者は1100頁余の大著であり、本としての体裁は立派ではありません。だが、中身がいいです。こういう本を素晴らしい本というのでしょう。私は、朝必ず、この本の篇別構成をじっくりみます。第一部古典物理学(力学、熱学、振動と波動、電磁気学、相対性理論)、第二部量子力学入門(量子力学、変換理論、場の量子論)などを通して、総体としての物理学的思考方法を確認します。
もちろん、物理学では数学による思考の厳密化が大きな役割をもっていることは言うまでもなく重要ですが、それ以上に自然哲学に裏付けられた物理学的世界観こそが重要なのです。数学にはいくつかの難問というものがあり、「数学者」と称する人々はこの解明を手がけています。それは素晴らしいことではりますが、数学的世界にのみとどまり、これの解を見つけたとき、「人間とはなんという素晴らしい知性をもっているのか」などと錯覚します。偉いのは、この謎を解明した人間ではなく、それを生み出した自然です。人間は偉大な自然の創造した謎のほんの一部を知っただけにすぎないのです。数学だけを専門的にやっていると、こういう錯覚におちいるのでしょう。
文科系、理科系に分ける現在の学習体系は、明らかに学問的ではありません。職業教育に携わる専門学校(現状の日本の大学のほとんどはこれにとどまります。某教授は「大学教授は高校教師に毛の生えた程度だ」といみじくも反省しましたが、ほんの数本の毛が生えている程度でしょう)と高度な学問研究に従事する「大学」は明確に区別するべきでしょう。
物理学的思考と人間との連関について、人間の細胞学的・遺伝学的・脳科学的連関については容易に分析されるでしょうが、人間の心の領域になると、分析的に考察することは容易ではありません。それは、「心理学」のような方向に向かうでしょう。夏目漱石が心理学に興味をもち、緻密な心理分析・描写に向かった所以です。漱石弟子の物理学者寺田寅彦も漱石から心理学論を聞かされたこともあってでしょうか、 「人間の心理にはやはり科学的に取扱われ得る部分がかなりにある事は拒み難い事実である」(寺田寅彦「文学の中の科学的要素」『電気と文芸』1921(大正10)年1月[]「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
1997(平成9)年4月4日発行)と指摘しています。と同時に、人間の心の領域に関しては、ひらめき、直感のようなものでも理解される所もあるのではないでしょうか。晩年には漱石は則天去私の境地に達したということは有名であり、これは種々に論じられています。前者の心理学を学ぶ方向とは物理学的思考の影響を受けていた、まじめな漱石が学問・科学としての文学とは何か、文学と科学はどういう関係があるかを「職業柄」まじめに追究したものとすれば、後者の則天去私という境地とは、同じく物理学的思考の影響を受けていた漱石がひらめいた境地と思えてなりません。漱石に天と「私という人間」を一つに把握するというひらめきがあったのではないでしょうか。
漱石の弟子寺田寅彦は、物理学者にして随筆家=文学者として知られています。漱石は、この寅彦との交渉で(週一回の漱石山坊での木曜会以外にも、寅彦は例外的に漱石と会えました)、絶えず物理学的思考を磨き上げていたのではないでしょうか。実際、寺田によると、漱石先生は「一般科学に対しては深い興味をもっていて、特に科学の方法論的方面の話をするのを喜ばれた。文学の科学的研究方法といったような大きなテーマが先生の頭の中に絶えず動いていたことは、先生の論文や、ノートの中からも想像されるであろうと思う。しかし晩年には創作のほうが忙しくて、こうした研究の暇がなかったように見える。」(寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」昭和七年十二月、俳句講座[『寺田寅彦随筆集』第三巻 岩波文庫、岩波書店、平成5年2月5日]
)と述べています。晩年でも「文学の科学的研究方法」に基づいて創作に没頭していたというべきでしょう。
寺田も漱石との交流によって、物理学研究をせまい個別研究にとどまらせず、総合的研究の重要さに気づくことができたようです。この点に関して、弟子の湯本清比古は、「先生には専門の部門はなかった。強いて言えば物理学全般が先生の専門であったと見るべきだろう。最近数年来は化学の領域にまでも研究を拡められ、有機化学や膠質化学の勉強ぶりは還暦の年に近い先生とは思われなかった。先生の机の周りには生理学の書籍もあれば鉱物学の本もあり、動物発生学もあれば心理学もあり、あるいは生理植物学の本もあり、そして語学に堪能であられた先生は瞬く間にこれらの専門の書籍を見て、その内容の要点を把んで居られた。」(湯本清比古「寺田先生の瓦斯爆発の研究についての思出」『思想 寺田寅彦追悼号』岩波書店、1936年、pp.136-140[隅蔵康一「寺田物理学の形成と展開の過程」])と語っています。正確に言えば、寅彦は、物理全般、化学、生理学、動物発生学、心理学、生理植物学などの専門家であり、さらに、文学にも通じた専門家であったということになるでしょう。
この博学者寺田寅彦と漱石は、熊本で初めて出会い、俳句が二人の親交を深めます。少年寅彦は、「かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたから」、明治31年6月寅彦のほうから英語教師漱石を訪ねて俳句の教えを乞い、漱石はこれにこたえて、「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという」(前掲寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」)などと教えたのでした。漱石自身も、「五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。だから長々しく敍景の筆を弄したものよりも、漢語や俳句などで、一寸一句にその中心點をつまんで書いたものに、多大の聯想をふくんだ、韻致の多いものがあるといふのは、畢竟こゝの消息だらうとおもふ。」(明治三九、一一、一『新聲』)と指摘していますから、この寅彦回想は正確のようです。
寅彦は、「先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。」(寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」昭和七年十二月、俳句講座[『寺田寅彦随筆集』第三巻 岩波文庫、岩波書店、平成5年2月5日]
)とも述べています。正岡子規の提唱する自然そのままを観察する「写生」俳句論が、早くから漱石、寅彦の科学心と呼応し、物理学的思考を身につけた二人を強く結びつけ、互いに「感応」しあう関係にしていったのでしょう。俳句という学問に通じる自然描写芸術がなければ、子規と漱石、漱石と寅彦との交流はなく、したがって漱石文学は生れず、寺田物理学も構築されていなかったでしょう。
こうしてみると、学問中の学問たる物理学の総合的思考力と、俳句などの自然観察力・感応力・表現力が、非常に重要になるのでしょう。世俗で生きるために当面必要な社会知識、語学知識、技術知識などの実用知識とは、その基礎上に一時的に付け加えられる付随的な知識であり、決して学問本髄ではないでしょう。
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