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                              第二項  ナノテクノロジ―による人類文明危機の可能性


                                                 はじめに

 人類のテクノロジーは、生態系変化とともに食料革命をまず誕生させ、数千年後に今度は衣料革命を生み出し、衣食住という生業に関わる革命を生み出した。現在、それらが、AIロボット、ナノテク、遺伝子工学という三大テクノロジーを生み出しているのである。

 問題は、テクノロジーは人類文明には「両刃の剣」だということだ。元来テクノロジーは、人類の衣食住という物質文明を向上させるとともに、自然に対峙する人類文明破滅危機を内包しているのである。問題は、両側面が拮抗し対立しつつそれぞれに展開していても、やがて後者の人類滅亡危機が優勢となれば、前者を圧倒する可能性があるということである。

 しかし、未だこの三大テクノロジーと人類文明との連関が学問的に把握されていないのである。そこで、以下では、ナノテクノロジーの基本的特徴を踏まえた上で、ナノテクの奨励、展開がいかになされたかを考察した上で、ナノテクが、いかなる人類文明破滅危機の可能性を孕んでいるかなどを検討する。なお、ナノテクの研究史については、ここを参照されたい。


                                       1 ナノテク研究領域の定義 

 定義の困難性 ナノ物質の定義は明確である。つまり、OECD(経済協力開発機構)工業ナノ材料安全部会、国際標準化機構(SOI)のTC229(ナノテクノロジー専門委員会)は、「少なくとも一つの次元が100nm(ナノメートル、ナノは10億分の1[10−9]の意味)以下の物質」を「ナノ物体」と定義する(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。さらに、「1ナノメートルになると、自然界に存在する比較的単純な(無機)分子1個の大きさに近づ」き、「それ以下では原子が0.1ナノメートル=IA(オングストローム)で、ナノテクノロジーで扱うサイズのほぼ下限にな」る(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』技術評論社、2010年、16頁)。

 しかし、ナノテクという用語の定義は非常に困難である。初めからナノテクという研究領域があったのではなく、原子・分子という領域から漠然と生み出されてきたものだからである。

 ドイツ・ダルムシュタット工科大学(Department of Philosophy)のヨアヒム・シュマー(Joachim Schummer)は、UNESCO加盟国が1998年に設立したCOMEST(World Commission on the Ethics of Scientific Knowledge and Technology)の報告書所収の“Identifying ethical issues of nanotechnologies”において、ナノテク定義に関して、@ナノテクという名称に基づく定義、Aナノテクが目標とする内容に基づく定義、B現実に「ナノテク」として研究・開発されているものによる定義という三つの種類を提起している(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。遺伝子工学がゲノムに研究対象が限定されているのに比べて、ナノテク自身がこのように流動的・包括的であり、絶えず変容しつつ推進されているので、一義的にはとらえきれないというのである。

 J.ストーズ・ホールは、ナノテクノロジーには、@「100ナノメートルより小さなものを扱う全てのテクノロジー」、A「すべての原子や化学結合が精密に規定されたマシンの設計・製造」という「二種類の意味」があるとする(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、25−7頁)。

 このように、ナノテク定義は簡単にはできないのであり、狭義(シューマーの@・A、ホールの@)と広義(シューマーのB、ホールのA)の定義があるようだ。

 狭義定義 この狭義定義に関して、ビル・マッキベンは次のような定義を試みている。つまり、彼は、ナノテクノロジーとは、1959年に物理学者リチャード・ファイアーマンが指摘したように、「小型化の次のステップであり、マイクロテクノロジーよりも一段下のスケール」であり、1ナノメートルは1mの1億分の1(1マイクロメートルは1mの100万分の1)であると定義した(ビル・マッキベン『人間の終焉』109頁)。

 そして、ナノテクノロジーの目的については、ビルは、「かなり少ない数の複雑なマシンをつくる」「コンピュータチップの設計者」と、「何十億という数の比較的単純な、しかし極小的には正確なマシンをつくる」化学者との「合流」から生まれ、「何兆という数の複雑で極小的に正確なマシンをつくること」(ビル・マッキベン『人間の終焉』110頁)とする。

 後者については、ダグラス・マルホール(Douglas Mulhall)は、「『ナノテクノロジー・ルネサンス』には、せめぎ合いを見せる無数の原子さながらに、ありとあらゆる道が無数に走っているのであり、しかもその多くは矛盾に満ちたもの」だから、分子テクノロジを駆使して、「こうした未来に立ち向うためには、われわれ一人ひとりが知性に磨きをかけていかねばならないだろう」(ダグラス・マルホール、長尾力訳『ナノテクノロジー・ルネッサンス? ナノテクノロジー・ロボット工学・遺伝子工学・人工知能が開く輝ける人類の未来』アスペクト、2003年、23頁)とする。そして、彼は、ナノテクノロジー(Nanotechnology)は「原子レベルで物を作り出す技術」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』40頁)と定義する。

 広義定義 広義定義に関しては、、J.ストーズ・ホールは、ナノテクノロジーとは「物をソフトウェアにするもの」、 「ソフトウェアは複雑怪奇」であり、「各コンピュータの命令セットという低レベルのものから、オペレーティング・システムとそのインターフェイス、コンパイラとソフトウェア開発環境、アルゴリズムの数学的解析などのコンピュータ・サイエンス」まで「それ自体に、膨大な数のテクノロジーが詰まっている」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』355−6頁).とする。

 産総研は、「ナノテクの研究は、まだ始まったばかりで」、「次々に新しい発見や技術の進歩があ」り、「コンピュータや携帯電話に使われる半導体や、遺伝子治療に使われるDNAなども、このナノテクによって新たな可能性がひらけるものと期待され」、「ナノの世界を見ることが出来るプローブ顕微鏡」が必要であり、「様々な分野の最先端技術が集まって、更にその先を目指している」とする(産総研のHP)。

 また、吉田典之氏は、 「『ナノテクノロジー』という一つの独立した領域があるのではなく、新しい機能を生み出していくために、分子や原子レベルの働きへと、視点がより深く、小さくなっていったものがナノテク」であり、「ナノテクの代表例は携帯電話にパソコン、ゲーム機といった電子機器」で、「さらに小型化しながら機能はどんどん高まってい」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』技術評論社、2010年、3頁)るとして、現実の開発領域では各種各領域が独自な展開を示しているとするのである。

 さらに、UNESCOの報告書では、「ナノテクノロジー」を「少なくとも一つの次元が100nm以下の物質をコントロールすることにより、機能をもつ材料、デバイス、システムを研究、設計、創出、合成、操作、応用すること、そしてそのスケールで通常現れる新たな現象や特性を利用すること」と定義している(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 こうして、ナノテクを包括的に定義すれば、広義では、製造業・情報産業から生物学・医学まで包含する「100ナノメートルのスケールでの材料や現象の研究・制御」を指し、狭義では「原子や分子を操作して微小な装置を組み立てる技術」(訳者斎藤隆英「あとがき」[J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』381頁])となる。ただし、これはあくまで概括的定義であり、ナノテク応用範囲が非常に包括的でもあることから、ナノテク用語の定義が「国や分野」ごとに一定しないものでもある(五島綾子、竹中 厚雄,柳下皓男「日米におけるナノテクノロジーの解釈と研究開発の相違ーカーボンナノチューブを事例にして」『科学技術社会論研究』2008年10月)。

 分子アセンブラ ナノテクノロジーの中核概念ともいうべき分子アセンブラ、分子アセンブリについても、実現していないために、統一的見解があるわけではない。

 エリック・ドレクスラーとフォーサイト研究所(ドレクスラーが、シリコンヴァレーに研究仲間と共同で設立した研究機構)は、自己複製をも含め、デバイスを原子レベルで精確に組み立てる事が可能な『分子システム』に、『分子ナノテクノロジー(MNT)』の名を与え、どれについて詳細な解説を加え」、「これがきっかけとなって、分子経済に新たな革命が生まれるかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』52頁)とする。

 分子アセンブラ(Molecular assembler、ドレクスラーは「分子マニュファクチュアリングのための汎用デバイス」と定義するが、アセンブラ解釈は多義にわたっている)が登場するための前提条件は、@ポジショニング(予め決められた通りに分子を配列する技術)、A自己複製(自己を複製する分子システム)、Bアセンブリ(assembly、複数の構成素を使って機械を組み立てる分子工場)であり、現在「一番目の条件だけは満たしている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』53頁)。

 しかし、「ナノテク関連の専門用語が、公に標準化されていないため」、「研究者の中には、遺伝子工学のような生物学的なプロセスを含むものが『アセンブリ』だと言う者もあれば、『アセンブリ』とはいくつもの自己組織化パターンを見せる化学物質にほかならない」としたり、「アセンブラーが現実にはどんなものになるかをめぐっては、見解に混乱が見られる」(54頁)。しかし、「正真正銘のアセンブラ」であるためには、「すでに見た『ポジョショニング』『自己複製』『アセンブリ』という前提条件を、三つとも兼ね備えていなければならない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』54頁)。

 科学者の世界では、「超微小空間内で、さらに小さな原子一つひとつを多元原子サイズのピンサーを使って操作することは、現実には非常に難しい」ので、「『アセンブリ』だけは、その実現が不可能とする根強い意見」があり、多くの科学者は「『アセンブリ』などはできるわけがないし、仮にできたとしても数十年は先の話になる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』54頁)とする。


                                       2 ナノテク研究の展開

 未開拓の分子・原子の底辺 1959年、アメリカ物理学者リチャード・ファインマン(Richard Feynman)は、“There’s Plenty of Room at theBottom”と題された講演で、「物質を微細化した底辺にある原子や分子には、まだ開拓されていない原理や現象があり、それらを探求・活用する新たな科学や技術が今後広がっていくだろう」と予測した(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』技術評論社、2010年、17頁)。このリチャード・ファインマン講演がナノテクノロジー登場の一つの重要な契機となったことは、現在でもしばしば言及される(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月など)。

 1969年、江崎玲於奈氏は、「複数の物質の結晶格子(結晶中の原子の配置構造)を規則的、周期的に並べ、その配列の周期を一つのまとまりとして新しい性質を創出する『超格子』の考え」を提案した。1974年には、谷口紀男氏(理科大)が底辺にある原子や分子に対して「『ナノテクノロジー』(Nanotechnology)という言葉を最初に用いた」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』17頁)のであった。

 この様に、ナノテクノロジーとは、「テクノロジーの進歩の波が原子物理学(電子の量子力学で、原子核を不変の基本粒子と見なす)に押し寄せたときに登場が予想されるテクノロジー」なのでであった(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』41頁)。ナノテクとは、生業の必要が生み出したというより、分子・原子の研究が生み出したものであった。

 分子ナノテクノロジーの実用化 1977年、ドレクスラーはリチャード・ファイアマンの「理念」を引き継いで、「MITで分子ナノテクノロジーの仕事を始め」、1981年、IBMの科学者二名が「個々の原子の像を初めて直接的にとらえた」走査型トンネル顕微鏡を開発し、MIT研究者のK・エリック・ドレクスラーが「天然のタンパク質合成のメカニズムによって、分子サイズのマシンをつくれることを立証できるという論文」を発表した。その点で、1981年は、「ナノテクノロジーにとって重要な転換期」となった(ビル・マッキベン『人間の終焉』110頁、ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』43頁)。

 1985年には、炭素原子60個で構成されるサッカーボール状の構造を持つC60フラーレン(これはバッキーボールと呼ばれ、この直径は約1nm[1nmは1mの10億分の1]である)が発見された(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 1986年にドレクスラーは『ナノテクノロジー 創造する機械』を出版し、「それ以来、理論的研究によって分子ナノテクノロジーの実現性はますます明確になり、本書の結論が確証されるようにな」り、「同時に、実験的研究も素晴らしい進展を示し、分子ナノテクノロジーの実在性と実用性が広く認識されるようになった」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』329頁)のである。

 1988年ドレクスラーはスタンフォード大学で「ナノテクノロジーを教える講義」を開いた。1989年に、IBMが走査型トンネル顕微鏡を用いて「35個のキセノン原子(元素記号 Xe ,原子番号 54,原子量 131.29)をニッケル結晶の表面の適切な場所に並べて『IBM』と書」き、このIBMの文字が「『ネイチャー』の表紙を飾る」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)ことにもなった。この時から、「ナノテクノロジーはにわかに一般社会に意識されるようになった」(ビル・マッキベン『人間の終焉』110頁、ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』44頁)。

 1989年、フォアサイト・インスティテュートは、「ナノテクノロジーに関する最初の会合」を開き、ここで、日本は「分子システム・エンジニアリングを21世紀の基盤テクノロジーとみなしていること」を表明した(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』326−7頁)。

 1991年には、さらに飯島澄男氏により「カーボンナノチューブ(CNT)という・・ナノテクを象徴するといってよい材料」が発見された(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月、ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』44頁)。

 1993年、ウォ―レン・ロビネット(ノースカロライナ大学)、スタンリー・R・ウィリアムズ(カリフォルニア大学)は、「仮想現実システムを走査型トンネル顕微鏡に搭載し」、「この結果、原子の姿を捉えたり、それを操作したりすることが、さらに容易になった」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』44−6頁)。

 2000年、ベル研究所ルーセント・テクノロジーズは、オックスフォード大学と共同で、「世界初のDNAモーターを開発」し、「バイオテクノロジーとナノテクノロジーとを結び合わせる道が存在しうることが立証された」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』46頁)。

 2001年、「ナノコンピューテイング研究は劇的に進化し、『サイエンス』誌上の年間優秀科学研究リストの上位にランキングされ」、@イスラエルのワイズマン研究所が「毎秒数十億回もの演算が可能なDNAコンピュータ(「超微量エネルギーで作動させ」、「試験管に収めることもできた」)を開発」し、AIBM研究所とデルフト工科大学がそれぞれ、カーボン・ナノチューブを使ったナノサイズの論理回路(「コンピュータ内で情報処理を行う部位」で「世界初の『組み立てブロック』」)を開発」した。「企業はすでに、ナノ粒子を駆使することで、ハードドライブの性能を三倍に向上させ」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』46頁)た。

 2001年後半、ベル研究所ルーセント・テクノロジーズの科学者たちが、「個別にアクセス可能な世界初のナノトランジスタ(「たった一つの分子から作られたスイッチング・チャンネルがついて」いる)を製造」し、「この画期的な装置のおかげで、分子コンピューテイングが非常に高い精度で実現されることとなった」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』46頁)。

 2001年4月に金属材料技術研究所と無機材質研究所が合併して独立行政法人『物質・材料研究機構』が誕生し、同年後半、同所の科学者が、「自然に一群のワイアーになるナノスケールの素材ユニットを開発」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』56頁)した。

 2001年の時点で、「科学者は超強力なカーボン・ナノチューブを使って結び目を作ってい」て、「その強度は、鋼鉄の引張強度の30倍」であり、「工業生産が実現すると、カーボン・ナノチューブは、建築と工学の分野でルネッサンスを巻き起こし」、「こうした材料の最も際立った使用例に、スペース・ケーブルの建設があ」り、「宇宙エレベーターを活用すれば、有効搭載量を軌道上にまで運び上げることができる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』155頁)とする。ダグラス・マルホールは、「物質強度の限界からかつては実現不可能とされていたスペース・ケーブルによって、日々数トンの装備と人員が、赤道から電磁気輸送車両によって往復輸送されているのである」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』156頁)とするのである。

 2002年、三井物産は、「分子コンピューテイング部品の大量生産を可能にする」技術を開発し、「年間120トンのカーボン・ナノチューブの生産を開始する」と発表した(グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』48頁)。

 アメリカ科学振興協会で、科学者たちは、「2002年初頭までには、雪崩のように押し寄せる新たな科学的発見のおかげで、当初の計画よりもはるかに早く、超高速のナノ電子工学とナノコンピュータが、ほぼ工業生産の域にまで達するだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』48頁)と発表した。


                                       3 ナノテク振興政策 

 政府・機関の奨励 1992年、日本で国家プロジェクトとして「原子のレベルからスタートして新機能、新素材を生み出すことを目的とした」「アトム・テクノロジー・プロジェクト」がスタートした(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』18−20頁)。文科省『科学技術基本計画』(平成7[1995]年11月に公布・施行された科学技術基本法に基づき、 科学技術の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るための基本的な計画)によると、「ナノ(10億分の1)メートルのオーダーで原子・分子を操作・制御することにより、ナノサイズ特有の物質特性等を利用して全く新しい機能を発現させ、科学技術の新たな領域を切り拓き、幅広い産業の技術革新を先導するもの」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』技術評論社、2010年、10頁)と提唱された。

 2000年には、米国でナノテクノロジー国家戦略(NNI[National Nanotechnology Initiative])が発表され、「向こう20年分の基礎科学研究に、かつてないほどの巨額な研究費を計上し」(グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』49頁)、クリントン大統領は「国会図書館の情報を角砂糖の大きさのメモリーに記録する」、「鉄鋼よりも10倍強く、しかもずっと軽い材料を生み出す」、「原子や分子からボトムアップで材料や製品を組み立てる」こと、「水や空気から最も微細な汚染物質をも除去する」などとした(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』20頁、J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』384頁)。
 
 このNNIには各国が追随し、日米欧などの先進国を中心に新興国・発展途上国が膨大な資金を投入して研究・開発競争の様相を呈してゆく。日本では、2000年後期に「ナノテクノロジーの戦略的推進に関する懇談会」を設置し、日本全体の今後の取り組みを議論した。2001年からは、総合科学技術会議のもとで、ナノテク戦略が決められ、ナノテクノロジーは、情報通信・医療・バイオ・環境・エネルギーの諸問題を解決する基幹科学技術と位置づけられている。2002年日本文科省がナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンターを発足させた(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』20頁)。

 こうした奨励もあって、「テクノロジーの変化のペースは加速しつづけており、今後数十年の変化においては、ナノテクノロジーが主役を果たすことになろう」(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、9頁)と期待された。実際に、この頃、ナノテクの急速な発展が注目され、AI7ロボットや遺伝子工学との相乗作用が指摘されもした。

 つまり、2001年11月、イスラエルの科学者グループが、「DNAを操作する天然酵素からな」る「生物分子を用いてプログラム可能な極小コンピュータ(「0.1ミリリットルの水溶液一滴のなかに、一兆個が共存して並列計算賀できる」)をつくりだし」)、2001年12月、インテル社とAMD社が、「トランジスターのゲート長を小さくすること(15ナノメートル、つまり原子60個を一列に並べたくらいの幅)によって次世代のマイクロプロセッサを大幅にスピーアップ」した。2002年9月、ヒューレッド・パッカード社が、「チップ上に10ナノメータの間隔でナノワイヤを配置することに成功した」と発表し、2002年10月には、IBMが、「銅の表面に配置した一酸化炭素分子を用いて、現行の半導体チップに使用されているシリコンモデルの26万分の1に相当する極小の論理回路の動作に成功」した。この様に、この時期、「先進的なロボット工学やナノテクノロジーなどの技術」は進歩し、「遺伝子操作との組み合わせによっても、人間の意味を急速に消失させてしまいかねな」くなっていたのであった(ビル・マッキベン『人間の終焉』河出書房新社、2005年、94−5頁)。

 こうして、1997年から2001年の間に、「大学、軍部、企業におけるナノテクノロジー研究チームの数」は、「一挙に100にまで激増」し、「日本、ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国はそれぞれ、ナノテク研究費を年間10億ドルにまで引き上げたのみならず、・・『有望技術』に対しては、さらに数十億ドルもの研究費をつぎ込みはじめた」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』49頁)。

 2004年には、ナノテクノロジーによる産業立国を期して、早稲田大学がナノテクノロジーに関する産官学の連携を進める「場」として、早稲田大学ナノテクノロジーフォーラム(略称NFM)を設置した。ナノテクノロジーは、「今やモノづくりの基盤技術として確立し、医薬、バイオ、 エネルギーなどの産業分野に広く貢献するなど時代が移り変わってきてい」るとみた(早稲田大学ナノテクノロジーフォーラムのHP)。

 ナノテクの普及 2005年頃、「目に見えないほど小さい酸化亜鉛の粒子を使った日焼け止めローション」、「眼鏡レンズの紫外線カットのためのコ―テインング剤」などをつくるナノテク企業(ナノグラム、ナノオプト、ナノフェイス、ナノスフェア、テクナノジーなど)が世界で300社に上った(ビル・マッキベン『人間の終焉』111頁)。

 2008年、日本ではナノテクは一般化し、この時点では「日本ではナノテクが社会にとって脅威であるという認識が一般的でな」く、「ナノテクを謳った製品が既に多数上市されており、ナノテクに言及することで売り上げが伸びると企業側が考えていることが見て取れる」のであった。加えて、「『ナノ倫理』には理論として新しいことは何もないと思われがちであるために、研究・開発に携わる研究機関以外では倫理研究者の注目をほとんど集めていない」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)状態であった。

 ドレクスラーは、「分子システム・エンジニアリングによるナノテクノロジーへの展開は、本書が推定している以上の早さで進」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』323頁)み、「ナノテクノロジーの構想は、本書だけではなくその他の出版物によって、非常に広範囲に広まった」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』1992年、326頁)とする。

 そして、彼は、「ナノテクノロジーに基づいた製品は、日常生活に浸透し」、「きわだって優れたものが大半を占め」、「いくつかの製品には、家事を簡便化するのと同様な効果があ」り、「皿からカーペットまですべてをセルフ・クリーニングにすることも可能」であり、「ナノマシンにとっては、チリがえさとなる」から、「家の中の空気をいつも新鮮にしておく」事もでき、「ナノテクノロジーによって、それぞれの目に違った像を投影する高解像度スクリーンも可能となり」「別の世界への窓となるような三次元テレビ」も登場するだろうとも言われrた(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』314頁)。ナノテクは、生業の必要が生み出したものではないが、結果的に生活の利便性を増すものだとされた。

 さらに、彼は、「ナノテクノロジーの時代が訪れれば、20世紀の工業が作り出した数多くの問題が解決され」、「ありふれた材料から効率良く生産できるようになれば、石油や鉱物などの資源についての争いもなくな」り、「国際的軋轢も和らぐと期待される」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』331頁)とする。「ナノテクノロジー時代の幕開けを迎え、先進工業国は共通してナノテクノロジーそのものの新しい緊張を生み出さないよう努力を傾けている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』331頁)ともする。

 こうしたナノテクノロジーによる「産業革命」は、「蒸気機関による産業革命よりも大きな変化を社会にもたらす可能性を秘めている」 (J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』54頁)と期待されだした。こうした大いなる期待のもとに、「ミトレ・コーポレーションのナノテクノロジー部門の責任者は、『科学の集まりに出席するベンチャー資本家が急増している』と発言し」、「全米科学基金も、ナノテクノロジーは2015年までに1兆ドルのマーケットになる可能性がある」という予測をだし、IBMは「長期研究予算の半分をナノスケール・プロジェクトにあてている」と言われだした(ビル・マッキベン『人間の終焉』河出書房新社、2005年、115頁)。巻末資料編でみても、2007年頃まではナノテクノロジーは経済立国の基軸のように大いに期待されていた事が確認されよう。

 しかし、そのような活発で広範な進捗にもかかわらず、ナノ誇大宣伝などが問題になり、「ナノテクはいまだ初期的な段階にとどまっているというのが大方の見方であ」り、現在の状況はNNI教書などに見出される当初の構想には程遠」く、「実現そのものの可能性、実現する時期の予測に関する議論も盛ん」な体たらくである(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。


                                4  ナノテク応用業種の包括性

 対象の包括性 そもそも、ナノ物質とは、@「大気環境領域」において従来から「超微小粒子」と呼ばれていたものは直径100nm以下の「ナノ粒子」であり、A「ライフサイエンスの分野ではナノサイズのもの自体は新しいわけではもちろんな」く、「DNA鎖は直径が2nmであり、脂質2重膜の厚さは5-10nmであ」り、B「1957年に全合成に成功した抗生物質ペニシリンの分子のサイズは1nm強であ」った様に、以前からあるとも言えるのである。しかも、「物質は原子や分子でできているので、純粋なバルク物質でない限り、ほとんどの物質はナノ構造を持っているといっても過言ではない」という見方もある。これまでにも存在したものをただ小さくすることで、「単なる量的変化にとどまる」のみならず、「質的な変化がもたらせることもある」ということが重要になる(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 さらに、ナノテクとして括られる研究分野は「きわめて多岐にわた」り、例えば、「ナノテクの医療への応用であるナノメディシンに限ってみても、・・Institute for Molecular Manufacturingのロバート・フレイタス(Robert Freitas)は、95の分野を列挙」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)するほどに、多岐にわたっているのである。

                                      (1) 推進中のもの

 元来、「ナノテクノロジーのもっとも基本は原子を並べるところにあ」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、3頁)り、現在存続しているナノテク基本研究は、特定分野に絞り込んだものになってきているようだ。                              

                                       @ ナノテクと物性学 

 ナノテクと金属・合成樹脂  一般的に、微細な世界では、@「物質が小さくなる」と、「数が増え、表面積が増え」ると、プラチナによる排ガス浄化作用が促進され、A「微量の物質ならではの性質を利用した応用技術として、少量の物質を高速に分析できる『マイクロ化学チップ』があ」り、B「量子サイズ効果によるもので、粒子の大きさが変わると吸収する波長が変わり、蛍光の色を変えることもでき」、「これを使ってバイオ標識など蛍光試薬に使う試みが進んでい」て、微小になればなるほど応用度が広いのである。

 そして、金属では、@「金属やセラミックス」は結晶構造(「分子や原子が規則正しく並んだ構造」)であり、「この結晶構造をコントロールすることで、強くしたり、逆に柔らかくしたりと、優れた多彩な特性を引き出」し、「金属分野では『ナノメタラジー』と呼ばれ、盛んに研究が行われ」、A「材料の強さは、結晶粒径サイズが4分の1になると2倍になるなど、粒径の2分の1乗に反比例して高くなる」が、「粒径10−20ナノメートルを境に、再び強度は下が」り、これは「ステンレス鋼やチタン合金など、硬い金属の加工性を高める手段の一つとして応用され」、B「金属は、自由電子の海に金属の原子核が漂っているような構造をしてい」て、「原子は動きやすく結晶構造もつくられやすい」が、「元素の組み合わせを選ぶと、ガラスのように原子が規則正しく並ぶことができず、乱雑な配置のまま冷えて個体になる『金属ガラス』がつくられ」、C「酸化鉄」、「酸化クロム」、「コバルト」、「鉄と他の金属の酸化物であるフェライト」などのように、金属は、「ナノメートルサイズにまで小さくすると、大きなサイズでは無かった磁性が現れることがあ」り、D「ナノ磁性粒子の生命科学や医療方面の応用としては、がんの早期発見などが考えられ」、かつ「がん細胞は熱に弱いため、・・磁性ナノ粒子をがん組織に集め電磁波をかければ、患部だけをより効率的に加熱し、健康な組織にはダメージを少なくできるのではないかと研究が進められてい」て、ナノサイズで応用度が高いのである。

 さらに、合成樹脂では、「基本単位となる分子(モノマー)を次々とつなげ(ポリマー化)ていった高分子で、私たちの生活のあらゆる部分に入り込み、豊かさや便利さを生み出し」、「この性能を一層向上させるためにナノレベルの分子構造や分子配列、形の制御の追求が進んでい」て、「帝人ファイバーが開発、2008年から生産を始めた高強度ポリエステル・ナノファイバーの『ナノフロント』は、繊維の太さが約700ナノメートルと、これまでの最も細いものの約3分の1にまでな」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』36−89頁)っている。

 ナノテクとカーボンナノチューブ また、 アメリカでは、ジョージ・ トゥレヴスキ(George Tulevski)らは、IBMのワトソン研究室(IBM's TJ Watson Research Laboratory)でカーボンナノチューブに絞り込んだ研究をしている。彼は、2017年にTEDで彼のナノテク最新研究を報告している(ジョージ・ トゥレヴスキ、 Misaki Sato訳「ナノテクノロジーの次の一歩」[2017年2月7日TED[Technology Entertainment Design])。

 彼が大学院生だった頃(2006年コロンビア大学から化学博士号を授与)は、「ナノテクノロジー研究には 最もエキサイティングな時代」で、「科学的なブレークスルーが 常に起」き、「会議は熱気に満ち。資金はファンドから 続々と提供され」ていた。「物体が非常に小さい場合、私たちが目にするような通常の物体を司る物理とはまったく異なる物理」、つまり量子力学が作用するとみていた。彼らは、「ナノマテリアルで超高速のコンピューターを作ろう」とし、「量子ドットを構築していつの日か 体内で病気を見つけ出し闘おう」としていた。また、「宇宙エレベーターをカーボンナノチューブで作ろうとするグループ」もあった。当時、トゥレヴスキは「何でも鵜呑みにしてい」た。

 しかし 15年前(2002年頃)「本当に素晴らしい科学の研究がなされ」、「私たちは多くのことを学び」、「この科学を新たな技術へと転換すること― 本当にインパクトのある技術にはできなかった」事がはっきりしてきたとする。「その理由は これらのナノマテリアルが― 両刃の剣のような物だから」であり、「ナノマテリアルはその大きさにより 興味深い一方で、その大きさゆえに扱うのが極めて困難だった」からだとする。「技術を構築するために 何百万もの粒子をひとつずつ組み立てるなんてできなかったから」だとする。「病気と闘うナノボットは存在せず 宇宙エレベーターも存在せず 私が最も関心を寄せていた 新種のコンピューティングもありません」と言うのが現実だったと告白する。

 そして、彼は、「一番大切なこと」は、私たちは「コンピューティングの進歩の速度は 永遠に維持されると期待するようになり」、「この考え方に基づいた経済システムが出来」たことだとするが、「この進歩は 永遠に続くわけではな」く、「事実パーティーの熱は冷めつつあり」、「速度や性能などの多くの指標で 細かく見てみると、既に進歩はほとんど停止して」いて、「このパーティーを続けたければ 自分たちでできる事」、つまり革新をする必要がある事だとするのである。

 彼にとって、その革新とはカーボンナノチューブを使うことであり、「この技術で進歩のペースを 維持する道が開ける」とする。これは、「小さくて穴のあいた炭素原子のチューブで」、「このナノスケールサイズという大きさが、素晴らしい電子状態を生み出」すのであり、「もしコンピューティングにこれを導入できれば、性能が最大10倍に上昇し」、「たった一歩で数世代分の技術を飛び越える」ことにもなるとする。しかし、「ここで両刃の剣が再登場し」、「この『理想的な解決策』は取り扱いの困難な物質を含」み、「コンピューターチップ1つを作るには それを何十億個も並べなければな」らず、「またもや同じ難問」に直面する。そこで、「対処していないことは何だろう? 何が足りないんだろう。成功させるのに必要なこととは何だろう?」と考え、「彫像が自らを形作る」と言う答えを得たとする。 「何十億もの粒子が自律的にナノ分子構造を組み立てる方法を何とか見出して技術にしなければな」らないとするのである。これが「唯一の方法」だとする。

 すると、「これは何も特殊な問題ではないとわかり」、「見回してみると、至るところにお手本があり」、「母なる自然はあらゆるもの」を「ボトムアップで作」る事に気づいたのである。「浜辺へ行けば シンプルな生命体がタンパク質を使って・・ 砂をテンプレートとして、海からそれを汲み上げることで、実に多様な構造を構築してい」るとする。「自然はエレガントでスマートで」、「手に入るもので、分子をひとつずつ組み立てて、私たちが近づくことすらできない複雑さと多様性のある構造を作り上げる」とする。まさに「自然は既にナノの世界」であり、「何億年も前から存在してい」たのであり、「パーティーに乗り遅れていたのは 私たち」だったとする。

 私たちも、「自然と同じツール」、つまり化学をつかい、「化学がうまく作用し」、「ナノスケールの物質と同じぐらいの大きさの分子をツールとして用いることで物質を操作でき」るようになったとする。「私たちは埃の山― ナノ粒子に作用する化学を開発して必要なものを取り出し」、「化学を使って文字どおり何十億もの粒子を回路の構築に必要なパターンへと並べ」、「これが実現できれば、ナノマテリアルを使う前の何倍もの速度の回路を構築でき」るのであり、故に「化学こそ失われたツールであり 日に日に私たちのツールは シャープで的確になってい」くとする。

 こうしたカーボンナノチューブを応用した「コンピューティングはほんの一例」であり、「私が興味を持ちグループが注力しているもの」だが、「その他にも再生可能なエネルギー、医学、構造材料があり、それらがナノに向かっていくということを科学が示唆してい」る。「そこに最大の利益があ」るが、「それを行うには、科学者には新しいツールが必要」だとする。「科学の美点は、この新しいツールをひとたび開発すれば、そこに存在し続けること」だとする。彼は、カーボンナノチューブを起点に「も再生可能なエネルギー、医学、構造材料」へとナノテク応用範囲の拡大をはかろうとしている。

 日本でも、「首都大学東京 都市教養学部理工学系 物理学コースナノ物性I研究室」(HP)は、2011年時点以降にこのカーボンナノチューブの研究に特化している。つまり、同室は、「主な研究対象はカーボンナノチューブ[「物性評価を産業技術総合研究所 片浦グループと協力し」、「カーボンナノチューブのいまだ明らかにされていない物性解明にチャレンジし」たり、「第二世代カーボンナノチューブの内部の「すきま」に色々な物質を導入して、これまでにない性質を「創り出す」ことにも挑戦して」いる] 、グラフェンや窒化ホウ素などの単原子膜、ゼオライト、フラーレンなど」に限定しており、「核磁気共鳴(NMR)法、 X線回折法、比熱・ゼーベック係数・磁化測定、広帯域インピーダンス測定法、ラマン散乱分光法など幅広い実験手法と、 分子動力学法 (MD法)と呼ばれる計算機実験を組み合わせることによって、ナノメートルサイズの特徴的な構造を持ち、バルクとは異なる性質が現れるナノ物質系の物性解明に取り組んで」いる。

 これによって、同研究室は、@半導体型単層カーボンナノチューブが巨大なゼーベック係数(熱を電気に変換する熱電変換材料への応用には必要不可欠な性能)を示した事、A「単層カーボンナノチューブを使ったフレキシブルな熱電変換素子を作って実際に体温から発電することに成功」し「 体温と室温の差によって2.6 mVの電圧を発生させることができ」、「自動車や地下鉄の機器の配管などに張り付けることで廃熱を有効に電気に変換できる可能性を持」つこと、B「カーボンナノチューブの内部空洞を利用することにより、バルク物質にない新規分子配列を実現することができ」、「ハルデン状態を提供しうる新たなプラットフォームになり得ること」、C「グラフェン」などの「二次元物質における異種材料の接合から実現できる、「接合部に生じる一次元界面」や「量子細線」をエレクトロニクスやオプティクスに活用することを目指し」、「 最終的には、極限的な微細伝導チャネルかつ単原子厚のサイズを持つ光・電子素子のプロトタイプを実証し、新しい物理現象の探索や将来のデバイス応用の可能性を探りたい」と、実に意欲的な研究に従事しているが、これが人類文明にいかに関わるかは全く不明である。

                                      A ナノテクと生物学

 生物活動との連関 ナノサイズの分子マシンによって「あらゆる種類の分子を組立てて、どの様な分子構造のものでも創出することができる」と言われ、それは「いわゆる生物がもつ自己組織化、自己修復、自己増殖などの機能を活用するもの」でもある。ここに「物理学を超えて生物学と結びつきはじめ」ることにもなるとされた(東邦大学理学部HP「先端技術の表と裏」)。

 そして、ナノテクノロジーは、大きな「生物学的な変化を、人間の生体に引き起こす可能性」(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、33頁)を帯びることにもなる。

 ナノテクとDNAチップ技術 1940年代にダイオードが発明され、それをコンデンサなどと一緒に使用することで様々な機能を有する基板が作られ、「その回路を微細加工技術で一つのチップ(基板)上に実現した集積回路が開発され、さらに、その配線幅をナノメートルサイズに微小化していくことで、その集積度を向上させた半導体が出現」した。

 これによって、「現在のコンピュータを使用した安価な装置が次々と登場し」、「チップテクノロジーはチップ(半導体基板)の微細加工技術などを生命科学の分野に応用し、小型化と高集積化により生物試料の解析が実施できる技術(“バイオチップ”)」となる。この技術には、「生体成分の解析が迅速(秒単位)に実施できる為に短時間に結果が得られること、一連の操作が自動化されて網羅的な解析が可能なこと、などの利点があり」、「チップ上の物質と相互作用する成分を探索したり、相互作用する成分のシグナルパターンから生体情報を得ることができ」、「この様なバイオチップテクノロジーの本格的な展開は、DNAチップの開発に始まり、その後、プロテインチップ、糖鎖チップおよび細胞チップなどへと発展」するとする。(東邦大学理学部生物学科HP「先端技術の表と裏」)。

 ナノテクとプロテインチップ技術 そのプロテインチップとは、「生物試料中のタンパク質の網羅的解析等に用いられる手法で、通常、コーティングされたスライドガラス、マイクロプレートまたは膜上にあらかじめ数多くの検出用のスポットが配置されてい」て、「分析対象となるタンパク成分に対する抗体、基質成分と相互作用する酵素、タンパク質と相互作用するリガンド等が用いられ」る。

 「ポストゲノム時代において、ゲノム解析のそれに比べてより複雑なタンパク成分の解析を簡便に、しかも個々の成分の性質をも同時に解析できる系の確立」は重要課題であり、ここに「タンパク質の研究」(プロテオーム解析)の「迅速かつ効率化」が求められ、さらに、「細胞チップについては、細胞を集団としてではなく、1個1個の細胞を解析、処理する技術が探索されており、将来は細胞の分離、検出、解析、回収などのプロセスが1つのチップを介して行われるものと推測され」、プロテインチップ技術の「生物学的研究への応用」(東邦大学理学部生物学科HP「先端技術の表と裏」)がますます期待されている。

 ナノテクと生物観測技術 針山孝彦氏は、「最先端計測技術が拓くバイオミメティクス(2)ー“ナノ・スーツ法R”による生物微細構造のライブイメージング」で、ナノテクで生物観測法を生み出した事を報告する予定である。つまり、「細胞外物質を基にナノ薄膜を重合させ、生体内部の気体や液体を高真空環境下で保持させ」、「多様な生体適合性物質を選択し、これを生体表面に塗布し重合させることで生きたままでの高分解能電子顕微鏡観察を可能」となり、「この“NanoSuitR”法は、生きたまま・濡れたままのさまざまな試料を高分解能下で観察可能とすることができ、バイオミメティクスや生命科学の研究に有用であ」り、これによって「生物が分泌する細胞外物質に電子線やプラズマを照射することで、高真空下でも生きた状態で高分解能電子顕微鏡を用いて観察を可能にした」という(2017年2月国際ナノテクノロジー総合展・技術会議「nano tech 2017」)。

 このように、現在でも、ナノテクによる生物学研究の一層の発展が期待されているのである。

                                     B ナノテクと医学 

 病気のナノテク的把握 ドレクスラーは、人間が病気になるのは、ナノテクノロジー的には、「原子を配列する技術が未熟であり、秩序性なく原子を操っているから」、「体の組織をつくる分子は秩序を失って変化してしまい、健康を脅かし、やがて命自体も失われる」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、4頁)からだとみる。

 彼は、「人間の身体は分子でつくられているのだから」、病気、老化、怪我は「原子の配列パターンの乱れにいきつく」から、「健康促進に分子テクノロジーを応用できる」。つまり、「このような配列を乱した原子を正しい位置に戻すことができるので、ナノテクノロジーが、医療の根本的なブレークスル―となると期待される」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』147頁)とする。

 ナノテク医療 ドレクスラーは、「医師の目的は、病気の組織を健康にすることである」が、「薬と手術による治療では、組織による自己修復を活性化するにすぎない」のに、「分子マシンを使えば、もっと直接的に組織を修復でき」、まさしく医学の新時代到来である」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』157頁)とする。ホールも、ナノテクノロジーによって、「大量のナノマシンを通す管となる」「髪の毛ほどの糸を挿入しておこなう手術が実現」し、「問題の部位のまわりに網状に広がって、病気の組織矢傷んだ組織を復元」するはずだと主張する(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』322頁)。

 彼らによればナノテク手術とはこういうものになる。つまり、「低温で使用できるようにデザインされた外科用デバイスは、液体窒素を介して、患者の脳につながり、そこで大動脈と大静脈につなが」り、「ナノマシンの一団はこの開口部になだれ込み、まず大きな血管のクリーンアップを始め、次いで毛細血管に移」り、こうして「患者の体の正常な組織に通路をつくることになる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』193頁)。さらに、「ナノテクツールを使う外科医は、鉄の板であるナイフの刃で体を切るようなことはしない」で、「現代の外科用メスより小さく、空母より複雑なマシン」は、「細胞を切り裂くのではなく、くり抜」き、「処置する組織の詳しい分析結果を、今日のインターネット全体よりも大きなデータベースに送」り、「手術が終わると、別のマシンが、保存された情報と埋め込まれた印を使って、断ちきったところを元通りにし、健康な組織として問題のない状態にする」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』322頁)。

 この点、ダグラス・マルホールは、「潜水艦のような自律型微小機械が動脈内をパトロールして、心臓病の原因になっているような脂肪のかたまりを取り除いてくれるようにな」り、「初めのうちは、そうした道具は、ナノスケールではなくマイクロスケールで実現」し、「マイクロマシンがさらにナノマシンにまで進化するにつれ、動脈の清掃は、免疫系を一時的ないしは局所的に抑止するかたちで行なわれ」、「こうした体内清掃用のナノマシンは、免疫系を一時的ないしは局所的に抑圧するかたちで行なわれることになる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』114−5頁)とする。

 現在は、マイクロロボットが治療行為に関わっている。例えば、2016年7月、「全南(チョンナム)大学機械工学部のパク・ソクホ教授チームは・・未来創造科学部の支援を受け大腸がん・乳がん・胃がん・肝臓がん・すい臓がんを治療できる直径20マイクロメートルの超小型ロボット(実体は免疫細胞のひとつであるマクロファージ[大食細胞])を世界で初めて開発し」、「このロボットは腫瘍の核心である中心部分まで浸透」し、「マイクロロボットを投じて24時間で大腸がん細胞が45%、乳がん細胞が40%程度減ったのを発見した」とした(「韓国、1日でがん細胞の40%を食べる「超小型ロボット」を世界で初めて開発」[中央日報日本語版 2016年7月27日配信])。

 ナノメディシン 現時点で「ナノメディシン」として研究されているものは、マイクロロボット以外では、イメージング、計測、ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)、ナノ材料、ナノバイオロジー、再生医療などが主なものである。

 例えば「ナノバイオ医療革命」で挙げられているのは、DDSのためのミセル(直径50nm)、マイクロ化学チップ(「マイクロチャネル」と呼ばれるナノからマイクロサイズの溝が掘られている)、MPCポリマー(細胞膜と同じリン脂質構造を持ち、人工関節の長寿命化などに有効)、骨の切削面の「マイクロ、ナノレベルでの微細加工技術」、MEMS(Micro Electro MechanicalSystems)、マイクロ・モーター、DNAピンセット、バイオ・マニピュレーション(「光ピンセット」によりDNAを切断、DNAをつまんで再配置、DNAを糸巻きに巻きつける、電気パルスにより細胞の中に物質を導入、細胞を融合させるなど)、DDSにおける分子シャペロン(通常はタンパク質を修復する生体分子)の利用、インクジェットプリンターによる人工骨の創製等である(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

                               C ナノテクと遺伝子工学 

 DNAの加工
 遺伝子工学者は、「現代の遺伝子合成装置を使って、もっと規則正しい高分子化合物(特異的DNA分子)をつくり出」し、「DNAを構成する分子はヌクレチド」で、「遺伝子工学者はこれらのヌクレオチドを一緒に容器に投げ込むようなことをしない」で、「ヌクレチオドを特定の順序で結合するよう機械に命令し、特定のメッセージをつづる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』8頁)ようにしたいとする。

 そして、遺伝子工学者は、「『制限酵素』と呼ばれるタンパク質の分子マシーンは、DNA鎖の特定の部位に接触すると、『ここを切断しろ』という命令を解読し、いくつかの原子を再配列させ鎖を切断」し、「別の酵素は『ここを接合しろ』という命令を読むことができ、少数原子の再配列により鎖を接合」し、こうして「このような酵素を使うので、『書き込み』、『切断と張り付け』によって」、「どんなDNAメッセージであろうとも書き込んだり編集したりできるようになった」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』9頁)とする。つまり、「細胞内では、分子マシンはまずDNAの情報をRNAのテープに移」し、「続いて、従来の数値制御された機械がテープに記録された指示に従って金属を加工するように、RNA鎖に記録された指示に従ってリボソームはタンパク質を合成」し、「このタンパク質こそ有用な分子である」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』10頁)とする。

 この点は、ダグラス・マルホールも、ナノスケールの工場は、「DNA内部に数十億年前から存在してきたもの」であり、「遺伝子は、『リボソーム』と呼ばれる分子機械を操ってタンパク質を合成するソフトウェア・コード」であり、「合成されたタンパク質は、ホルモンをはじめ酵素や、その他の構成素の内部へと畳み込まれ」、「その仕組みを解き明かし、遺伝子誘導法を手に入れることができるようになれば、『アセンブリング』の幸先のよいスタートが切れることだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』58頁)とする。

 そして、ドレクスラーは、「アセンブラーの出現には何年もかかるかもしれない」が、「すでに『遺伝子工学』『バイオテクノロジー』の名のもとに最初のステップは踏み出されている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』34頁)とするが、実際には倫理問題も絡んでこれは余り進捗していない。いまだに次のようにゲノム分析にとどまっているようだ。 

 ゲノム解析 2016年、三井敬之氏(専門は生物物理、表面物理、ナノテクノロジー)は、STM(Scanning Tunneling Microscope、走査型トンネル顕微鏡)を使って「原子や分子を操作してナノメートル(nm:1メートルの10億分の1)の大きさの構造の物質をつくり、それを組み立てて新しい素材や新しい機能を持った装置をつくり上げ」、原子、分子レベルで「生物のふるまい」の解析を通じて、生物の成り立ちを追究する。

、生物物理学の最先端の世界では、「遺伝情報を担うDNAが二重らせん構造になっていること、4つの塩基という分子の組み合わせで遺伝子の性格が決められること、さらにはそのDNAがつくりだす生物の遺伝情報の総体(ゲノム)も明らかになってきてい」て、「塩基配列をバーコードをスキャンするように読み取ることのできるSTMを利用した私たちの方法を使えば、ゲノムの解析などはもっと安く短時間ででき」、「地球上の多くの生物種のゲノムの解析が進み、生命の機能を物理的に観測できれば、種の保存や薬の開発などにも大きな貢献ができる」とする(公益財団法人テルモ生命科学芸術財団のHP)。まだまだ期待の表明にとどまっているということだ。

                                        D ナノ経済 

 道路下の太陽電池 1985年、ドレクスラーは、「道路や建物はもちろん、さまざまな構造物の表面に埋め込まれた無数の太陽電池が備える潜在的な利点について、詳細に論じ」、「低い生産コストに高い効率性とナノコンピューティングが組み合わされれば、ドレクスラーの予想も現実のものにな」り、「そうなれば、化石燃料時代が終焉を迎えるのも、当初の予想以上に早まるだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』193頁)。これによって、太陽エネルギーを使うナノテクノロジーを駆使すれば」、「太陽エネルギーが低コストで効率よく得られ」、「微小サイズで恐ろしい柔軟性に富んでいる太陽電池は、肉眼では見えないのだが、車はもちろん建物や歩道表面に塗りこめられ、エネルギーを乗り物や機器に送り届け」、「新たな太陽経済」下で、「生産工程自体でエネルギー不足が解消され」、「水力発電用ダムや沖合での掘削作業をはじめ、石油流出や一局集中型の発電所といった『文明の暗い影』」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』193頁)消え去るだろう。

 生産材料 「分子アセンブリが現実のものになれば、現在のグローバル市場でお馴染みとなっている多様なビジネス形態も意味を失い、その結果として、環境汚染を減らすこともできるはずだ」。「ナノ経済では、大半の製品が、炭素、窒素、酸素、水素だけで作られ」、「こうした元素は、すでに自然環境にふんだんに存在しているので、道路はるばる搬送する必要もな」く、「製造は、はるかかなたの工場ではなく製品が使われる現場で手軽にできるようにな」り、「その場合、有害物質はいっさい放出されないだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』200−201頁)。

 「ダイヤモンドよりも硬くアルミニウムよりも柔軟性に富んだ物質が大量に必要になった場合は、ソフトウェアを使って分子センブラに指示を出し、カーボン・ファイバーを送り出して、ケプラー(米国デュポン社製の防弾服用アラミド機械)状のシーツを編ませればよ」く、「こうしたシーツは、太陽エネルギーを吸収して再利用できるため、どんな場合でも安全で廉価なエネルギーは不自由しなくな」り、「分子ルネッサンスはもう始まっているのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』202頁)。

 生産形態 ナノテク生産は、「自宅や近所にある自動車サイズないしはデスクトップ型の分子アセンブラ内でまかなえるようになるだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』202頁)。

 分子技術の成果 「分子技術は、エネルギーと原料の再利用はもちろん、その利便性や複雑性、そしてコストに、劇的な影響を及ぼ」し、例えば、@「ガラスからつくられた『ナノ謬(グルー)』によって、天然の麻が全天候型の建築用削片板に変わってしまうかもしれ」ず、A「自動車の車体表面やサングラスには、ナノコーティングが施されることで、引っ掻き傷がつきにくくなるはず」で、「車体表面から落ちにくいので、コーティング素材の一部が環境へ撒き散らされ」、B「ナノスケールのコーティングはすでに、クロム合金に代って船舶や潜水艦の部品に塗られ」、「その結果、機械の寿命は延び、環境へのクロミウムの核酸も抑えられ」、C「スキンクリームに代っては、ガンを誘発する危険な紫外線をカットするナノ顔料が登場」し、D「耐火用には、ナノ粒子ジェルが開発され」、「通常は透明な『熱遮断層』を作っているが、火災時には泡状に広が」り、「ドアや壁に使用される耐火化学物質の量も少なくてす」み、E「紙に含まれる硫酸を中和する特殊なナノジェルが開発され、本の寿命を延ば」し、F「ユニチカとトヨタ技術研究所は共同で、生物分解が可能なナノ合成物を製造する新技術を開発し」、「この合成物は柔軟性に富んでいるため、使い捨て容器や泡状物質にはまさにうってつけの素材」である。「こうした動きはどれも、すでに環境分野では『分子時代』が到来していることを予告」している(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』191−2頁)。

 有害物の処理 ナノボットは、「肉眼では捉えられないものの、川底まで穴を掘り進めてダイオキシンやヒ素、重金属などの『重工業』副産物を分解すると、自ら活動を停止させ無害な砂粒になってしまう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』194頁)。

 分子時代の農業 「都市化の波から農地を救おうといったこれまでの議論は、都市に『超農地』がお目見えし『本来の農地』の必要性が減少していけば、時代遅れになってしまう」かもしれない(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』198頁)。「分子時代の農業」は、「一人当たりの土地の広さが削減され」、かなり先には「分子アセンブラーによって食物が作り出される」から、「土地集約型のそれではなくな」ろう(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』198頁)。

 人類は、@機械によって「人類は、土地の風景を数週間から数ヵ月で変えてしまう」が、A「ナノテクノロジーを通じ」、「自然のプロセスを真似ることで、環境へ及ぼす人類の影響を最小限に食い止め」、「それとは正反対の力を得るだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』200頁)。


                                     (2) 構想中のもの

                                     @ ナノテク研究方向  

 楽観論 ドレクスラーは、「森林伐採からダイオキシンまで、進化によって適応するよりも速く、地球を損傷してきたから」、「地球の生物学的システムが、産業革命に適応しなかったのは当然である」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』176頁)とするが、「将来のテクノロジーでは、地球にやさしく、我々に益するようにできるであろううし、そのうえ、惑星修復マシンだって組み立てることも可能になるであろう」とか、「修復アセンブラーを使えば、我々の燃料消費文明が大気に排出した数十億トンもの二酸化炭素を除去することもできる」とか、具体的根拠もなく修復マシン、修復アセンブラーなどへの楽観的期待論を標榜する(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』176頁)。

 アセンブラー その後、一時期、「テクノロジーは大きく進歩」し、「生化学者は、タンパク質のデザインを手中に」し、「エンジニアは、タンパク質マシンを使い、アセンブラーをつく」り、「アセンブラーは、ナノテクノロジーの主役」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』193頁)になる。しかし、「アセンブラー開発には年月(30−100年)がかか」り、「細胞について研究することやバイオスタシス(生命恒常性、永遠の生命を目指したもので、蘇生させる必要がある)状態の患者の組織修復を研究することは、もっと時間がかかる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』204頁)。

 宇宙開発 ドレクスラーは、「レプリケータと宇宙資源により、今日より1000倍以上大きな富と生活空間を持てる時がくるかもしれ」ず、「蘇生そのものは、今日の基準であっても、ほんの少しのエネルギーを必要とするだけだろう」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』205頁)とする。彼は、「今世紀(20世紀)には、航空機、宇宙船、原子力発電、そしてコンピュータが開発され」たのであり、「次の世紀(21世紀)には、アセンブラー、レプリケータ、自動エンジニアリング、経済的なスペースクラフト、細胞修復マシンなどが開発されるに違いない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』207頁)とする。

 ナノテク社会の未来 J.ストーズ・ホールは、ナノテクノロジーのもたらす未来について誰も「わからない」のは、「人類の祖先がアフリカの平原で石を削っていて、それが今の人類に綱がとは思わなかったのと同じだ」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』378頁)とするが、現代の重大岐路については、そういうわけにはいかない。人類文明終焉と「非人類」文明開始という分水嶺に直面しているからだ。だから、J.ストーズ・ホールは、この重大岐路もわからずに、「われわれは、元来の居場所を荒らし、地球に溢れ返り、なくなりつつある資源をめぐって戦う道しか望めなくなるのか?」、それとも、「宇宙への戸口に立ち、真の知性の時代の幕開けを目にし、人類による冒険の始まりに立ち会うか?」の「選択」は、あなた次第とする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』378−9頁)。

 日本でナノテク研究の一中心となっている産業技術総合研究所は、「2015「年までに、世界全体で 200万人(米国で80−90万人、日本で50−60万人)のナノテク研究者・技術者が必要と予測」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)している。この時までは、ナノテク関連の研究に携わる者の数は今後さらに増加する可能性があると見られていたのである。


                           A ナノテクによる人口増加・食料危機対応 

 食糧危機 エドワード・O・ウィルソン(Edward Osborne Wilson、社会生物学者)は、「灌漑と合成肥料をつかう」大規模農業によって、「ホモサピエンスがすでに20世紀末には生物圏の持続可能な容量を超え」たとする。J.ストーズ・ホールは、「我々が自分たちをいかに危うい立場を追いやっているかは、1930年以降、ニレ立ち枯れ病がアメリカのニレの木に与えたような打撃を、何か新しい病気が小麦や米に与えた場合を考えてみればわかる」とする。彼は、「人類が危うい」のは、人類の「生命の層」が「無きに等しいほど薄い」のに、「生物圏に対する負荷を増やしつづけている」からであるとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』360頁)。これに対応できるのはテクノロジーだとする。

 つまり、ホールは、「農業だけで、存続可能な人口密度が増したように、ナノテクノロジーがあれば、ない場合より、養える人口はずっと多くなる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』360頁)とする。彼は、2002年、「アメリカで人口密度が最も高い市町村」は、ニューヨーク市(1平方マイル8159人)ではなく、ジャージーシテイ(1平方マイル当り1万3044人)であり、地球上の陸地がこのジャージーシテイと同じ人口密度になると、「世界人口は7500億、つまり現在の人口の125倍にな」り、「これでは牧草地、農場、公園、森林など何も確保できないから、食料はすべて海(または合成機)で生産しなければならないであろう」とする。しかし、ナノテクノロジーを使えば、「陸地の1%だけに、高さ1マイル(約1600m)の高層ビルを建てれば、今の5倍の人口を収容しながら、残りの99%を自然のまま残せ」、「農業でなくナノテクによるリサイクルが、生物圏の扶養能力を補ってくれるだろう」とする。だが、「人口が10回倍増したあたりでにっちもさっちもいかなくなる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』360−1頁)ともする。これを解決するのが宇宙開拓だというのである。問題の立て方、その問題の解決方法、いずれも「荒唐無稽」、「大風呂敷」の観を免れない。ひとまず、彼の宇宙開発論を瞥見してみよう。

 宇宙開発 J.ストーズ・ホールは、後述のドレクスラーの宇宙開発論にも影響されてか、、「ひとつきりの地球にだれもが暮らし、人間の活動がなんでもそこでされるとしたら、生物圏の多くを自然のまま保全することは、今後ますます難しくなる」が、「宇宙へ飛び出せば、地球はやがて、人間に居住可能なエリア全体の1%の1%にも満たなくな」り、「地球上の大部分が手つかずのまま残り、現生種の多くが絶滅から救われる可能性が高そうだ」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』362頁)と見通す。彼は、「恐竜を絶滅させた小惑星がいま一度訪れたら、人類のささやかな舞台は幕を閉じ」たり、「ひどい疫病ひとつで人類の多くが消え去る可能性はつねに存在」するから、「確かに、長い目で見れば、人類は地球から出て暮らしたほうがいい」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』362頁)ともする。ここには地球利害の実の視点があるだけで、宇宙の側の視点が欠落していることを指摘するにとどめておこう。

                            B ナノテクによるエネルギー危機対応 

 エネルギー危機には、地球のエネルギーが枯渇するという危機と、エネルギー消費がエントロピー増加させるという危機の二つがある。

 化石燃料枯渇対策 ホールは、前者の対策について、現在「富の大部分を占めるのはエネルギー」であり、化石燃料からの脱却で気候変動の影響に対応でき、特に太陽エネルギーは重要となるとする。つまり、「太陽エネルギーを使って宇宙で暮らした場合、人口が現在の1000倍になり、各人が現在の1000倍のエネルギーを使うとしても、消費エネルギーは太陽が生み出す量の100万分の1にも満たない」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』366頁)とするが、その数千億の人類が出すゴミは宇宙を大きく汚すであろう。

 エントロピー増加批判 後者のエントロピー増加に関して、 これは「熱消費と無秩序性についての科学的尺度」であり、エネルギーを消費すると、こうしたエントロピーは増大するから、「世界のエントロピーは不可逆的に増大し続ける」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』221頁)ことになる。

 リチャード・バーネットは、『凶年ー飢餓時代の政治』(Richard Barnett,"The Lean Years:Politics in the Age of Scarcity,"New York:Simon & Schuster,1980)で、「排熱と乱雑さが人間の活動の極限まで蓄積されてしまった」と指摘する。バーネットは、「熱蓄積は永久的エネルギーのコストであり、人間の活動を制限する」とするのである(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』221頁)。

 一方、ジェレミー・リフキンは、『エントロピー 新しい世界観』(Jeremy Rifkin,"Entropy;A New World View,"New York:Viking Press,1980)で、「究極的には、有効なエネルギーは散逸して、生命の基礎を破壊する」とする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』221頁)。彼は、「地球の利用可能エネルギーが、利用不可能なエネルギーに変換されたすべての集約が環境汚染だ」とするのである(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』222頁)。

 ドレクスラーのエントロピー論反駁 ドレクスラーは、以上の「リフキンもバーネットも・・環境を問題にするときに、地球を中心に論じ」、「彼らは、太陽光と夜空の冷黒を無視」したト批判する。彼は、地球のみならず、「この法則は全体としての環境、つまり、宇宙全体に適用されるべきである」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』222頁)とするのである。

 リフキンとニコラス・ジョージェスク=レーゲン (Nicholas Georgescu-Roegen)は、共著『エントロピーの法則と経済のプロセス』(”The Entropy Law and the Economic Process,”Cambridge,Mass.:Harvard University Press,1971)で、「廃棄物をなくす努力をすべきこと」を説き、「第三世界の人々は、アメリカにあるような物質的豊かさはけっして訪れることはないだろう」と強調した。しかし、ドレクスラーは、「最大のエネルギー消費体は・・太陽である」から、リフキンは、「太陽を取り除け」と主張するべきだったと批判する。「こうした愚かしい結論のため、リフキンは失脚」したのだとまでする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』222−3頁)。

 ドレクスラーは、スチュアート・カウフマン(彼は無秩序を生みだす熱力学第二法則「エントロピー増大の法則」に対抗して、地球上の生物の複雑多様な進化は「自然淘汰」・「突然変異」のみならず、「自己組織化」が決定的な役割を担っているとする[米沢富美子訳『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則ちくま学芸文庫、2008年])の提唱した「偽物の第四法則」と違い、「熱力学の第二法則」こそ「純粋なエントロピーの法則」であり、「人間が活動すれば必ず熱を発生」し、「地球の放熱が限られているので、地球上での工業の絶対量に限界がある」とする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』223頁)。だから、彼は宇宙を開拓せよと主張することになるのである。

 彼は、「すでに葬られた考えをあたかも生きているかのように報じ」、「間違った希望を与え、誤った恐怖におびえさせ、行動を正しく導かず、これらの考えはもっと長期の世界規模の問題についての人間の行動の妨げになっている」から、リフキン『エントロピー』を「否定」するとする。そして、「現代が技術社会であるにもかかわず」、リフキン賛同者は「技術系ではな」いとも批判する(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』223頁)。

 宇宙開発 ドレクスラーは、宇宙開発に「AIとナノテクノロジーの進歩が重要な役割を果たすに違いない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』125頁)とし、「宇宙開発を進める新たな人々の狙いは、宇宙をフロンティアとすることだ」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』126頁)と見る。

 彼は、「宇宙には工業的展開の可能性が限りなく広がっている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』128頁)から、「現在のテクノロジーを利用すれば、我々は宇宙のフロンティアを開拓でき」、「繁栄が手元にあ」り、「成長の限界に別の道を拓き、将来の展望の陰りを和らげる道としたい」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』132頁)とする。

 ドレクスラーは、「太陽の持つ資源は最大であり、地球の資源は比較にならないほどわずかだ」が、「実際に消費するエネルギーは、地球に届く太陽エネルギーの一万分の一程度である」から、「太陽エネルギーや資源を集める無公害なナノマシンを開発できれば、地球に生活する人々をもっと豊かにできるだろう」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』223ー4頁)とする。彼の宇宙資源活用欲望は無限であり、「銀河系の持つ資源に比べると、太陽系の資源は些細なものとなるが、「銀河系も点であ」り、「目にすることのできる宇宙には1000億もの銀河系があり、それぞれに10億個の太陽があ」る。だから、彼は、「ある意味で、宇宙を広げることは、成長の限界を切り拓くことになる」のである。「成長の制限は続くが、今人間が使っているすべてのパワーの10億倍もの陸地領域を削ることも可能」であり、「太陽系の資源から、地球の陸地の100万倍もの陸地領域を削ることも可能」であり、故に「アセンブラーや自動エンジニアリング、そして宇宙資源を使えば、我々は、迅速に量と質において夢を越えた富を獲得することができるだろう」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』318頁)とまでするのである。

 マルサス『人口論』は、「資源(食糧供給)によって、一年当たりの人口増加が規定される」から「無制限な人口増加は必ずや食糧生産を越えてしまう」として、「現代の成長の限界論争のルーツ」となった。しかし、実際には、「アフリカ以外では、食糧生産が人口を上回ってさえい」て、マルサス人口論は間違っていたかであるが、マルサスは「根本的には間違っていない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』225−6頁)とする。ドレクスラーは、「地球の成長はいつかかならず限界に遭遇せざるをえない」が、「農業の機械化、穀物の遺伝学、そして農薬のブレークスル―を予測でき」ずに、「マルサスはこの限界に、我々がいつ遭遇するかを予測できなかった」だけだとする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』226頁)。

 このように、ドレクスラーは宇宙資源の活用で限界に対処しようとするが、「我々以外の文明・人が、これまでに宇宙資源を手にしてい」れば、「それは成長の限界を意味する」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』226頁)とする。宇宙人は、「自然法則によって想定された制限に、近づくテクノロジーを進化させ」、「光に近いスピードで移動でき」るから、「我々の住む太陽系は、彼らの領土となってしまっている」かもしれないとまでする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』227頁)。

 ローマクラブ『成長の限界』、ミハイロ・D・メサロビッチ『変革期の人類』は、宇宙資源活用などを考慮することなく、未来の成長の限界には「何のブレークスル―も起こらないとする」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』229頁)ものだと批判する。ドレクスラーは、こうした「テクノロジー進歩の可能性を無視したり、あるいは否定したりする傾向」は、「共通の問題として対処しなければならない」とする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』229頁)。「広い視野に立てば、宇宙こそが真の全世界であり、地球は空間と資源の大海に浮かぶ微小な泡にすぎない」から、「人口の過密と資源の枯渇に対する解決策は、言うまでもなく宇宙への移住」となる。確かに、宇宙進出には「現実的な困難が多い」から、「宇宙への進出が荒唐無稽に思える」。しかし、「ナノテクノロジーが成熟すると、従来多大な労力を要した仕事を単純作業に投じる機能は、現在ソフトウェアの世界で実現されているように、現実の世界にも登場する」ようになり、新たな高度ナノテクでは「安価で容易で安全」になるとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』370−371頁)。しかし、これだけでは、宇宙進出が「荒唐無稽」ではないことを説得することにはならない。

                                 C ナノテクと自然災害対策

 自然と技術 人類文明を脅かすものとして、自然と技術がある。

 ボストロムは、「近未来で生じる大規模なカタスロフを生み出すのは、いわゆる自然現象ではなく人類が生み出した技術」であり、「ボストロムの『危機リスト』は、『人類文明の存亡にかかわるとてつもない脅威』に焦点を絞り込んだもの」である(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』258頁)。しかし、人類文明の脅威は、自然と技術の双方であろう。

 故に、ダグラス・マルホールは、「人類文明の発展を阻害するおそれのある対象に焦点を絞」り、「最先端技術を駆使して、自然の猛攻に立ち向おうと努める人類の発展を脅かす可能性を持った対象に、焦点を合わせている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』258頁)とするのは、適切である。

「人類の大いなる発展は、自然の『癇癪』によって生じる可能性があ」り、「一連の研究によって暴き出されてきたのは、大いなる自然の力を前にしては人類などなす術もないという事実だ」。しかも、「人類自身の行動が、その元凶にな」り、「今、状況はさらに悪化している」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』303頁)。

 開放系の地球 「天文学者や地球外生物学者が明らかにしているところによれば、地球に生命が存在する条件は、地球そのものや人類以上に、地球外の要因に左右され」、@2001年の新発見で「彗星が地球に衝突したことが一つのきっかけとなって海が生まれ」、A「無数のニュートリノ(ニュートリノは、中性の素粒子で宇宙を構成)が、身体を時々刻々通り抜け、また宇宙に戻」り、人体の周囲に瀰漫している。この様に、「地球は閉鎖系ではな」く、地球とは「目まぐるしく変化する太陽系を構成している一要素であ」り、「地球環境は、外的条件によって激変しうる」のである。地球は、「エネルギーと物質の両面で開かれている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』277−8頁)。

 メタンと地球温暖化 地球温暖化と言うと、工業・自動車動力源としての石炭・石油の燃焼が主因とされてきた。

 マルホールは、「小惑星の衝突や巨大火山の爆発のほかにも、地下に埋蔵されているメタン・ハイドレートによって、早くから地球温暖化が引き起こされていた事が裏づけられ」、「その放出量は、人類が現在、大気中に放出している気候変動ガスよりもはるかに多い」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』300頁)とする。

「メタン・ハイドレート埋蔵物は、現在知られているだけでも大気中に存在する総メタンの3000倍もの量がある」とされ、「地球温暖化の原因物質としてのメタンは、二酸化炭素より20倍も有害であ」り、「海面下1600フィートに存在するメタンは、華氏41度(摂氏5度)で安定状態にあるが、ほんの2度(摂氏1度)温度が上昇しただけで(3500億トンが)漏れ出してしまう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』300頁)。

 「地球温暖化をめぐる議論では従来、農業生産地を焼け付くような熱帯地域からより寒冷な多湿地地域へ移す事が、一つの方法とされてきた」。「温暖な先進諸国出身の科学者が提出した解決策は、しばしば熱帯や亜熱帯の経済では何の役にも立た」ず、「こうした悪気のない『生態帝国主義』」は、「システムがやせた土壌で徐々に衰えていったり、多国間の銀行プロジェクトからリベートをかすめ取っている賄賂の効く役人によって悪用されたり、ときおり襲う豪雨によって壊滅されたりして」、「南回帰線と北回帰線の間に位置する、地球人口のほとんどが暮らす国々に悪影響を及ぼす」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』344−7頁)とする。
 
 ナノテクによる自然災害克服 「政府をはじめ保険産業や災害対策機関は、気候変動、地震、火山などの研究に数十億ドルもの研究費をつぎこんできたが、その結果、『現行のシステムは大規模な自然の攻撃に太刀打ちできない』という衝撃的な結論を下して入る」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』328頁)。

 だが、マルホールは、分子経済下の小共同体では「気候変動などの大規模な自然現象に対する反応や地球規模で広がるテラフォーミングの衝撃に対応できなくおそれがある」とする。そこで、各共同体が、財務基盤のみならず、「地球規模で広がる環境問題」に対応するためにインターネットで連帯し、「ヒューマン・コンピュータ・インターフェース」こそが地球民が生き残る重要手段になるとする(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』508−9頁)。

 分子技術は、「環境を作り上げたいと願っている新たな個人」と、「競合する利害のバランスを取ろうとする超個体(「法規や行動規制、観念、巨大建築、環境」の総体)」との間に起きる「熾烈な戦い」の解決策を指し示すかもしれない(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』529−530頁)。

 「精度の高い分子マニュファクチュアリング」の登場で、「人類は巨大な自然災害から身を守」る可能性をみせつつも、人類は自然災害を生き抜く上で政府との協調が築けず、分子技術が「一部のエリートだけ」を救済するものとされ、「一部のエリートが大量の人間などいらない」となれば、「多くの支持を得られないだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』535−7頁)。

 これを防ぐ唯一の方法は、「人類は、一丸となって生き残るつもりでいなければならない」し、「分子科学を活用して多くの人間を救わなければならない」のである。分子技術を人類の大量生存の手段として活用し、「分子技術によって人類の能力が高められていけば、人類は、太陽系への植民や、ひょっとしたら、それを超えて旅することも、真剣に検討し始めるのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』537−9頁)。

 「分子アセンブラの登場を疑問視する声は、科学界の大半では次第にかき消され」、「それとともに、分子アセンブラーの登場を確信する技術者の数も増えてきている」。しかし、「ごく少数の起業家や学者を別にすれば、短期間でアセンブラを開発する技術を腰をすえて詳細に計画している者など皆無である」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』543頁)。

 確かに「適応は人類を惑星規模のカタスロフから守るための強力な機構なのだが、現状ではまだ、その応用については何の前兆も見られていない」ので、ここに分子アセンブラが現実となれば、「人類が備えている適応技術も爆発的な進化を遂げる可能性があ」り、「そうなれば、自然のカタスロフに対する自己防衛という新たな可能性も出て来るのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』359頁)。

 ナノテクの災害対応については、@「ナノテクの力を借りれば、・・探知システムを宇宙や地球全体へとインストールすることができ」、ナノセンサー(10億分の1m)が「圧力や磁場、温度、光、運動の変化を感知し、そうしてデータをはるかかなたにある解析用コンピュータへと送信する能力を備え」、「そうなれば人類は、無数の目と耳と鼻を、超低価格で手に入れることが可能となるかもしれない」のであり、Aユーティリティー・フォッグ(「極微のロボットが腕を結び合わせて」つくってくれるもの)によって災害衝撃を吸収緩和してくれるかもしれない」し、Bナノ・パイプ・システムによって、上下水道は「巨大災害に見舞われてもビクともしないほど丈夫」となるかもしれないし、C「分子技術によって生物合成が行われ、ナノボットがさまざまな機能を果たすようになると、生産のあり方が一変し」、「そうなれば、人類は、動植物を育て流通させるのに、中央集中型システムに頼らなく」なり、「梱包された温室」が生み出されるだろうし、Dさらに、「分子マニュファクチュアリングの次の段階では、食物合成は農作物や家畜抜きで直接行われるようになるであろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』361−6頁)とする。

 分子時代が来れば、「頼りにならない保険」や「粗末な災害救助」から解放され、「デスクトップ・マニュファクチュアリングのおかげで、ケガや病気の治療には不可欠なきれいな水や薬を手に入れる事が可能になるだろうし、その地域にある原材料を使ってゼロからすべてを作り出すことも可能になるのかもしれない」(グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』367−8頁)。個人が災害から「身を守る」力を身に付ければ、人類は「新たな個人の時代」に突入するだろう(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』377頁)。

 カリフォルニア火山が爆発しても、「噴火直後に、数百万個のナノボットが打ち上げられ、火山灰を取り込んで自己複製を行い、新たに数兆個ものナノボットを天空内に放ってい」て、「火山灰を大量に吸収したナノボットの大群は、あまりに重量がかさむために空中に留まっていられなくなり、ジェット気流から落ちこぼれ」、「こうして」半年もたたないうちに、大空は以前のきれいな状態に戻」り、「大地にはまだ若干灰が残るものの、それもじきに地中へと吸収されてしまう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』394頁)。

 こうして、ナノテクによって、「人類の未来を一変させてしまう可能性を秘めた自然のカタスロフは不発に終わる」のである(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』395頁)。

 ナノテクによる小惑星衝突防衛 さらには、人類は、地球上の生物にとっての最大の自然脅威ともいうべき小惑星衝突にも対応できるようになるとする。

 1994年に木星に衝突したシューメーカー・レヴィ第9彗星は、「人類文明が危機に瀕しているかもしれないという事実をほのめかしていた」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』272頁)。「巨大な磁石のような木星が、『はぐれ彗星』を地球の軌道から遠ざけ」、「地球は、巨大な木星に保護されている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』276頁)。しかし、その木星保護をかいくぐって地球に衝突する惑星があるのである。

 1996年に国際天文学連合[IAU]、地球近傍天体[NEO]は「宇宙から地球におよぼされる脅威を見つけ出すための、世界初の専門機関」として国際スペースガード財団を設置し、事務局をローマ、ロンドン、東京に置いた(グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』272頁)。

 「現時点では、小惑星の衝突をはじめとする『自然のカタスロフ』に対して、信頼できる防御法など存在しない」のであり、「巨大地震や津波、気候変動、ハリケーン、洪水などに対する防御策などお寒いかぎりというわけだ」。「人類は自然の災厄には」無力であり、「人類は絶えず変化を続けている宇宙から切り捨てられ」かねず、「実際、種の絶滅というのは、地球史を通じて何度も起こっ」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』325−6頁)ている。

 人類は、「自然の猛威に裏をかかれ、背後からの攻撃を受けることにな」らないようにするには、@「すでに分かっている『自然のリスク』に備えること」、A「未知の対象に『正当な問い』を立て始めること」、B「危険ではあるが、人類を守ってくれる可能性もある技術の指導原理を確立すること」の三点を「同時に処理しなければならない」のである(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』327頁)。

 ニューメキシコ州の自動観測システムは、「地球めがけて飛来する小惑星を割り出」すが、現在、割り出しても、「どうすることもできない」のである(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』396頁)。しかし、分子アセンブラーには、@「小惑星を分解」し、A輸送手段にもなり、「アセンブラーへの挑戦は、すべての基礎科学とそれ以外の多くの学問分野を巻き込んでいる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』544頁)。

 そこで、近未来、「太陽系外には何百万個ものナノ衛星が国際スペース・ガード財団によって配置され、飛来する『はぐれ天体』に目を光らせ」、同時に、「アステロイド・ベルト上にも無人のナノボット基地が数多くつくられ」る。「ナノボット(直系数ミクロン)は小惑星に着陸すると、自己複製を開始し、採掘用ロボットとなって小惑星の層を丹念に掘り進」み、小惑星を分解させる(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』398−9頁)。

 こうして、「分子テクノロジーを駆使すれば、特定地域で発生する大地震から小惑星の衝突にいたる自然のカタスロフを切り抜ける事が出来る可能性がある」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』400頁)。

 分子技術のリスク 「およそ未来についての予測は、短期のものであれすべてが『可能性』でしかない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』405頁)。「とりわけ重要な問いとは、『自然のカタスロフを避けるためには、分子技術をどう活用すべきなのか?』というものだ」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』407頁)。

 分子時代も危険なのだから、「人類はひょっとしたら、自然のカタスロフに見舞われる前に、分子技術が生み出した文化の津波に押し流されてしまうのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』408頁)。「自然災害を生き抜くためには」、人類は、「自らが生み出した荒々しい技術を手なずけ」るほかはなく、「それがもし叶わないのなら、人類は道半ばにして絶滅してしまうだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』408頁)。「こうした問題がかかわる領域は、分子技術が人類におよぼす衝撃にはじまり、そうした技術を使って人類が自然災害に備える方法にいたるまでの実に広いもの」である(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』408頁)。


                             D ナノテクとマシーンーリボソーム 

 周知の通り、ナノのスケールに到達する方策としてトップダウン型のアプローチとボトムアップ型のアプローチが試みられてきた。

 トップダウン型のアプローチ 前者は「半導体の微細加工に見られるように、大きいものからナノメートルサイズまで微小化するという流れである」。このトップダウン型アプローチは、「半導体分野を主として、微細加工、リソグラフィー、エネルギー-ビームの利用により発展し、1970年頃には100ナノメートル以下を扱うことができるようになった」ものであり、例えば、原子間力顕微鏡(AFM)では、針の先端の原子と表面の原子とが入れ替わるという現象を利用することができる(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。その他、パソコン、携帯電話など、「半導体素子のトランジスター」なども「大きな物を削りこんで小さく加工する『トップダウン』」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』31頁)で作られる製品である。

 ただし、トップダウン型アプローチの限界も認識されるようになってきている。「自律的で高い機能を持った医療用微小ロボット」というアイデアは、上述のファインマンの講演にあるものだが、「仮に、天然のNK細胞と同程度に効率よくがん細胞を殺すことができる医療用微小ロボットができたとしても、一人のがん患者を治療するのには100万ー1億台もの抗がん微小ロボットが必要になる計算となり、これをトップダウン型のナノテクで製造することは、コスト的に全く成り立たない」というのである。また、フレイタスが1998年の論文においてデザインを示した(実用化には程遠いが)医療用ナノマシンは一台あたり180億個の原子から構成されているなど、複雑な機能を持たせるために積み上げなければならない原子の数は膨大となり(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)、実現困難である。

 ボトムアップ型のアプローチ これに対して、ボトムアップ型は、「原子・分子の操作技術の発展により、原子・分子を積み上げて(ナノスケールの)構造体を形成させる」ものである。つまり、これは、「薬や洗剤、合成樹皮、石油製品などを作り出す技術である化学合成」などのように、「分子などの自己組織化などを利用した」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』31頁)ものである。

 上記の医療用ナノマシンをトップダウンで製造することは現実的ではないと考えられることから、「複雑な微小デバイスを作成しようと思えば、ボトムアップ型のアプローチ、すなわち自己組織化プロセスに依存するほか道はないように見える」(産業技術総合研究所)とも言える。現実には原子を組み合わせて機能をもつ機械を組み立てることは困難であることから、「天然の分子機械である生物や生体分子の利用」という方向性が強まったということである(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 この生物や生体分子の利用という方向性は「ナノバイオテクノロジー」と呼ばれることもあり、「ボトムアップ型ナノバイオテクノロジー」が、「従来のトップダウン型ナノテクノロジーの欠点を克服し、大量生産、精密制御、省エネなどへの新たな道が開かれると期待されてい」たが、「生体分子は寿命が短く、世代交代があれば機能を最適な状態で維持することが困難である」ことなど、容易に克服できないと考えられる弱点がある。「ナノバイオテクノロジーの中でも特にボトムアップ型の研究開発は、まだまだ始まったばかりであり」、「そのため、実際にテクノロジーとしてどのような有用性があるかわからないという声も聞かれる」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)状況である。

                                 E ナノテクとロボットーエリック・ドレクスラー 

 ナノサイズ・スペースクラフト ドレクスラーは、 「ナノテクノロジーは小さな物をつくる技術であ」り、「持ち運びできるもっとも小さいスペースクラフトはスペーススーツ」であり、「このスーツは肌と同じようなテクスチャの構造材料でつくられている」ので「こみいった動作をしても、違和感がな」く、「指の部分の厚さは1mmであるが、この中には環境適応できる能動的ナノマシンとナノエレクトロニクスの厚さ1ミクロンの層が1000層も積層されてい」て、「指先の部分には、メカニカル・ナノコンピュータが10億程度組み込み可能だ」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』135−6頁)とする。

 彼は、「高度の技術AIシステムは、このようなスーツを朝デザインし、夕には仕上げてしまうことができる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』137頁)とするが、「分子テクノロジーといっても、全てが実現するわけではな」く、「非常に速い速度でロケットに出入りできるようなスペーススーツは、どんなに素晴らしくとも、なかなか実現しないだろう」ともする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』139頁)。発案者も、ナノサイズ・スペースクラフトは実現可能性は低いというのである。

 ナノサイズ・マシン エリック・ドレクスラーは、ナノテクノロジーの夢として「原子一つ一つを操って、望み通りの動きをするナノサイズのロボットをつくること」をあげた(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』20頁)。彼は、「分子・原子レベルの制御・製造の具体的な手段とそれがもたらす文明社会の未来像を提示」し、ここにナノテクは脚光を浴びることになった(訳者斎藤隆英「あとがき」[J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』382頁])。

 ドレクスラーは、「タンパク質マシンは、タンパク質よりも丈夫なナノマシンをつくるのに役立つはずであ」り、「ナノテクノロジーはタンパク質の信頼性をはるかに越えて進展」し、「積み木のように分子が組み立てられ、つなぎあわされる」とする。こうした分子マシン(ナノマシン)の作り方は、酵素などの「タンパク質マシンを使」い、「回りの小さな分子を捕まえ、そしてそれを一緒にして結合し大きな分子につくり上げ」、「RNA、DNA、タンパク質、脂肪、ホルモン、クロロフィルなど」がその産物となり、「このようなプログラム可能なタンパク質分子マシンは、RNAによってプログラムされたリボソーム、またはパンチテープによってプログラムされた古い世代の自動マシーンとそっくりである」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』18−20頁)とする。

 彼は、「簡単な分子デバイスで、工業用機械に似たシステムを作ることも可能」であり、「30億年前、細胞はリボソームという機械装置を開発し」、このリボソームこそ「プログラムどおりに複雑な分子をつくり出せるたんぱく質とRNAデつくられたナノマシン」なのであり、「細胞内であろうとなかろうと、ナノマシンは自然法則に従ってつくられる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』11−13頁)とする。

 ドレクスラーは、タンパク質工学者たちは、「ナノ単位の腕や手を使わなくとも複雑なナノマシンを組み立てることができる」が、「研究はまだ第一段階であ」り、「タンパク質をつなぎあわせて複雑な機械にする自己組織化の力は、タンパク質分子の折りたたみ構造をつくる力と同じである」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』13−4頁)とする。

 ナノマシン開発競争 米国海軍研究所、IBM、ジェネックス社、世界中の大学の研究者らは、「すでに、分子スイッチ、分子デバイス、そしてタンパク質をベースにしたコンピュータの開発を目的とした理論的研究、および実験をはじめて」、バイオチップ(他の言葉で言えば分子電子システム)研究の競争はすでに始ま」り、日本の「NEC、日立、東芝、松下、富士通、三洋電機やシャープは、バイオコンピュータに向けたバイオチップの研究を始めている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』16−7頁)。

 第二世代ナノマシンは、「分子構造を組み立てる装置としても使え」、タンパク質のみならず、「それ以上のことをする能力があ」り、「このようなナノマシンをアセンブラー(分子組み立てマシンであり、「自然の法則の許す限り、何でもつくり上げることができる」)と考え」ることもできる。「医療、宇宙、コンピュータ、製造技術のこれからの進歩は、すべて原子を配列する我々の手腕にかかっている」から、「アセンブラーを使えば、我々の世界を再構築することも可能だし、破壊することもできる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』23−4頁)とする。

 この「未来志向の人たちが目を輝かせるアセンブラー(組み立てマシン)」こそナノテク研究の中心であり、「プログラム可能なアセンブラーを使えば、何十億という原子を適切なタイミングで適切な位置に動かし、化学の法則にしたがって分子構造にまとまらせることができ」、「不活性な小さいものを、生きているも同然の小さな自己複製マシン・・に変える」と期待されていたのである(ビル・マッキベン『人間の終焉』111−2頁)。さらに、この自己複製マシーンで「コンピュータが情報を生産するのと同じように、ほとんどコストなしで物質を生産し」、「人間の物的な必要性を解決する」のである。「ジャガイモや草は、土と水を分解し、太陽エネルギーを使ってそれを再配列」し、「牛は草をバーガーに変えるいとなみに協力」するように、「ナノククノロジーで組み立てられる物質の基本的なコストは、原材料のコストのみ」とされていたのである(ビル・マッキベン『人間の終焉』112−3頁)。

 こうして、「自己複製能をもつ分子が自己をより小さい形で複製することでナノスケールに到達する、というアイデア」は、既にファインマンが示していたが、「このような自己複製能をもつ分子が幾何級数的に際限なく増殖して地球を埋め尽くす「グレイ・グー」(Gray Goo)に関する議論がエリック・ドレクスラー(Eric Drexler)とリチャード・スモーリー(Richard Smalley、フラーレンの発見により1996年度ノーベル化学賞を受賞した)の間などで・・盛んに行われ」た(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)が、あくまで議論やSF小説のレベルにとどまっている。

                                  F ナノテクとロボット普及ーJ.ストーズ・ホール 

 未来ロボット ホールは、「現代の本物のロボットは、一般に鋼鉄だけでなく、アルミニウムやプラステイック、あるいは複合材料でできている」が、「未来のロボットは、風船形の宝石や、立ち込めた霧のようなものになるだろう」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』245頁)とする。

 彼は、「現在の多くのロボットは、頭脳では昆虫にも劣る」が、「コンピュータの能力が向上するにしたがい、ロボットの知能も向上し、制御されていない環境でも動かせるようになり、ついには人間にできることは何でもできるようにな」り、「価格が下れば、製造業やサービス業に、さらには家庭の雑用などにも用途が広がる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』246頁)とする。

 ダグラス・マルホールは、「数兆個ものサブミクロン・ロボットが、トイレ清掃からヒトの血液中のDNAストランドの修復にいたるまでのあらゆることを行ってい」て、「ロボット工学は将来、分子技術によって目や耳や足を提供してくれるようになるのかもしれない」とする。ロボットには、「ハンドサイズから分子サイズ」、「ダム端末から自己学習型機械」へという道行など、「長い道のりが控えている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』215頁)とするのである。

 近年のロボット普及 そして、近年、「コンピュータや信号取得回路、ビデオカメラ、マイク、小型のジャイロスコープや加速度計、圧力センサーなどの価格が急落している」ので、「ロボットは急速に普及しつつある」。しかし、「問題はコントローラのプログラム」であり、「コントローラがセンサーを読み取り、アクチュエータ(作動装置)を作動させ、実用的かつ組織的な動きを実現するうようにプログラミングしなければならない」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』247頁)とする。

 ナノテク・ロボット しかも、ホールはは、「ナノテクノロジーを利用すれば、人間と同じほど複雑で敏感な感覚神経系を、ロボットに与えられ」、現在の「100個にも満たないセンサーがナノテクで数百万個ものセンサーが得られ」、また、「ナノテクは「センサーの検知データをまとめて分析するのに十分な処理能力を提供してくれるだろう」とする。「今日の不器用なロボットは10−20個程度のモーターで動いているが、ナノテクロボットは数百個のモーターを搭載して、人間のように柔軟で優美な動きができるようにな」り、「数千個も搭載すれば、タコ並みの柔軟性と変形性が備わる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』247頁)と展望する。

 ビル・マッキンは、やがて、ナノテクによって、医療用ナノロボットが造られて、「血流のなかを動き回って、体内の病原体を攻撃したり、新しい細胞や臓器までもつくりだ」すかもしれないとし、「農業はなくなり、大気汚染や水質汚染も、化石燃料の使用もなくなるかもしれない」し、商品の分子構造を把握し「『新しい消費者製品が理論的に限度なく供給される』ということも考えられる」とする(ビル・マッキベン『人間の終焉』河出書房新社、2005年、113頁)。実際、ナノ医療理論家は、「『その人のDNAについての完璧な知識をもち、外来の侵入者をすべて始末できる』医療ロボットが体内をパトロールする日を待ち望んでい」(ビル・マッキベン『人間の終焉』206頁)て、「酸素と栄養部と水を積んだ微小なロボット・タンカーが、循環系の機能をすべて肩代わり」して、心臓という「不細工なポンプ」は不要となるとするのである(ビル・マッキベン『人間の終焉』206頁)。

 こうしたナノテク・ロボットなどが実現すれば、その効用は前述のAIロボットの比ではないであろうが、ナノテク・ロボット実現の具体的処方箋はない。

                             G ナノテクとフォッグ・ロボットーJ.ストーズ・ホール 

 ホールは、ナノテクノロジによって、高性能レーザープリンター(1頁当りのドットは1億3000万個)の解像度である「1インチあたり1200ドット」に相当するロボットを作ると、「そうしたロボットは、通常の物質のさまざまな性質をシミュレートするようにあれこれ性質を変えられ、制御プログラムを違うものにするだけで、押す力に逆らうことも、押された方向に動くこともできる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』250−1頁)とする。

 この高解像度ロボットについて、さらに掘り下げてみよう。「このようなロボットを箱いっぱいに詰めれば、テレビの画面とそっくりのものができ」、「三次元のドットのそれぞれに、ただの色ではなく、物理的な物体でもあるような性質をもたせ」、「テレビの画像と同じように、それぞれのロボットに実行すべきプログラムを放送信号で指示すると、形ある物体が現れ、相互作用したり消滅したりする」が、「テレビの画像と異なり、このバーチャルの物体は、現実の物体を持ち上げて運べ、重さもあり、硬くも柔らかくもなり、弾性ばかりか流動性さえもつことができる」。「箱だけでなく、家全体にこのロボットを詰め込めば、家具や家電製品、使用人ロボット、あるいは衣服さえ、命令ひとつで呼び出したり消したるすることが可能」であり、ホールは、「このようなロボットが集まってできるものをユーティリティ・フォグ(万能霧)」と名づけている。これは、「空中に霧のように満ち、われわれはその中を歩きまわれる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』251頁)とまでする。

 そして、「人間とフォグのインターフェイス」の一つは「泡」であり、「その泡の内面を形作る個々のロボット(フォグレット)は、位相制御された発光体を備え、周囲に見たいもののホログラムをリアルタイムで投影でき」、そのフォグは「表面の色だけでなくはるかに多くの情報を集めているため、擬似カラー画像でほかの性質も表現できたり、物体を半透明にして奥が見通せるようにしたり、なんでも好きなことができる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』253頁)とするのである。

                                  H ナノテクと人工知能研究 

 日本のナノテク研究者は、概して各分野のナノテク研究に閉じこもる傾向があるが、外国のナノテク提唱者らは、ナノテク研究を人工知能の領域にまで拡張し、掘り下げる。

 マイクロコンピュータ・ロボット 「マイクロエレクトロニクスの技術によって、1950年代に部屋の大きさほどもあったコンピュータは、現代ではポケットコンピュータに入っている数個のシリコンチップにまで小さくなってしまった」が、「それでも、回路の中のトランジスターには数兆個の原子があり、マイクロコンピュータは肉眼でまだ見える」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、5頁)ものだった。

 しかし、「マイクロエレクトロ二クス回路は、ミリメートルの1000分の1であるマイクロメートルの単位で測れる部品でつくられている」が、「分子の大きさはナノメートルの単位(「マイクロメートルのさらに1000分の1の小ささ」)であ」り、「この新しい技術は『ナノテクノロジー』または『分子テクノロジー』と呼ぶにふさわしい」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、5頁)ものだとする。

 ナノテクとAIシステム マービン・ミンスキーは、「ナノテクノロジーによって、棒と石が金属とセメントおよび電気に置きかわった過去の二大革新よりも顕著な効果がもたらされようとしてい」て、「一方、人工知能が我々の考え方におよぼすインパクトもはかりしれない」(マービン・ミンスキー「まえがき」[K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、E頁])とする。

 そして、ドレクスラーは、「AIシステムがナノマシンにアクセスできれば、たくさんの実験を非常に速く行えることにもな」り、「装置の設計」が終われば、「複製アセンブラーはたちまちのうちにこれらを組み立てて」ることになるとする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』120頁)。

 ドレクスラーは、「自動化技術の進歩に支えられて、分子テクノロジーが開発され、成熟期に入」り、「アセンブラー組み込みAIシステムによって、ますます迅速な自動エンジニアリングが可能とな」り、「技術的アイデアの創出は、人間の脳の100万倍も速くな」り、「多くの技術分野は自然法則が示す限界に到達してしまうであろう」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』121頁)とする。「分子テクノロジーとAIを駆使すれば、正常な組織について、分子レベルの情報を完全に集積することも可能だし、さらに細胞に入って、微細構造を探り、その構造を修飾するような細胞修復マシンを組み立てることも可能になる」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』158−9頁)というのである。

 複製マシーンとAIシステム ドレクスラーは、「細胞修復マシンのサイズは、バクテリアやウィルス程度である」が、「細胞修復マシンがコンパクトであれば、その構造は複雑なものにな」り、「複雑な動きをする細胞修復マシンには、ナノコンピュータの指令が必要である」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』159頁)とする。彼は、「複製アセンブラー(「燃料や太陽光を動力源として、アセンブラーはありふれた材料からほとんどすべてのものを作りだす」)と思考マシン(AIシステム)」は「急速に進化」し、「あと数十年もすれば・・我々を凌ぐようにな」り、「マシンと協調し、共存する道を見つけなければ、我々の将来は最大の危機を迎えるだろう」と展望する(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』233−4頁)。

 そして、彼は、国家は、「このような最新技術を使えば」、アセンブラーの駆使や最新AIシステムで人々の労働に依存する必要はなくなり、「人々を思うがままに放棄できるから」、「もはや人々をコントロールする必要がなくな」り、そして、「ナノテクノロジーと最新AIを融合して使うようになれば、知的で効率的なロボットが実現し、このロボットを使って、人間をすべて捨て去っても、国家が繁栄するといった状態になりかねない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』241頁)とまで見通す。こうして、「世界は、アセンブラーやAIブレークスルーの健全な政策を展開するミームは広まり、世の中に定着するに違いな」く、「その時に、健全なアイデアが打ち出されて、広がれば、チャンスは向上」し、「そうなれば、一般の意見と一般の施策は、危機が近づけば、その方向に移り変わることになるだろう」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』319頁)とする。

 人間知能を凌駕するAI登場 ホールは、「モバイルでないコンピュータは、すでにロボットより数が多く、処理能力が同じならロボットより必ず安価にな」り、「人間と同じぐらい賢い据え置き型コンピュータが登場するのは、人間レベルのロボットよりも早いにちがいない」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』261頁)とする。

 彼は、@脳の処理能力は、「ニューロン一個あたり毎秒100万回の演算」できるから、これにニューロンの数100億個掛けたものとされ、Aプログラミングの工夫でこの回数を100分1から1000分1に減らせそうで、「完璧なAIを動かすには、現在の高性能PC」が1000台以上か1万台必要となるかもしれないとする。「ムーアの法則によれば、これは25年以内に1000ドルでデスクトップPCに収められるようになる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』281頁)とする。

 そして、彼は、AIは、@「同じハードウェアでより多くのことができたり、早く作業できたり」、A「より多くのハードウェアを駆使して、これまで以上のことをする」ようになって、プログラム作成者の「助けがなくても自分よりバージョンアップしたものを作成」するようになるとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』282頁)。ヴァ―ナー・ヴィンジ(コンピュータ科学者でSF小説の名手)は、「機械の知能が急激に向上」して、「機械の知能が人間についていけないところまで増す未来のある時点」をさして、『特異点』と名づけた。つまり、「人間の知能がすでに最高に達していて、処理能力を増しても効果が目減り」して、人間が機械知能に追いついて行けなくなる地点である(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』282頁)。

 ほかにも、「AIが人間を超えられることを示唆する事実」として、「偏微分方程式を解」く事、「10億件も登録されたデータベースを維持した」事、「本書の文字数を1000分の1秒程度で数え」る事などがあげられる(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』283頁)。

 しかし、ホールは、「われわれがこれらのマシンを作り、そのマシンにできることの生みの親」であり、「われわれにはつねに、マシンだけでなく自分自身の能力も向上させる」のだから、人間はこうしたAI能力を心配する必要はないとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』283頁)。ナノテクの分野でも、前述の人工知能問題が考慮されているのである。

 ナノテクAIの発展段階 ホールは、まず最初の段階では、記憶・音声認識・画像認識などをするコンピューターの大きさは、「ポケットサイズではなくバックパックサイズ」であり、「全部をさせるソフトウェアがまだない」が、「ナノテクノロジーを使うと、システム全体が一枚のコンタクトレンズに収ま」」り、「コンピュータが賢くなるほど、あなたも賢く行動できるようになる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』338−9頁)とする。

 次の段階では、「コンピュータを・・脳幹に埋め込めば、脳に入る神経信号をすべて盗聴でき」、「カメラの代わりに目を使い、マイクの代わりに耳を使うようになる」のみならず、「視覚系がおこなう前処理の一部を利用するなどして、脳内のやりとりを高レベルで盗聴することさえでき」、「ヒントや答をしかるべき感覚神経へ投入する」。「視覚を拡張」して、「皮膚の一部に格子状の微小センサーを埋め込んで、位相配列アンテナの働きをさせ」、望遠鏡・顕微鏡の機能をもち、赤外線・紫外線を感知する。さらに、「完全に人工的な信号を感覚神経に送り込んで」、「バーチャルの世界に連れてゆき」、「コンピュータでできる処理はすべて、心の目で見ることができるようにな」り、オフィスではなく、空き地でもどこでも、会議を開くことができる。また、ナノテクで「途方もない処理能力を体内のあちこちに詰め込むことができ」、「架空の友」をつくりだし、「知的な作業をさせ」、「彼らが真のAIに近づくほど、あなたはひとりの人間としてではなく、まとまりのいい大きなチームとして、問題に取り組むようになる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』339−340頁)とする。

 「成熟した段階のナノテクノロジー」では、「強度や耐久性の向上のためでなく」、「物理的に必要なことはロボットの一団でなんでも実現できる」ようになり、「けがをしても生き延びて回復するため」に、「ほぼ全身を取り替えて、機能を高められるようになる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』341頁)とする。
 
                                   

                                I ナノテクと人類改造

                                  a 脳の取り替え


 脳の取り替え ホールは、身体改造しても、脳の取り替えは「ずっと複雑で難し」いが、脳科学の進展で、「脳の出入りする神経にだけではなく、脳そのものにも直接信号を送り込め」、「答えは、視野に映ったものを読むのではなく、『思い起こす』ようにな」り、「架空のアシスタントが『あなたの心を読む』ので、何をすべきか、あなたが命じる必要はない」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』342頁)とまでする。

 脳マシンへの取り替え しかし、ホールは、「別の方向へ進めば、脳をマシン(「ホルモン・バランスの作用などの化学的な信号経路をシミュレートした回路とともに、ニューロンの機能を複製したもの」)に取り替えることもでき」、それは、「本物のニューロンでできた脳より小さく、軽く、はるかに長持ち」し、「さらに重要なこと」は、「ヒトの脳と同じ容積に、単純計算で1000倍から100万倍ほどの処理能力を詰め込める」から「はるかに高速で動作する」ことになるとする。ここでは、「架空の友」は、「だれもがあなたのしたいことを事細かに承知しながら、あなたには手が回らないような細かい仕事のできる、高度に専門化したメンバーで構成された複雑な組織に属してい」て、しかも「これがすっぽり頭のなかに入ってしまうのである」から、人口20万人以上でも「だれもが顔なじみの部族社会に住んでいるようなもの」となるとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』342頁)。

 脳へのダウンロード さらに、ナノテクでは、脳にソフトウェアをダウンロードさせ、ネットワーク化することが検討される。つまりば、ホールは、「物理的なヒトの脳は、処理速度が遅く、脆弱で、栄養摂取も必要」とするから、脳を「ソフトウェアの基体に組み込みなお」して、@「自分をロボットにダウンロードすれば、ネットワーク接続を使う必要がないし、ロボットに脳を持ち歩かせるという煩雑で危ないことをしなくてもいい」し、A「自分のバックアップ・コピーを作って複数の場所に保管すれば、リスクはさらに低下し」、B「自分をロボットからロボットへデータとして伝送すれば、長旅も必要なくな」り、C「物理的な身体を使わないときは、バーチャル・リアリテイの世界に接続し、高性能のプロセッサーを使って、現実世界の主観時間より何千倍も速く自分を実行できる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』372頁)などの利点があるとする。

 脳へのハードウェア埋め込み ビル・マッキベンは、次述の「マインド・アップローデイング」(「人間の脳をスキャンしてそのデザインを電気的に再構成」する事)で「記憶や感情」をとらえられるかどうかは分からないと疑問を呈し、「ハードウェアを脳のなかに埋め込んであなたを電子機器につなぐことはできる」とする。スティーブ・エドワーズ(科学ジャーナリスト)は、「演算コプロセッサ、ハードディスクドライブ、ミニ・ビデオカメラ、赤外線視力、携帯電話などの埋め込みで、恐ろしいほど活気づくだろう」とした(ビル・マッキベン『人間の終焉』119−120頁)。

                                      b 脳からのアップロード

 思考・感情・経験のアップロード ホールは、「今日の人工的な環境は、アフリカのサバンナで進化した人間の本来の装備を凌駕してい」て、「アップロードは、世界を広げる手立てのひとつにもな」り、「ナノテクノロジーによって、身体の可能性は大きく広がるが、アップロードによってさらにそれが広が」り、「われわれは、現在の五感に当てはまらない、新しい感覚を手にすることができ、自分たちの暮らす世界により適した新しい直感も得られる」のではないかとする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』374頁)。

 アップロード・コミュニティ  彼は、「アップロードは、思考や感情の直接転送、経験の共有など、これまで考えられもしなかった様々な相互作用を可能にするだろう」し、「一方で、人々の思考を直接監視したり、精神構造を強制的に変化させることも可能にする」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』376頁)。

 ホールは、「生体としての人間や、自律的なロボットや、アップロード・コミュニティノメンバーに、次々となったり、あるいは同時になったりさえでき」、「自分をさまざまな形態にコピーしたり、同じ形態をした多くの個体にコピーしたりするのは簡単になり、コピーを混ぜ合わせてひとつに戻すことも、簡単ではないが可能にな」り、「隣人の感情を文字どおり感じられるアップロード・コミュニティ」で強い絆を確かめたり、昆虫の侵入を阻止するミリサイズの警備隊の冒険を体験したり、重さ数千トンのロボットで外惑星の衛星を探検するスリルを味わったり、テラフォーミング(地球化)した火星で普通の人間としてのんびりゴルフをしたりすることもできる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』377頁)と展望する。

 しかし、「現実世界における過去の官僚政治を考えると、明らかに存在する危険性は、アップロードされた人々のコミュニティが、すぐに『心をもたぬ怪物』と化してしまう」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』376頁)ことだとする。

 バイオテクノロジーとの関連 ホールは、「有機体でできた本物の脳のアップグレードという点では、ナノテクノロジーはしばらくバイオテクノロジーの脇役になるだろう」が、「それでも、人類はこれまで何千年ものあいだ、知能を高めるためにテクノロジーを使」い、「紙と鉛筆だけでも驚くほどの事ができる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』338頁)ようになっていると、人間知能を高めるテクノロジーを大いに評価している。

                                        c 脳への投薬

 ダグラス・マルホールは脳への薬物投与を指摘する。

 彼は、長寿化による若者層との対立で行き詰まった「社会の再生」は、「人工知能とヒトが、婚姻関係を結ぶことから生まれ」、@「コンピュータは、音声認識技術や神経路に直接移植を施す事で、ヒトに備わったごく普通の知能を拡張するようプログラムされ」、A「ヒトの能力を高めるための薬物が開発され」、「そうした薬物は実際ナノサイズのコンピュータで、脳のさまざまな部位に付着して脳を刺激し」、B「最終的に人工知能は、ヒトに頼らず独自の発展を見せるまでになる」とするのである(グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』154頁)。

 そして、彼は、「人工知能やロボット工学から生み出された各種のベンチャービジネス」が、こうした「新しい経済」を支えているとする(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』154頁)。

                                 J ナノテクと長寿 

 老化システム ドレクスラーは、「自然のナノマシンによる細胞修復が不完全である」ために、「自然は、細胞修復マシンをつくり続け」、「一億年もの進化のプロセスでは、多細胞動物の修復が行われてきたが、進化した動物でも老化し、死を免れていない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』174頁)とする。

 しかし、ピーター・メダウォーは、「若きを助け、老いに負い目を与える遺伝子は、複製を繰り返し、人口を増やしている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』176頁)と、老化防止・牽制の遺伝子の存在を指摘するのである。

 生体システムのリセット ホールは、老化問題に対しては、「バイオテクノロジーには有望に見えるアプローチがたくさんある」が、結局は、「進化で複雑化した生体システムを、煩雑にリセットする必要のある体内時計がない新しいモデル」に取り替える方が簡単なので、「これで老化だけでなく、人間がなりうるあらゆる病気が防げ、なんでも(木、石炭、ろうそく、ガソリンなど)食べられるようになって、太陽系のどの惑星の表面でも宇宙空間でも、快適に暮らせるようになる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』341頁)とする。体内時計のない新モデルの生体システムで寿命が延び、人口が増加しても、宇宙開発すれば大丈夫だというのである。

 平均寿命の大幅延長 では、寿命はどのくらい延びるというのであろうか。

 アメリカの平均寿命は、医療、「衣食住と衛生設備の充実」によって、38歳(1850年生まれ)から73歳(1990年生まれ)にのびた。ホールは、長期的には、「ナノテクノロジーのもたらす進歩が、ガン、エイズ、老化について(もちろん、心臓病、関節炎、風邪についても)、まずプロセスを理解したのちに、克服しようとする大変な努力」が注ぎ込まれ、21世紀後半に「コスト削減が始まり、やがてヒトというマシンの維持コストが手ごろな額に落ち着」き、寿命が250−500歳になるかもしれない(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』335−6頁)とする。これだけ寿命が延びれば、深刻な問題が起きるが、これは後述されうであろう。

                                     K ナノテク「中未来」像

 ナノテク研究自体が、厳密な方法論と厳密な定義の下でなされているものではなく、将来的にはこうなるだろうという見通しの下に「曖昧」になされている傾向が強い。こうしたことを踏まえた上で、一部重複するが、最後に、ナノテク「中未来」像をまとめておこう。ただし、これはジョージ・ トゥレヴスキが指摘したように、基礎なく構想や夢が独り歩きしていた頃のナノテク「中未来」像であることに留意する必要がある。ただし、カーボンナノチューブにに絞り込んだ研究が短期で結実しやすいいが、中未来研究の結実にはその数十倍の期間が必要になるということかもしれないし、単なる大風呂敷なのかもしれない。

                                          a 総論

 ダグラス・マルホールは、「近未来」「それに続く未来」は「馬鹿らしさ、膨大さ、荒唐無稽さが詰まってい」て、「さまざまな矛盾に満ち溢れ」、「2001年までの基準に照らせば、これからの社会には、節度などはほとんどない」だろうとする(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』136頁)。

 そして、彼は、「中未来(数百年先か)に登場するような出来事」として、分子アセンブラーについて、「史上初の分子アセンブラが製造され」、「そのアセンブラが太陽電池と分子コンピュータを製造し始め」、デスクトップ工場が登場し、「ほとんどの消費財が、家庭で作られるようにな」り、「20世紀後半を牛耳っていた世界規模の製造システムが終焉を迎え」るとする。インターネットについては、A「即時翻訳が、完璧に行えるようになり、言葉の壁が消え去」り、Cインターネットで世界中の図書館が連結し「知識欲が爆発的に増大」し、E国際クレジットカード・システムが「わずかに進歩して「世界共通貨幣が従来の紙幣に取って代わ」るとし、?医療については、B「神経移植のおかげで、記憶力が増大し、速読が可能にな」り、G「老化現象が遺伝子治療によって抑えられることで、70歳代の人間と20歳代の人間の結婚が普通にな」るとする。最新技術としては、D自動車、家、衣服の色は「手で触れるだけで変えることができ」、F「史上初の世界横断超音速トンネルが建設され、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、モスクワ、上海、東京、ロスアンゼルスが一つに結ばれ」るとする。

 AIロボットについては、Hロボット企業が「世界がロボットに依存するようになるにつれ、世界最大の企業とな」り、Iインテリジェント・システムが、株式仲買人、テレコミュニケーション事業者、コンピュータ組立工、図書館員、銀行員、パイロット、航空管制官、造園業者、オフィス清掃業者に取って代わり、失業者が増加し、J「限られた場所で使われる賢いロボ・サーバが、現在のマイクロチップのようなかたちで大量生産されるようにな」り、K「ヒトに匹敵する能力を備えた史上初の自律型ロボット」たるロボ・サピエンスが製造され、「生物に見られるのとまったく同じタイプの遺伝子配列を用いて自己複製し始め」、L「ホモ・プロウェクトゥス(人工的に増強された知能と身体とを備えた『進化したヒト』」)が、ごく当たり前の存在とな」り、Mヒトがロボット配偶者を殺した場合の判決は微妙となり、N「知能を備えた『存在』」が、「高い知能と機械の身体を持つホモ・プロウェクトゥス」、「思考と学習を独自に行うロボ・サピエンス」、「限られた知能しか持ち合わせていないロボ・サーバ」、「話をしたり家事を切り盛りしたりするロボ・ドッグ」に分化し、O「合成食物が、動物由来の食品に取って代わ」り、「生体解剖反対運動の矛先が、ロボットの権利へと向けられ」るとする。

 最後に、宇宙開発について、P「地球と静止軌道とをナノチューブ製の宇宙ケーブルが結ぶようになると、『宇宙暮らし』はもっと手ごろな予算で実現」し、Q「月が観光地」となり、R「光を減速させ完全に静止させてから、再び加速させていくことが可能となる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』137−140頁)るとする。

                           b 各論ー分子科学と各産業

 農業 「農業は現在すでに、分子科学と究極の自然環境からの多大な影響を受け」、「各企業は、新薬の製造から林業の活性化までをも実現させるための、遺伝変種の権利獲得にしのぎを削」り、その一方、「気候変動も農業生産に挑みかかっている」。しかし、「食物を複製する能力を備えた分子アセンブラが発明されれば、現在見られるような農産業の大半は消え失せてしまうだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』409頁)。

 「遠い未来、食物を個人が手軽に栽培することができ、最終的には、それを個人が製造できるようになれば、農業や農工業はどうなってしまうの」か。「農業と人類との関わりは数千年にもおよぶため、大半の人間は、農業が終焉を迎えるなどとは想像すらできまい」が、「農業が終わりを告げるという可能性」を考えなけれならない(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』410頁)。

 化学物質 「ナノテクノロジーと遺伝子工学とは『化学』」であり、「化学産業は、分子科学が発展していくうえで指導的な役割を担」い、「同産業は現在、革命のさなかにある」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』410頁)。

 「塗装剤をはじめ塗料、潤滑剤、接着剤、調合薬、殺虫剤、プラスチックと言った化学産業の成長を支えてきた製品は、ナノテクで作られることになるだろう」(410頁)。

 産業界は、どうすれば「有害化学物質が作りなす閉じたループを、巨大津波のような自然の猛威に対抗すりためのシステムへと作り変える子tpができる」のか(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』411頁)。

 ナノテクの環境対応 現在、「将来起こり得る気候変動の種類とパターンを予測するために、数十億ドルもの予算がつき込まれている」が、一方、「分子技術を活用して気候変動に適応していく能力を高めようとする研究に対しては、予算はいっさい割かれていない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』411頁)。

 「新しい環境に適応していくには究極の工学が欠かせ」ず、「家屋、橋、トンネル建設の各分野では、ナノテクのおかげで一大革命が巻き起こるかみしれ」ず、エリック・ドレクスラーは「どこにでも存在する炭素、窒素、酸素、水素をふんだんに使うだけで成り立つ、『分子マニュファクチュアリング時代』を詳細に描いている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』414頁)。

 「材料や労働力の価値が地に落ち、それらに代わってナノボットが家屋を建てるようにな」り、「設計図がインターネットを通じて配信され、それが建設用ナノボットにインスト―ルされることで、家具付き庭付きの家がたった一日で完成」し、「巨大プロジェクトの中に、地球から大気圏外へと延びる宇宙エレベーターの建設が盛り込まれ」ているかもしれない(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』414頁)。

 分子時代の保険 「多くの物が低い資本コストで取り替え可能となり、ソフトウェアによって生み出される負債が潜在的に青天井になるとすれば、保険の意味などあるのだろうか?」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』グラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』423頁)

 「大規模な自然災害に関する限り、・・生命保険会社は倒産に追い込まれ」、「大規模な自然災害に対する保険は補償されなくなる」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』423頁)。

 「納得のいく保険を再び持てるようになるには」、分子技術が鍵を握っていて、「その技術のおかげで、人類はさらに多くの『警報』と『回復力に優れたコミュニティ』と『低コストで再建する方法』を得られるようになる可能性がある」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』424頁)。

 分子時代の医学 「国民が機械の力を借りて長生きするようになると、文明そのものが賢いコンピュータとコンピュータ化された身体部位に左右されるようになる可能性が出て」来て、「こうした動きの先駆けとしては、補綴学をはじめ、網膜移植、ペースメーカー、ドラッグ・ディスペンサーのような形で体内に移植されているマイクロプロセッサがある」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』432頁)。

 医療専門家は、「遺伝配列を計算することでしか人間を理解できないコンピューターの手に、『社会的な存在』である人間の要求を委ねてしまってよいも」かと自問するだろう(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』432頁)。「新たな特性を備えた子供を作るために遺伝子を組み換えたりするような時代には、ロボットを使った保険医療はどんな役割を果たす」のか。

 分子時代の脳研究 「ヒトの脳は、そのほとんどが現在でも解明されてはいない」が、「分子技術、とりわけ遺伝子工学とナノテクノロジーは現在、脳の謎を解き明かしつつあ」り、「ゆくゆくは人類も、記憶を意識的に呼び覚ます際に、脳をほぼフル稼働させる能力を手に入れることになるかもしれない」。「脳の構造上、それが不可能ならば、神経移植によって記憶を自在に呼び出せるようにすればよい」か、或いは、「記憶や意識をロボットの身体に仕込んだ『外部脳』に転送する道もあるだろう」。これが実現するには、「ナノコンピューティングのおかげでテラバイト級のデータがコンパクトなメモリに収められ、それがそっくりそのまま脳へと伝えられる場合だ」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』457ー8頁)とする。

 分子時代の宇宙局・宇宙組織・航空宇宙企業 「宇宙と分子科学との『婚姻』」、「自然のカタスロフを生き延びる事と宇宙探査」との緊密連関は「絶対不可欠」であり、「宇宙技術と分子技術とが一つになれば、気候変動やハリケーン予測、損害アセスメント、抗災害超能力素材にまつわる人類の能力には磨きがかけられ」、さらには、「生命維持やブロードバンド・コミュニケーション、推進燃料、放射線保護、そして、宇宙探査を可能にするありとあらゆる技術は、分子技術にすべて左右されている」(438頁)。

 宇宙産業の「多数の技術マニア」は、「分子科学や自然災害予測について止めどもなく議論をするような集団」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』438頁)である。

                            c 分子時代の政府・軍事、経営・労働

 分子時代の政府 「アメリカ合衆国および世界中の連邦、州、市の各当局は、分子時代に対する備えができていない」が、「政治指導者とシンクタンクがまず行わねばならないのは、分子時代が政府や民主主義の原理に、どのような影響を及ぼすのかを分析することである」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』420頁)。つまり、「必要なものの大半が、デジタル・マニュファクチュアリングのおかげでどこにいても手に入り、最大の取引がデジタル情報で処理されるようになればどうなるだろう?」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』421頁)

 政府のエネルギー政策、知的所有権問題、宇宙別荘管理問題、ロボ・サピエンス選挙権問題、デスクトップ・マシンで製造可能となる薬物問題などのために、「どのような政府や法規制が必要となるのだろう?」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』421頁)。

 分子時代の軍事 「デジタル世界での軍事的安全を定義し直すことが前提条件にな」り、現時点で言えることは、「戦車と空母が無用にな」り、「コンピュータと遺伝子工学」がそれらにとってかわるが、「その扱い方には十分注意が必要」である(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』433頁)。

 「一般社会に分子科学を浸透させていくというのは、軍事的に見れば非常に危険であ」り、「分子技術が軍部に独占されてしまうという恐ろしい危険性が生まれる」とする。「軍首脳陣たちは議会でナノテクに備わった潜在力について証言し、その可能性についての仮説を公にし」、「ジョイや、カーツワイル、ホフスタッターといった技術者は、ナノテクが市民に与える危険性について論じ」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』487頁)た。

 ナノテクノロジーの軍事的研究は「猛烈な勢いで進行中」であり、「防衛諸機関は、例えば、軍事ナノテクノロジー研究所(ISN)を通じて、ナノテクを構成する技術に数十億ドルもの研究費をつぎ込んでいる」(487−8頁)。「分子科学の研究成果と兵器には大いに関連性があ」り、「分子科学の登場で、旧来の兵器が弱体化したり、お払い箱になったりする可能性がでて」きたのであり、「分子アセンブラ技術のおかげで、多くの兵器がいたる所で生産できるようになり戦争にかかる経費が軽減され・・」、個人、「生存主義者」(核戦争に備えてシェルターなどで生き残ろうとする者)、宗教過激派が「世界を大混乱に陥れる可能性が大にな」り、「未来の戦争は様変わり」(488頁)するだろう。「ナノテクが登場すれば、それを用いたナノ戦争が生じても、それを制御することはできないのかも」しれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』488頁)。

 トマス・マッカーシーは、「分子ナノテクノロジーと世界システム」と言うエッセイにおいて、「分子マニュファクチュアリングがもたらす不幸な副作用は、それが政情不安か否かによらず、戦争状態を生み出してしまう可能性を持っているということ」であり、「もしMNT(分子ナノテクノロジー)のおかげで、兵器が肉眼では捉えられないほど微細になり、おまけに、工場までもがそれと同じスケールになってしまえば、交戦国の一方が、もう一方の国力を査定する能力は著しく妨げられ、おそらくは完全に意味をなくしてしまうだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』488頁)とする。

 こうして、「分子兵器の登場で、戦争は遠隔操作によるごく普通の戦闘になってしまうかもしれない」し「そうした戦場は、一般市民や企業へと舞台を移すことになる可能性がある」し、「小規模の過激派グループが強大な力を握る可能性があ」り、一方、「実際の戦場では、ハイテク化した旧来の兵器が、人間の兵士に取って代わるような恐ろしい状況が生まれてくるのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』489頁)。

 分子時代の経営者 「政府が追いつけないほど技術の進化速度が速くなるにつれ、また、株主よりも経営者のほうが重大な決定を行うようになるにつれ、企業経営者は実質的に影の政府にな」り、「数十億の人間に影響を及ぼす科学技術にかかわる決定を行っている」が、「その一方で、そうした企業経営者たちは、『分子経済』という名の万力にがんじがらめになっている」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』430頁)。

 「経営者は自然災害という分野では大問題に直面しているが、それは同時に、大きなビジネスチャンスでもあ」り、自然災害に分子技術活用の方法を学びとれば、「間違いなく覇者になるだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』431頁)。

 分子時代の経済学 マルホールは、「デジタル・ファブリケ―ションが普及するようになれば、経済全体が一変する可能性があ」り、ザイベックスの分子アセンブリ研究は、「経済学の新たな部門となるべき『巨大災害への対策を盛り込んだ経済学』への導入部として活用できるのかもしれない」とする。

 そして、彼は、「大規模災害に対して、経済は、どのように備え、また、それからどのように備え、また、それかたどのように復興していくのだろうか?そうした問いに答えることで、人類は、生き残るための経済理論を編み出す事ができるだろう」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』545−6頁)とする。

 これによれば、大恐慌、貧富差、失業など経済諸問題の弥縫的「修理」が、大規模災害の「修理」「対応」にとってかわるだけである。「学問としての経済学」の構築という問題は近現代だけやっていても全く分からないのであり、約1万年前ぐらいから研究しないとだめだという事である。

 分子時代の労働 「分子アセンブラと人工知能が、ほとんどの製造業をお払い箱にしてしまった場合、労働組合はどういう対応を取」り、「仕事の本質はどうなってい」き、また「仕事の本質はどうな」り、「労働組合は、未曾有の規模でにわかに生じる混乱にどう対処」するかが問題である(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』428頁)。

 「労働運動は、健康管理と労働安全に関しては最良の手本となってきた」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』428頁)が、「自然の大規模災害」には対策はとっていないだろう。

 分子時代の投資家 「ナノテクノロジー分野は、2002年の初めまで『ベンチャー・キャピタル・インベストメント』バブルの第一段階に入」り、「初期のバイオテクノロジー分野とインターネット分野が、それぞれ経験したのと同じような状況」(424頁)であり、いずれバブルははじける運命にあった(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』424頁)。

 ナノテクノロジーは、「分子アセンブラから洗濯機にいたるありとあらゆる領域にかかわ」り、「実際にはナノ技術とは縁もゆかりもない技術への投資までもが始まってい」て、「危険なのは、投資家が利益を期待していた『ナノ株』に失望するようになるかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』424頁)。

 「もう一つ厄介なのは、分子経済を構成する『部門』を定義づける場合、そうした部門にトラック・インデックスを割り当てることを考慮に入れて十分狭く定義するにはどうしたらよいかと言う点であ」り、「『テクノロジー』『バイオテクノロジー』『ナノテクノロジー』という指標は、正確さに欠けているのかもしれない」(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』425−6頁)。


                                       5 ナノテクの諸問題

                                    (1) ナノテクノロジーの危険性

                                   @ ナノテク研究の特徴 

 外国のナノテク提唱者ドレクスラーやホールらにおいては、ナノテクの微細な基礎的な技術研究のみならず、フォッグ・ロボット、宇宙開発などナノテクの「上部構造」研究もまた構想されている。

 一方、、日本では、ナノテクは、超高集積DRAMなどの半導体微細化技術から、様々なナノデバイス、ナノスケール材料など、微細な基礎研究が重点的になされている。例えば、日本で発見されたカーボンナノチューブ(強くて、軽く、優れた構造材料)、バイオチップ、医療応用のドラッグデリバリーシステムなどにもナノテク技術の応用が期待されていて、人類文明に大きく関わる世界・宇宙視点は稀薄である。あくまで日本では基礎的な各種技術の変革の推進や見通しが中心である。

 ナノテクの危険性は、程度差を示しつつ、上部構造研究から基礎研究にまで渡って懸念されている。

                                     A 人類の改変 

 ナノテクノロジーの危険性 ドレクスラーは、 「ハイパーテキストやファクトフォーラムに関係なくアクティブ・シールドが持ちだされるとしたら、これを信頼するわけにはいか」ず、「アクティブ・シールドを無視しようとする人々は、ナノテクノロジーには危険性もあり、その危険性が必ず到来するのだと知って、絶望するかもしれない」し、「ナノテクノロジーが地球的規模で進展する流れを地域的に止める無駄な努力が始まるかもしれない」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』321頁)とする。

 ホールは、「危険があることは認めながら、研究を抑制することによる危険の方が深刻だ」とする(訳者斎藤隆英「あとがき」[J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』383頁])(訳者あとがき、J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』382頁)。

 斎藤隆英氏は、ナノテクノロジー危険性として、@「極微の粒子が体内に入ると健康を害する」可能性がある事、A「自己複製するナノロボットが大気中で増殖すると、太陽光が遮られて環境破壊を起こすという危険」がある事、B「超小型の偵察機や暗殺マシンなど、軍事技術への応用もありうる」事をあげている(訳者斎藤隆英「あとがき」[J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』382頁])。

 ナノ物質の危険性 吉田典之氏は、「ナノテクの世界では、目立った悪影響や被害はまだ報告されてい」ないが、「だからといってナノサイズの物質(ナノマテリアル)が安全であるということにはな」らないとする。そこで、氏は、「もし、危険性があるとしたらどれくらいなのか、生じる害を最低限にするためにはどうすればいいかなど、世界各国で議論が行われ」、「日本では産業技術総合研究所が中心になって、評価手法の開発などを行ってい」(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』217頁)るとする。つまり、@消費者団体は、カーボンナノチューブは、「細くて長い形が、胸膜にできる悪性中皮腫を引き起こすアスベストと似ている」として、「同様の危険性」を警告し、A化粧品において、白粉成分の酸化チタンや酸化亜鉛は、「ナノサイズになると体内に吸収されたり、これまでにない悪さをしないか」という懸念があり、B「白金も、肌を衰えさせる酸化作用を妨げる『抗酸化作用』があるとして高級化粧品に配合され」ているが、「抗酸化作用も化学反応である以上、微粒子化による表面積の増大や反応活性の向上が、人体の細胞などに対しては大丈夫か、好ましくない働きをすることはないか」という懸念があるとされている(吉田典之『ここまで来たナノテクノロジー』218−220頁)。

 アンドリュー・メイナード(Andrew Maynard、ウッドロー・ウィルソン国際センター)は、「 我々はナノテクノロジーのリスクについて、最早、多くを語らなくなったが、そのことはリスクがなくなったということではない」(The Conversation, March 29, 2016)と指摘する( 化学物質問題市民研究会)とする。農業・工業などでのナノテクノロジーの危険性については、現在でも欧州や日本の市民団体などが真剣に追究している。

 東邦大学理学部ナノテク研究者は、「この様な先端技術が一般社会に受け入れられる為に先ず優先されるべき課題は『健康や生態系への影響に対する安全性の検証』」であり、「『技術の進歩』と『安全性』は表裏一体の関係」だとし、「フラーレンをはじめ二酸化チタン、カーボンナノチューブ、ナノメタル、ナノクリスタルなど多種多様な物質」から開発される「優れた機能を有するナノ物質(粒子)」が「ヒトやヒト以外の生物体内に取り込まれる機会が一層増加してくると予想され」るが、「現在、ナノ粒子がヒトの健康や生態系に与える影響については未解明の部分が殆どであり、「生物学的安全性評価」に向けての研究はスタートしたばかり」だとする。「一般に超微小粒子は生物体内への吸入時においても呼吸器内での沈着メカニズムがより大きな粒子のそれに比べて著しく相違し、さらに物質の特性によっては細胞壁を通過して二次的に各種臓器機能にも影響を及ぼす可能性が危惧され」、「現在、超微小な粒子による汚染については酸化性ストレスやミトコンドリア損傷を誘発する可能性などが指摘され」、「これらの領域を研究する“ナノトキシコロジー”と言われる新たな分野の研究者が必要とされてい」るとする(東邦大学理学部HP「先端技術の表と裏」)。


                                  (2) ナノテク倫理問題 

 ナノテク倫理問題の特徴 ナノテク特有の問題(「ナノ倫理」)に就いては「あるとする見解」と、「全く新しい問題があるわけではないとする見解」がある(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。 ナノテク研究は広範多岐にわたるから、各領域ごとに倫理問題の濃淡が生じてくると見るべきであろう。

 アントニオ・スパニョロ(Antonio G. Spagnolo)らは、“Outlining Ethical Issues in Nanotechnologies”で、「短期・中期的には、ナノテクの応用に特有の倫理的懸念はほとんどないが、新興の分野であるため、今後生じてくる諸問題を調査するための研究を促す必要があり、長期的(20年後)にはプライバシーを含む個人の自由が重要な問題となる」としている (加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 スパニョロらは、臓器移植、遺伝子治療など「複数のナノテクが存在」し、「ナノ倫理」について、「それぞれについて、それぞれの倫理的問題があると考えるべき」であるとしている。加藤穣氏は、「結論的には、ナノテクに特有の『ナノ倫理』を探求することより、『ナノ倫理』をナノテクに関連する倫理的問題の総体として理解し、それがナノテクに関連する倫理的諸問題のプラットフォームとして機能することを目指すべきである」とする(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 ナノテク倫理問題の6領域 ヨアヒム・シュマー(Joachim Schummer、ドイツ・ダルムシュタット工科大学)は、COMESTの報告書“Identifying ethical issues of nanotechnologies”において、ナノテクの倫理的問題の6類型として、@新素材の健康・環境に対する問題、A新しいデバイスのコントロールに関する問題、Bナノテクの軍事利用から生じる問題、Cナノテクの生物医学的応用から生じる問題、Dナノテクの資源の問題、Eナノテクの知的財産権の問題などを挙げている(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 加藤穣氏らは、これらについて、具体的に補足している。つまり、彼らは、@「新素材の健康・環境に対する問題」としては、ナノテクの惹き起こす倫理的問題として最も中心的に議論されている安全性・リスクの問題を中核とし、歴史的には、公害、環境ホルモン、アスベスト等の健康被害の系列に連なり、リスク評価を主要な目的として国際的な標準化も進められているとし、A「新しいデバイスのコントロールに関する問題」としては、「不正な使用に対して、それを探知し、無力化する方法や道具の開発も平行して進めるべきである」と主張し、B「軍事利用」については、生物化学兵器、兵器の小型化を中心とした新たな軍備拡張競争の可能性を指摘し、Cナノメディシンにおける倫理的諸問題としては、短期的にはリスク、「治療なき診断」、中期的には、「身体という概念に関する混乱」、「身体に対する態度が変化すること」、「プライバシーと自律」、「個人のアイデンティティ」、「医療化」、「社会的不正」、「人間存在に対する見方が変化すること」、長期的には、「自己の知覚が不明瞭になること」、「ポスト・ヒューマン」(post-humanity)を挙げ、D「ナノテクの資源の問題」としては、ナノテクが新たな希少な資源を必要とする可能性と、それをめぐる資源獲得競争の可能性を指摘し、E「ナノテクの知的財産権の問題」としては「特許権との関連でナノテクが国際的な格差を拡大するのではないか、という懸念」を指摘する(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 ナノテク医療と倫理 さらに、Cについて見てみよう。

 「今日の医療」は、@「ある種の治療や改良を、興味本位ですべきかどうかという問題」、A「人間やその部品を、他人の治療のために作っていいのかという問題」という「ふたつの倫理上の問題」に直面している(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』334頁)。後者の場合、バイオテクノロジーの場合には「クローン作成の倫理性や臓器の売買のような問題が生じやすく」、「部品を扱うのか人間を扱うのか、あやふやなところが残る」が、ナノテクの場合、「あらかじめ決めた特定の機能をもつ、見るからにマシンというものを作ることにな」り、「患者本人の細胞を修復したり、元の器官と同じぐらいでよくできた純粋な機械部品を作ったりできるので、そうした問題が治療の妨げになる事はない」から、こう言う問題を回避できる(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』334−5頁)。

 ナノテク、またその医療応用は共に「初期の段階にある」が、「市場へは「ナノテク」を謳った商品が多数投入され」、「例えば、代表的なナノ材料であるフラーレン配合の化粧品、CNTを用いたテニスやバドミントンのラケット、スノーボード、自転車、ゴルフクラブなどもありふれたものとなっている」。一方、「CNTのアスベスト様の健康被害の可能性の指摘など、リスクに関する議論と同時進行している」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。ナノテクの臨床応用が進んでいない段階では研究における倫理性が現在の中心的な問いの一つであろう(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 倫理的な判断・規制の機構の必要性、つまり「各当事者が研究・開発において、倫理的に適切な判断を重ねられるように支援、また規制するための体制を整備していくことも必要」であり、「莫大な利益は、ある主体が倫理的にまっとうな判断を下すのを困難にするかもしれない」し。「その一方で、今後ナノテク、ナノメディシンがより発展し、産業構造、例えば医療業、医療機器、医薬品業界などにドラスティックな変動があったときには倫理的判断が困難になる当事者も現れると予想される」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 低侵襲の治療法の重要性、つまり「医療がより低侵襲[身体に対する手術・検査[内視鏡やカテーテルなど]などに伴う痛み、発熱・出血などが少ないこと)になっていくと、「無危害原理」は、より「身体の完全性」(bodily integrity)という観点から検討され、また理解される必要があ」り、「また、医療の発展は医療費を増大させる主要な原因とされてきたが、高齢者も適応となる低侵襲の治療法が開発されると、高齢化の進展は医療費を増大させないという医療経済学の常識が覆る可能性がある」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。


                              (3) ナノテク投資の妥当性 


 ナノテク投資の妥当性如何も問題になって来た。つまり、@「ナノハイプ(ナノ誇大宣伝)については、それが懸念を不当に覆い隠してしまう可能性をもつだけでなく、実質的に他の分野(研究だけでなく政府などの支出が必要な他の分野)から資金を事実上奪っている」こと、A「ナノハイプを離れたとしても、ナノテク関連の研究が限られたパイの中で他分野から資金を奪っているという現実があ」り、「莫大な投資に見合うアウトカムが得られていないという現在までの研究・開発の進捗状況を考えると、公的資金を投入するとすればそれが適切だということが示されるようにしなければならないだろう」こと、B「さらに、ナノテクとの関連が薄い、あるいは研究の進展がナノのスケールに程遠いにもかかわらず、ナノテク関連の資金を獲得することは、日本では既に現実的な問題となっている」事などである(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 ヨアヒム・シュマーは 、「単数形のナノテクに多額の資金が投入されている現状に対して、ナノテクのどの分野に対して資金が投入されるべきか問題にせずに一律に資金を投入する姿勢」を批判し、「政府のプログラムがナノテクに関する誇大広告を生み出すことに手を貸してきたことも批判の対象となる」とする。シュマーは、「国際的な公正の問題については、グローバリゼーションが進展している時代に現われてきたため、ナノテクの各分野について、発展途上国の経済状況に対して、有益であるにせよ有害であるにせよ、どのような影響を持つか評価されることが不可欠である」とも述べている(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。

 こうしたことを考慮して、「巻末」の「ナノテク参考文献」一覧を見ると、2001年頃から2007年頃まで、ナノテク全般及びナノテク個別部門の入門書・手引書・特集号が少なからず刊行され、2005年頃からは科学技術振興機構研究開発戦略センター、産業技術総合研究所ナノテクノロジー研究部門、経済産業省製造産業局ナノテクノロジー材料戦略室、新エネルギー・産業技術総合開発機構電子・材料・ナノテクノロジー部、厚生労働科学研究費補助金などがナノテク研究を誘導して来たことがわかり、ここにこうした官民のナノテク投資の妥当性が問題となるのである。

 しかし、ナノテクの研究は、人工知能ロボット、遺伝子工学とともに先端科学研究の一環を形成しているが、人工知能ロボットのように、巨大投資を誘発するというなものとはなっていない。



                               (4) 各国の対応策

 ナノテク放棄論 ビル・マッキベンは、『人間の終焉ーテクノロジーはもう十分だ!』(山下篤子訳、河出書房新社、2005年)で、「人間の改良のためにバイオテクノロジーを利用しないという意味で、テクノロジーの放棄を呼びかけている」。ビルは、「テクノロジーの進歩により、地球が『管理された公園』になりつつあることを心配し」、「もはや本当の意味での自然はなくなり、あこぎな役人や開発業者の手が届かない場所はなくなる」とする(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』343−5頁)。

 これは、地球の「本当の自然」を保護するための、ナノテクを含めたテクノロジー放棄論である。以下では、ナノテクに限定して、規制論を瞥見しておこう。

 ナノテク倫理規制論 諸外国でのナノテク諸問題の取組み状況についてみると、2000年に米国では「国家ナノテクノロジー戦略」が設定され、各分野毎に利用に伴う諸問題の研究が義務づけられ、2004年欧州連合でも「欧州ナノテク戦略」が策定された(深澤 和則「欧州連合(EU)のナノテクノロジーに関する動向」[NEDO海外レポートNO.978, 2006.5.24])。アジアにでも、2004年に台湾が「環境ナノテクノロジー国際シンポジウム」を開催し、2005年に日本でも「ナノテクの社会的影響研究についての調査研究体制」が発足した(産業技術総合研究所「ナノテクノロジーの社会的影響に関する調査研究」産総研、2006年、東邦大学理学部HP「先端技術の表と裏」)。

 その後、欧州では、@2016年4月13日ジュネーブ”ナノ物質を含む廃棄物に関する宣言”の中で、国際環境法センター(CIEL)、 ECOS、及び Oeko-Institut は、「廃棄物の流れの中の工業ナノ物質(MNMs)の可能性ある危険(ハザード)から人々と環境を保護するための予防的措置を採用し実施することの重要性を強調し」、A2016年4月20日、「新素材に関するガバナンスの展望に関心を持つ学会、規制機関、産業及びその他の組織からの代表者の間に学際的な議論を起す」ために、BAuA(ドイツ労働安全衛生研究所)はナノ物質及びその他の新素材に由来するアスベスト様ファイバーに関する国際シンポジウムを開催し、B2016年4月25日、NGOs、消費者グループ、及び研究組織は、「欧州委員会が EU 市場にあるナノ物質についての情報の収集と発表のための適切な措置を提案することを依然として怠っている」ことに失望の意を表明したりしている。(化学物質問題市民研究会のHP)。このように、各機関、市民団体などが、廃棄物中のナノ物質、新素材などの情報公開、予防措置策定などに関わっている。

 日本では、ナノ倫理問題はナノ社会的受容の付随物という側面がある。これに関して、加藤氏は、日本でこれまでナノ倫理が「あまりに社会的受容の問題に集中している」のは、「遺伝子組み換え作物の二の舞を避ける」ためとも推定されるとするのである。また、「エンハンスメント(人間強化)のように、ナノテクが飛躍的に発展させる可能性を持つ各分野についてもその倫理的諸問題に関する研究の蓄積が相当ある」のだが、それを生かせず「研究・開発に携わる研究機関以外で倫理的諸問題に関する研究がおろそかであ」(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)るとする。

 概して、ドナルド・エヴァンス(Donald Evans、UNESCO報告書所収の“Ethics, nanotechnology and health”)、関谷瑞木氏(「ナノテクノロジーの倫理的・法的・社会的影響ー課題と情報発信について」阿多誠文編『ナノテクノロジーの実用化に向けてーその社会的課題への取り組み』技報堂出版、2008年)らも指摘するように、「ナノテクが初期段階にあることから個別の倫理的懸念に対処する時間的な猶予がある」かのように思えるが、「国際レベルで包括的なアプローチが採られない限りは、必ずしもそうと言い切れない」とする(加藤 穣「ナノテクノロジーとその医療への応用における倫理的諸問題」『医療・生命と倫理・社会 』2009年3月)。


                                 おわりに

 以上、ナノテクノロジーの基本的特徴を踏まえた上で、政府・機関によるナノテクの奨励がいかになされ、ナノテクがどの様に展開し、いかなる諸問題を提起したかなどを考察した上で、ナノテクがいかなる人類文明破滅危機を孕んでいるかなどを検討した。もとより、ナノコンピューテイング、ロボット工学、遺伝子工学は、今後「どのようなかたちでまとまっていく」かは「誰にもわか」らないのである(ダグラス・マルホール『ナノテクノロジー・ルネッサンス』92頁)。

 そういう中で、2000年初頭には全米科学基金がナノテクノロジー市場は2015年までに1兆ドル規模((1ドル100円換算で100兆円)になる可能性」があると、AIロボットの市場規模の数倍になるとしたり、当初のナノテクには宇宙開発、身体改造、ナノマシンなどで大いなる展開の予想もあったりしたが、やがてこうした「荒唐無稽さ」も影を薄め、当初の大いなる期待論、派手な振興論も沈静化し、最近では投資規模や、経済成長への期待も「地味」になり、ナノテクは基礎技術に収斂するか、微細技術商品になどに先進的イメージを付与するために利用されているかである。つまり、当初は、ナノテクの脳、寿命、身体改造などによる人類改造、惑星衝突対応、宇宙進出が提唱され、前述「遺伝子工学」とともに、、「人間の終焉」危機ともいうべき危機感が表明されていたが、結局、ナノテクではこう言う面での具体的成果はみられないということである。こうして、ナノテクによる脳、寿命、身体改造などの研究が進捗しないこともあって、AIロボットの場合のように、大きく人類滅亡危機の可能性が警告されることは稀薄である。ただ、こうした中未来研究の結実には相当の年月がかかるであろうから、すべてを根拠なき空論年て一蹴するのは早計かもしれない。

 それでも、やはり、後述のAIロボット規制論に比べれば、ナノテク経済成長論・経済立国論にもはやかつての勢いはなく、故にナノテク規制論はかなり弱いものとなっていると思われる。確かに、ナノテク廃棄物などには、市民団体からは今でもその問題性・危険性が指摘されているが、今の所、これらは人類文明滅亡に大きく関わるような危機ではないのである。ただし、2016年でも、科学技術振興機構研究開発戦略センターナノテクノロジー・材料ユニットは、ナノ・IT・メカ統合によるスマート小型ロボット基盤技術の構築をめざしている。さらに、このナノテクが前述のAIロボット・テクノロジーと連動する時、人類滅亡危機を相乗的に大きくする可能性はあるのである。

 
                                                    2016年8月27日初稿

                            

                         


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