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                            C 再生医療の可能性ーES細胞、iPS細胞


 遺伝子治療の停滞  前述の通り、1990年、1991年に、F・アンダーソンらのグループが「体細胞の遺伝子治療をADA欠損症の患者にはじめて実施した」(森岡正博「生殖系列細胞の遺伝子治療をめぐる倫理問題」[千葉大学編『生命・環境・科学技術の倫理資料集(仮題)』1995])。ADA(アデノシン・デアミナーゼ、20番染色体にある)欠損症[リンパ球が減少して重度の免疫不全になる])は、従来は骨髄移植で対処していたが、拒絶反応に合う問題点があったので、1990年、アメリカ国立衛生研究所は、世界初の遺伝子療法として、「ADA合成遺伝子が組み込まれたリンパ球を再び患者に戻」して、「一定の効果」をあげた。1995年北大病院で、日本最初の遺伝子治療として、「ADA欠損症患者に対して遺伝子治療が行われ」た((遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』98−99頁)。

 しかし、「現在の遺伝子導入および遺伝子置換技術は、低い成功率しかあげておらず、失敗率が高くて、遺伝子が間違った部位に挿入され、他の遺伝子のまん中に入ってしまうこともあ」り、「生殖細胞における治療は非常に困難であるだけでなく、ヒトにとって実質的なメリットをほとんどもたらさない」(チャールズ・キャンター「技術と情報科学への挑戦」[ダニエル・J・ケブルスら編『ヒト遺伝子の聖杯』165−6頁])のである。「精子・卵・初期受精卵の遺伝子を改造してしまうと、その影響はその個人を超えて、その子孫全体にまで広がってしまう」から、「生殖系列細胞の遺伝子治療は禁止するというスタンスが、現在(1995年頃)の世界のコンセンサスである」というようになる(森岡正博「生殖系列細胞の遺伝子治療をめぐる倫理問題」[千葉大学編『生命・環境・科学技術の倫理資料集(仮題)』1995])。 

 さらに、ゲルシンガー死亡事故(1999年)、SCID治療患者の白血病発症(2002年)などが起こって、こうした遺伝子治療は一層停滞したのであった。

 幹細胞 既に臓器移植でやっていたように、「DNAを細胞に送達するのが技術的にむずかしいなら、細胞そのものを送達してしま」えばいいのである。「近年、ヒト細胞を初期化する方法が見つかったことで、まったく新しい治療法の可能性の扉が開かれた」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』318頁)のである。ここに登場したのがES細胞、iPS細胞による再生医療である。

 幹細胞は、「自己複製能と様々な細胞に分化する能力(多分化能)を持つ特殊な細胞」であり、「主に胚性幹細胞(ES細胞)、成体幹細胞、iPS細胞」などが挙げられる。成体幹細胞は、「身体の組織に存在しており、ある程度の多分化能を持ち、発生過程や、細胞死、損傷組織の再生において、新しい細胞を供給する役割を持つと考えられ」、「ES細胞に比べると、成体幹細胞の持つ多分化能は限定されると考えられているが、自己の幹細胞を治療に用いることができることから、現在、多くの臨床応用が進められている」(藤田保健衛生大学医学部「応用細胞再生医学講座」)のである。

 以下では、ES細胞、iPS細胞について瞥見してみよう。

                                        @ 幹細胞

 幹細胞 「人間の体には約210種類の細胞があり」、「それらの大部分が『分化細胞』とよばれるもので、それぞれが特定の働きをもち」、「1つの特定のタンパク質をコード」とする「特定の遺伝子の種類」によって、「(肝臓細胞、心筋細胞、ニューロンなどのように)固有の外観を持ってい」る。「細胞核に存在している遺伝子の完全なセットはゲノムと呼ばれ、第1近似的には体の中のすべての細胞のゲノムは同じ」である(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』岩波書店、2016年、2−3頁[Jonathan Slack."Stem Cells: A Very Short Introduction."Oxford University,2012])。

 幹細胞とは、「自分と同じ細胞を生み出し、同時に異なった機能を持った細胞を作り出すことができる細胞」(ジョナサン・スラック『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』2頁)である。つまり、幹細胞とは、「基本的に自己複製しながら、同時に、それなりの刺激を受けると別の種類の細胞にも変わる(分化する)細胞であ」り、幹細胞の大もとは「精子と卵子が接合した受精卵」である。「まだ分裂を始めていない一個の細胞の状態であるこの受精卵は、子宮に着床すると新生児をつくりだす力をも」ち、「このような細胞の能力を『全能性』」というのである。受精卵が、分裂して100個になったあたりで、全能性を失い、分化し始め、「一部は胎児の体を形成しはじめ、もう一部は胎盤をつくる」のである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』319頁)。

 未分化細胞 こうして分化開始前の未分化細胞は、ほとんどの場合、「特にその細胞がなる事ができる細胞の種類が限られることから、どこか特殊性を持ってい」て、「時の経過にしたがって様々な種類の細胞へと分化」する。「未分化細胞を幹細胞として認識するために」、@「自分と同じ細胞を生み出せること」、A「分化細胞になっていく細胞(前駆細胞、一過性増幅細胞)を生み出せること」という二つの「よく知られた合意点」がある。そして、幹細胞のうち「自身が属する特定の組織細胞以外にはならない」ものを「組織特異的幹細胞」という。また、肝細胞の内、「胚や若い生物の中、また、成人の総ての更新組織の中には、無制限には存在せず、数回の細胞分裂を行なったあとに別の種類の細胞になる細胞」を前駆細胞といい、「特に更新組織にあるもの」を一過性増幅細胞と言う(ジョナサン・スラック『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』3−5頁)。

 分化開始頃の胚は「肉眼で見えるほどの大きさ」だが、「胚の内部に細胞が集まった内部細胞塊は、胎盤こそつくれないものの、人体のあらゆる組織に分化する能力」、つまり多様性を持っている。数十年前の「マウス実験で「この内部細胞塊は、取り出した後も多様性を保ったままラボで無限に増殖させる事ができるとわかり」、「胚性幹細胞(ES細胞)と呼ばれるようになった」のである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』319頁)。このES細胞は、「自然界には存在」せず研究室の培養装置内で「人の手で作られたもの」である。「ES細胞の由来となる細胞は『本当の』幹細胞」ではなく、「すぐに他の細胞に分化する」ものであるが、「細胞培養の環境では、ES細胞は何年にもわたって自己複製を続けることができ、様々な種類の細胞へと分化する」から「実際の幹細胞」と定義できるのである。この人工的な幹細胞は多能性(pluripotent)であり、、自然的な組織特異的幹細胞の単能性とは区別される(ジョナサン・スラック『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』5−6頁)。

 体性幹細部の限界 成体になると、「ヒトには全能性幹細胞も多能性幹細胞も残っていたに違いないが、ほかのタイプの幹細胞が身体のあちこちに存在してい」て、このようなものとしては骨髄が有名である。これらの細胞は、「体性幹細胞(または成体幹細胞)と呼ばれ、異なる種類の細胞に分化する能力はあるが、その能力に限界があるため『多分化能をもつ』と表現され」、骨髄には「多分化能をもつ造血幹細胞が存在しているため、それをドナーからレシビエント(受容者)に移植すると、ドナーの幹細胞がレシビエントの血液細胞や免疫細胞をまるごとつくり直せるようになる」。さらに、「骨髄の造血幹細胞には血液以外の他の組織にも分化する能力」があるとも言われている(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』319−320頁)。

 多分化能をもつ幹細胞は、「自己複製と特定の細胞への分化しかできないため、治療への用途は限られ」、「治療法の開発が待ち望まれている多くの病気を一気に解決というわけにはいかない」。それに対して、「どんな種類の細胞にもなりうる無限の可能性をもつES細胞」は、「多分化能より強力な多能性に期待が高ま」り、注目を集めるのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』320頁)。


                                       A ES細胞

                                    (a) 米国でのES細胞の登場

 ストックは、胚性幹細胞(ES細胞)の研究で「アルツハイマー病や心臓病の治療に飛躍的な発展をもたらしたり、老化のいくつかの側面を遅らせることができる」とした(グレゴリー・ストック『それでもヒトは人体を改変するー遺伝子工学の最前線からー』232頁)。

 胚性幹細胞の誕生 上述のように、胚性幹細胞(ES細胞、Embroynic stern cells、「胚に由来する幹、もとになる細胞という意味」)とは、研究室の培養装置内でできるもであるが、まずはその歴史を瞥見しておこう。

 人の最初の受精卵1個の万能細胞は、「分裂を繰り返して増えて」、万能性を失って「約60兆個にな」る。そこで、「受精卵が万能性を失う前に、細胞の一部を撮りだして増やせば、何にでもなれる万能細胞を作れる」と考えて、科学者は実験を繰り返し、1981年にイギリスとアメリカでマウスの細胞で胚性幹細胞が誕生した(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』)。つまり、英国のマーティン・エヴァンス、マシュー・カウフマン(ケンブリッジ大学)、米国のゲイル・マーティン(カ州大)がマウス胚性幹細胞を樹立し、「培養皿のなかで無限に増殖することができ、そして様々な細胞へと分化」させたのである(ジョナサン・スラック『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』25頁、福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』208頁)。

 1984年には胚性幹細胞を受精卵に注入し、胚性幹細胞由来の遺伝子をもつマウスを誕生させた(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』)。

 1990年、浅島誠氏は、「分化を始める前の段階の胚から、球体の頭の部分に集まった未分化の細胞をとり出し、これをアクチビンと言う蛋白質の物質で前処理して培養」し、「カエルの早期胚から試験管内で心臓や腎臓やねらいの臓器を自由に作り出す手法を確立」した。「アクチビオンによる臓器の誘導成功率は50%ほどだが、腎管はアクチビオンのほかにレチノイン酸という物質(ビタミンAの一種)を加えていて、100%誘導できるようになっており、他にこれまでに脊索、血球、神経、脳、目、肝臓、膵臓、筋肉ができている」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』200−202頁)。

 こうして、胚性幹細胞とは、受精卵が「分裂して、最終的に子宮の中で『胚盤胞』と呼ばれる状態」になり、「内側の細胞は胎児になり」、その「内側の細胞を取り出して、試験管の中で特定の条件下で培養」して作るのである。そして、このES細胞は、「試験管内である条件下で培養すると、造血幹細胞や血管内皮細胞などに分化し」、「さらにいくつかの過程を経て、造血幹細胞の場合は、赤血球、血小板、リンパ球ができ、血管内皮幹細胞であれば最終的に血管内皮にな」り、「その他の細胞も同様」であり、故にES細胞は「あらゆる細胞に分化可能な性質を持ち、無限に増殖する幹細胞」なのである(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。

 「ヒト」胚性幹細胞 1998年 「ヒトの場合は、受精後5−7日経過した胚盤胞から細胞の一部を取り出して培養すれば」、ヒトの細胞で万能細胞がつくられた(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』16−7頁)。つまり、1998年11月には、ジェームズ・トムソン(ウィスコンシン大学)が『サイエンス』に「ヒト胚盤細胞から誘導された胚性幹細胞株」を発表し、ジョン・ギアハートが『アメリカ国立科学アカデミー紀要』に「培養ヒト始原生殖細胞からの多能性幹細胞の誘導」を掲載し、ジェームズ・ロブルら(ATC社=アドヴァンスト・セル・テクノロジーというベンチャー企業)が「ウシ未受精卵とヒト体細胞とのクローン胚を作り、これでヒトES細胞を作る」のである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』203−6頁、ジョナサン・スラック『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』29頁)。

 ジェームズ・トムソンは、「胚盤胞(「哺乳類では、受精卵が受精後分割を終えて、分化を始める前の段階にある胚」)では内部に大きな割腔ができて、分割した細胞は動いて一ヶ所に固ま」り、この内部細胞塊(「胎盤を除くすべての体細胞に分化する能力を持った未分化細胞の塊」)をとり出し、「これを幹細胞分化抑制因子を放出することが知られているマウスの特殊な細胞と、LIF(白血病抑制因子)という物質を加えた培養基で培養」した。「治療目的で作られた体外受精卵」36個を「患者のインフォームド・コンセントを得て提供してもら」い、「未分化のまま増殖するヒトES細胞」を5個つくった。そして、「これらの細胞は、免疫不全マウスに注射して奇形腫を作ってみると、奇形腫は骨や筋肉、消化管上皮、神経などを含んでいて、間違いなくES細胞である事が証明された」とする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』203−4頁)。

 ジョン・ギアハートは、「受精卵ではなく、治療中絶胎児の始原生殖細胞(発生が進めばやがて生殖細胞になる細胞)から作られ」、「受精後5−9週のまだ胎芽と呼ばれる段階の胎児」からとった始原生殖細胞を培養して、「幹細胞分化抑制因子を出すマウス細胞としLIF(白血病抑制因子)やFGF(繊維芽細胞成長因子)を加えた培養基に移して更に培養」して、多能性幹細胞をつくった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』204頁)。これは、「受精卵から作ったものに比べれば幹細胞としての能力は劣る」ES細胞であり、EG細胞(Embryonic Germ cell)と呼ばれる。

 ジェームズ・ロブルらは、「核をとり除いたウシ卵」とヒト体細胞52個を、「電気刺激を加えて融合させたところ」、一つだけ「分化しきったヒト体細胞が発生の初期段階に戻って、人に分化発生できる胚」となり、それは「胚性幹細胞(ES細胞)に似た細胞」にとどまり、「ES細胞を作るところまではまだ行ってなくて、実験途上での発表だった」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』205頁)。

 最初のヒト胚性幹細胞臨床試験 米国での胚性幹細胞(ES細胞)のラット実験では、「幹細胞は離断した脊髄を再結合させ」た。そこで、2009年1月、米国食品医薬品局(FDA)は、まず「予期しない有害作用がでないかどうかを確かめる」ために、「脊髄損傷の治療としてヒトES細胞を使った初のヒト臨床試験の実施」を承認した(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』322頁)。

 「組織をもとに戻す力、あるいは修復する力が幹細胞にあるとわかれば、その方法で治せるかもしれない病態の数は膨れ上が」り、特に「膵臓のインスリン産生細胞の数が足りない糖尿病」と、「脳内のニューロン集団が死滅しているパーキンソン病」の治療に期待が集まっている。しかし、ここでも、@まず、「細胞をふさわしい場所に送達するのがむずかし」く、A次に、「細胞がその場所におさまった後きちんと機能させるのがむずかしい」のであり、B「その細胞が他人のものに由来すれば、免疫系に拒絶される」などの諸問題がある(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』322頁)。

 幹細胞移植の拒絶反応問題への対策としては、羊ドリーが乳腺細胞(大抵は皮膚細胞)の「体細胞核(ドリーの全ゲノムが入っている)移植と呼ばれる方法で作り出され」ると(「乳腺細胞から核だけ取り出し、その核を、あらかじめ核を取り除いておいた別のヒツジの卵細胞に挿入」すると、「卵細胞の細胞質から信号が送られ・・乳腺細胞の核のDNAが初期化され」、「この初期化されて全能性を取り戻した胚を前の二頭とは無関係のヒツジの子宮に入れ、その子宮から乳腺細胞を提供したヒツジの遺伝子的クローン」のドリーを生むという生殖クローニング方法)、「患者自身に由来する幹細胞ができれば、免疫抑制剤等不必要になる」と想定されたるものがある(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』323頁)。

 「韓国の研究チームが体細胞核移植でヒトの全能性細胞をつくるのに成功した」と論文を捏造したことがあったが、しかし「全能性への初期化がヒトでもできるのかどうかは不明」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』323頁)である。

 さらに、@「ドリーを含む他の哺乳類クローンすべてにおいて、何かしら異常が見つかっている」事、A倫理的に擁護されても、クローン人間には「尋常ならざる重荷」を課す事、Bやはり「ヒトの生殖は精子と卵子の結合から逸脱すべきではない」事などから、「全能性細胞を女性の子宮に植えつければ、ヒトの生殖クローニング、つまり現存する人物の『コピーをつくる』」という体細胞核移植には「やはり深刻な倫理的懸念」があるのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』324頁)。

 しかし、コリンズは、@「採取した皮膚細胞に、倫理的に尊重すべき価値を見出すのはむずかしい」事、「ヒトの卵細胞から核を取り除いてただの細胞質の袋になってしまったものも、倫理的に尊重する対象として見るのはむずかしい」事から、「その二つの存在をラボで融合させたものに、倫理的に尊重すべき地位」は疑わしい事、A「問題は、その産物を子宮に入れるという所」にあるから、「全能性細胞の子宮移植が全面的に禁止」になれば、「多くの識者たちは、ヒト体細胞移植の研究を容認するだろう」とする(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』324頁)。

 ヒト胚の商品化 1997年、「分化しきった体細胞が初期化し個体発生の過程を再びたどることは、少なくとも哺乳類ではあり得ない」と言う常識を覆して、クローン羊が生まれ、「同じ技術で人のクローン個体が作れるという事実は、20年来行なわれてきた人の生殖操作、すなわち生殖補助医療がかかえる底知れない闇の深さを覗かせることになって、人をたじろがせ」た。さらに、このクローン羊は、ロスリン研究所とPPLセラビューティクス社との共同研究で、「動物工場の量産を目的にした実用研究から生み出され」たということである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』275−6頁)。

 次いで、遺伝子組換え操作に「80年代末から米・英を中心に激しい開発競争が行われ」、PPLは遺伝子操作に「クローン技術を組み合わせて動物工場を効率よく作り出す方法を考案した」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』276頁)。アメリカをはじめ各国政府は、「突然開かれたこの驚異的な新技術を工業や農業に利用していく道がふさがれるとの判断が働いて」、「このニュースが伝わるとすぐに人クローン禁止の方針を打ち出して、社会一般に広がる人クローンへの恐怖や抵抗を鎮めにかかった」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』277頁)。しかし、1998年、「アメリカでヒトES細胞が樹立されたことがわかって、事情は一変し」、「ヒト胚に個体を作るのとは別の使い道ができ、胚でものが作れるようになって、胚それ自体に資源価値が発生した」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』277頁)のである。

 胚は、体外受精胚、キメラ胚、ハイブリッド胚、クローン胚、それらの亜系などがあるが、「資源価値はクローン胚が最も高いとされている」。「クローン技術にES細胞を重ねることによって、ヒト胚が産業資源と化し、人は胚レベルでめでたく産業に組み込まれ」、「バイオテクノロジーの潜在能力を一気に広げることになった」。「本当に実現すれば、それはもう人類史上初めての『産業革命』というほかはない」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』278頁)。

 「体細胞クローンは先鋭なヒト胚創造技術であり、ヒトES細胞によってその能力が表に引き出された」事に気づけば、「ヒト胚創造・加工技術はすでにいくつも存在していた」事が分かる。「生殖細胞遺伝子といわれるものもヒト胚加工技術であ」り、「技術は出尽くしていたのであ」り、「これらもまたES細胞によってヒト胚を産業資源に変え、クローン技術ト並んで、あるいはこれと補い合って壮大なヒト胚産業空間を形成することになる」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』278頁)。

 懸念 これは「ヒトES細胞というのが本当に使い物になる」事が前提であり、「人と社会はヒト胚を資源とし、ヒト胚工業を基幹産業の一つとして国を富ます」ことが可能かという問題を持つ。福本氏は、この問題を「日常に置き換えれば、ヒト胚を産業利用することを私は許容できるか」ということになり、さらに「ヒト胚製品の消費者になること、言い換えればヒト胚で作られた医療材料で病気を治されることを、私は受け入れられるか」ということになるとする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』278頁)。

 しかし、「国はヒト胚に関する包括的な検討に踏み込むのを避け、議論をかわしたまま、最短距離で法律を作り形だけ体制を整えて、ヒト胚利用に踏み出してしま」い、「ヒト胚研究小委員会以来丸三年に及ぶ経過の中で」一度も議論されることがなかった。「国民が繰り返し吹き込まれたのは、クローン胚とヒトES細胞の利用が医療に極めて有用だということだけであ」り、福本氏はこれに危険を覚えるのである。氏は、「日本はES細胞の作成を正式に認めることによって欧米を出し抜いたようである」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』279頁)と指摘する。


                                         (b) 欧米の動向

 クリントン大統領の方針 上記三人のヒトES細胞作成は、「各方面に与えた衝撃は大き」く、「海外のマスコミ・メディアがとりあげ、科学誌はくり返し論評や解説を書」き、1998年に「クリントン大統領が国家生命倫理諮問委員会にこの問題の検討を命じた」(星野一正「米国国家バイオエシックス諮問委員会のヒト幹細胞研究における倫理的論点」『時の法令』1642号、2001年5月)。

 1998年11月に、クリントン大統領は、NBAC(国立バイオエシックス諮問委員会)に、「すべての倫理的並びに医学的な配慮の下に、ヒト幹細胞研究に関する問題点について徹底的な調査を行う任務」を課した。大統領の要請は、幹細胞研究の科学的な探究への「連邦政府の支援をめぐる一連の倫理的論争」が起こっている事への対応であった(星野一正「米国国家バイオエシックス諮問委員会のヒト幹細胞研究における倫理的論点)。

 多くの人が、「ヒト胚子はヒトの命の姿として敬意を払われるべきことに同意するであろう」が、「どのような形で敬意が払われるべきか、どの程度の保護が胚子発生のそれぞれの段階で必要であるかに関して不同意が起こっている」。「EG細胞系が生じるための死んだ胎児組織の利用は、死体からの組織や器官の目的別利用のように、研究がすでに設置されている公衆安全政策や監視に従っているという条件の下で、おおかた一般的に受け入れられている」。@胎児組織からのEG細胞の研究、A「不妊症治療後に残されている胚子からのES細胞」の研究には、「連邦政府の基金に選ばれる資格があるべきである」が、B「体外受精を用いて研究目的のためにのみ作られた胚子からのES細胞」の研究、C「卵母細胞への体細胞核移植を用いて作った胚子からのES細胞」の研究には、「連邦政府機関は資金を提供すべきではない」とする(星野一正「米国国家バイオエシックス諮問委員会のヒト幹細胞研究における倫理的論点)。

 @、Aの研究には連邦政府基金が容認されるのは、ヒト幹細胞研究における最近の発達は、@「新しい治療法が可能となり、人々の苦痛や苦悩を和らげるために役立つという希望を高め」、A「これらの発達は、また、ヒト胚子や死んだ胎児の組織を使う研究に関する深い道徳的な配慮について、社会的関心を喚起させるのに役立っている」が、「これらの問題に関して、真剣な倫理的な議論が継続するであろうし、継続するべきであろう」ということからである。われわれは、「ヒト胚子や胎児はヒトの生命の形態として尊重されなければならないが、幹細胞の研究の科学的並びに臨床的な恩恵を忘れてはならないという実質的な同意を見いだし」、「連邦政府の後援の下で、ヒト幹細胞研究が遂行されることは重要であると認識し」、「もしそれが倫理的に責任のある方法で実行される限りにおいて、広範な審議の後に、NBACは、広く共有した見解の上で、許容し得る公共政策を前進し得ると信じた」(星野一正「米国国家バイオエシックス諮問委員会のヒト幹細胞研究における倫理的論点」)とする。

 この頃は、ヒトES細胞は「人間の命は受精の瞬間に始まると固く信じている人々にとっては、・・心穏やかで」はないが、「すでに多くの人に受け入れられている体外受精では、通常、数個の胚を作っている」。そのうち「子宮に戻されなかった数百、数千の余剰胚」は冷凍保存され、その大多数は「やがて破棄される」のである。すると、冷凍胚の破壊と、「その一部を使ってヒトES細胞株をつく」り「脊髄損傷や糖尿病、パーキンソン病の治療」に活用できる事では、後者の方が「倫理にかなっている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』320−1頁)のではないかということになる。

 ブッシュ大統領の方針 2001年8月、ブッシュ大統領は、倫理的な理由から、「ヒトES細胞を使った研究への連邦資金拠出を、同年8月9日まで作成された株なら許すが、それ以降の株には許さない」と決定した。ブッシュら宗教右派は受精卵を壊すことへ強く反対したのである。しかし、これは「独断的な期限」で「だれにとっても納得がいか」ないものであった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』321頁、「米国で ES 細胞研究に対する政府助成が解禁へー大統領令第 13505 号と NIH によるガイドライン草案の紹介」[NEDO海外レポート、NO.1047.2009年7月1日])。

 オバマ大統領の方針 2009年3月にオバマ大統領はこのブッシュ決定を破棄し、ES 細胞研究に対する連邦予算の助成を解禁する大統領令に署名した。オバマは、第一条で、「ヒトの胚性幹細胞(ES 細胞)および非胚性幹細胞を用いた研究には、身体の自由を奪う多くの病気や障害に対する理解の促進と、より優れた治療技術の実現につながる可能性がある。この将来有望な科学分野における過去 10年間の目覚ましい進歩を受け、科学界では、この分野の研究が連邦政府による助成を受けられるようにするべきだという意見が大勢を占めるようになっている」とした。

 そして、オバマは、、「コリンズ博士を米国のライフサイエンス研究の司令塔である国立衛生研究所(NIH)の所長に抜擢」(上昌弘「解説」[フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』346頁])した。コリンズは、「精子と卵子が融合した受精卵は未来のヒト」であり「尊厳をもって取り扱うべきだ」として、「研究目的のためだけにヒト胚を作成するという考え方」にはなじめないとする。だから、オバマ大統領がガイドラインで、「ES細胞株への連邦資金拠出は体外受精の余剰胚から作成した細胞株に限る」としたことに賛同する。

 コリンズは、「両親からきちんと同意を得ていて、また不適切な動機が絡んでいなければ、捨てられる運命の体外受精の余剰胚を研究用に使うことは・・倫理的に容認できる」し、「現状では治療できない病気に苦しむ人を救うための研究に使われるのなら、むしろその方が人道的」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』321−2頁、「米国で ES 細胞研究に対する政府助成が解禁へー大統領令第 13505 号と NIH によるガイドライン草案の紹介」[NEDO海外レポート、NO.1047.2009年7月1日]も参照)とする。

                                        (c) 日本の動向

                                (イ) 第1回「科学技術会議ヒト胚研究小委員会」

 1998年(平成10年)11月に上述のように米国でヒト胚性幹細胞(ヒトES細胞)をとり出す技術が確立されると、日本では、まず、12月16日にヒト胚研究小委員会が設置され、次いで1999年2月9日には、科学技術庁第7会議室で第1回「科学技術会議ヒト胚研究小委員会」が開催された。以下、この会議「議事録」(文部科学省「第一回「科学技術会議ヒト胚研究小委員会議事録」)により、当時のヒト胚性幹細胞(ES細胞)研究状況考察をしてみよう。

 岡田善雄委員長(千里ライフサイエンス振興財団理事長)は、この会議開催理由として、「もともとは、1985年前後からマウスの全能性の細胞がとれて、この細胞を使って、いわゆるヒトの疾患モデル、マウスを使いますけれども、マウスで特定の遺伝子を欠損したマウス個体をつくって、それでヒトの病態をつくり上げて研究しようという流れがそのころからずっと起こってまいりまして、これは非常に盛んに進んでまいりました。マウスのESのときには、我々は安心してやっておった」が、「昨年暮れにヒトの全能性の胚細胞がとれたという報告があって、ある意味でいいような悪いような、とにかくこれに対応しなければいけないというふうな」り、「ヒト胚が重要な課題になってき」たと、把握する。つまり、「やはりヒトのESということになりますと、今後その細胞を非常に有効に使える方向性が見えているということもあり、一方では非常に気になる問題もそこには存在するということがありまして、これをとにかく有効なところをうまく伸ばしていって、危ないところは抑えるという非常にきめの細かいガイドラインづくりをしておかないと、有効性の方の仕事がなかなか動きがとれないということがある」と、あくまで有効利用を優先するとするのである。

 ES細胞の定義 まず、勝木元也氏(東大医科研)は「ES細胞に関する研究状況について」 報告する。この委員会が、しっかりと、基礎から把握しようとしていることが確認される。

 ES細胞というのは、「1984ー5年の時期にイギリスの発生学のグループがマウスで樹立したのが最初」であり、「エンブリオとは胚のこと」で、「胚の幹細胞は、いろいろな神経や筋肉や内臓などの、様々な細胞に分化できるけれども、そういう潜在能力は持っているけれども、まだそういうものに分化していない細胞として分離され」た。

 「ヒトの発生」とは、「まず、卵子と精子から受精が起こり」、「このときに二つのゲノムから新しい組合せができまして、その遺伝子の組合せについてはあらかじめ我々が知らないという不確定性と、それから唯一性というものがこの受精の瞬間に起こ」り、「あとはプログラムに従ってどんどん分裂を続けていきまして、2倍、4倍、8倍というふうに分裂を続けていきまして、やがて胚盤胞という時期を迎え」、「この胚盤胞という時期は、最初の大きな分化と言える時期でありまして、底の方に何か細胞の塊のようなものが沈殿したように書いてございますけれども、この部分がやがて胚そのもの、つまりエンブリオそのものから胎児、そしてやがて個体にまで発生するものになり」、「一部が胚として発生するものになり」、「そのさらに一部と、その外側にある丸い部分は栄養芽細胞層といいますが、胎盤など母子関係をつくるような細胞が分化増殖して」、「やがてヒトですからほ乳動物ですが、子宮に着床いたしまして、胎児へと発生し」、「それぞれの細胞が、やがて心臓や筋肉細胞、腸管の上皮細胞というように、それぞれの非常に特殊な性質を持つ細胞に分化していき、やがて個体として調和のとれた一人の個体が生まれる」とする。

 しかし、「確実にこれは1個の受精卵から出発しているものでありますから、異なる性質の細胞はどこかでその性質の決定が行われるわけであり」、「そういうものを細胞が分化すると申し」、「細胞の数が少ないときには、いろいろな細胞に分化できるようなもとになるような細胞があり」、「それを例えば血液でいいますと、・・血液の幹細胞というものができまして、それからさらに血液の中で非常に特殊な性質を持つ細胞へと分化する、そういう性質のものを幹細胞というわけ」だとする。例えば、「膵臓にも幹細胞がありますし、肝臓にも幹細胞がありますし、ごく最近ではトピックスになっておりますが、神経の幹細胞も存在するということが報告されており」、「したがって、それぞれ独自の組織にはそれぞれの幹細胞が存在するものだと考えているわけで」、「時間をずっとたどっていきますと、その幹細胞がやがて受精卵まで逆にたどり着きますので、受精卵はすべての細胞に分化する能力を持つという意味で、全能性を持つというふうに言うわけであります」とする。

 ところで、「1984年にマウスで開発されたのと全く同じ方法によって、昨年(1998年)の11月にヒトでもES細胞がつくられ」、「それは胚盤胞の時期の細胞で、先ほど胚自身になる、エンブリオ自身が発生していると申しました細胞を、ここの絵で見れば底の方に沈殿しているような細胞、その内部細胞塊というところをシャーレの中で培養していきますと、これが実はその細胞を子宮に植えましても、いろいろな方法を講じましても、正常な細胞と組み合わせない限りは、決してそれ自身が個体が発生することはない」が、「いろいろな条件を変えてやりますと、・・心筋の細胞になりますし、肝臓の細胞にもなりますし、血液の細胞にもなりますし、皮膚の細胞にもなりますし、膵臓の細胞にもなる。ありとあらゆる細胞になることができる。しかし、これらを幾ら培養いたしましても、一つの形をなす個体には発生しない。という意味で、あくまでこれは胚ではなくて細胞なのであり」、故に、「エンブリオニックなのでありまして、エンブリオ自身ではないわけであり」、「その点、この細胞というのは、完全にそれ自身で個体が発生することはありませんので、細胞としての取扱いということにな」るとする。

 ただし、「これを一度胚盤胞のところにガラスピペットを利用しまして、うまく注入してやりますと、注入された方の発生を母体にいたしまして、注入した方の細胞、つまり外から加えた方の細胞が個体の一部にまでなることができ」、従って、「ES細胞がマウスで分離されまして、どういう実験が行われるかと申しますと、培養系の細胞ですから、何百万、何千万というふうにどんどん体外で増やすことができるわけ」で、「遺伝子操作が非常に簡単にできるようになりまして、・・細胞が遺伝子操作されたES細胞を正常の白い胚盤胞の中にガラスピペットで注入してやりますと、ES細胞はそれだけでは個体には発生できなかったんですが、個体に発生する胚盤胞と混ぜてやりますと、このようなキメラマウスというのができて」くるとする。「このキメラマウスといいますのは、先ほどのES細胞がいろいろなものに分化した結果、しかも調和のとれた個体の中で分化した結果、いろいろな部分の細胞になり得るわけであります。生殖細胞にも分化できますので、次の世代に遺伝子操作したES細胞の遺伝子を伝えることができ」、故に、「現在ではほんとに自由自在に遺伝子をいろいろな状態に変えた動物、突然変異を個体として試験管の中で計画してつくることができる、そういう事実があります。ES細胞はそういう性質を持っておりますので、マウスでできますことは、基本的にはヒトにも使えますので、ヒトのES細胞もそのような性質を持っているということは変わ」らないということになるとする。

 受精卵の定義 迫田朋子氏(NHK解説委員)は、「受精卵というのと胚というのはイコールだと思って理解してよろしいの」かと質問する。勝木氏は、「分裂して2細胞以降で、しかも着床したすぐまでぐらいのところを胚」と言い、「それ以後、形ができてきますと胎児」になるとする。そして、「受精卵というのは、いわゆる受精の瞬間の1細胞期の卵」とする。「受精の瞬間に境界」があり、そこから「プログラムに従ってずっと進」み、あとは「幹細胞から分化するというところにもう一つの境界」=「相転移」があると補足する。

 武田氏は、「胚盤胞からさらに分化しまして、胎児の形になる」「大体12週前後」は、「まだいろいろな尻尾があったり、そういう状態のときを胎芽」と言うとする。西川伸一氏(京都大学医学部の分子遺伝学者)は、「社会的な通念として言えば、個体創出可能なものをすべて胚と呼んでいい」とし、受精卵も「個体創出可能なんだから、胚と呼べばいい」とする。勝木氏はこれに賛同し、「Embryonic Stem Cell(ES細胞)のエンブリオニック(『幹』の役割を 果たしているのだろう)という意味で『胚性幹(ES)細胞』と呼ばれている)とエンブリオ(胚)の違いはそこにあ」るとする。

 事務局は「受精卵といったときに、もう少し分割の進んだものまで含んで受精卵と言われるようなケースがある」から、「もう少し幅が広い」とする。これを受けて、勝木氏は、「胚の中に受精卵も含まれるというふうに考えれば」いいのだとする。西川氏は、「8分割の胚をばらばらにして、1個1個別にしてもいいし、もう一回戻しても着床しますね。個体創出します」が、「例えば胚盤胞の時期をとってこられて、一度ばらばらにされて、幾ら細胞を混ぜて着床させても、それは二度と個体になりません」から、「基本的にそこで使われている概念というのは、一つの個体を創出できるかどうか」ということになると、核心を指摘する。

 高久史麿氏(自治医科大学)は、「勝木委員がおっしゃったように、受精した瞬間のは受精卵と言って、その後は胚というのが簡単ではないか」とすると、村上氏は、「そうすると、いわばクローンにより生まれたものは胚ではないということになりかねないわけですが、そこはいいんですか」と、疑問を提出する。岡田委員長は、「そこまでオーバラップしないでおいてほしいんです。というのは、クローン小委員会のところで私が定義した場は、精子と卵子の受精という形からスタートするものと、それを経ないものと。ヒトのクローンの場合には、そういう受精というステップを通っていない非常に人為的なものという形のことをベースにして討論してほしいというのがスタートの原則だった」と反論する。細部では、一致しないようだ。

 高久氏は、「生殖細胞自身は我々の議論の対象から外れている」のかと問うと、岡田委員長は、「難しいことを言えば、生殖細胞」だが、「その一番もと」で、「まだ精子になるか卵子になるかわからないもと」だとする。

 勝木元也氏(東大医科研)は「クローンにしましても、ES細胞にしましても、なぜこれが議論しなければならないかということがまずあり」、「多分欧米では胚の操作、生殖に関する様々な研究や医療行為に関して、ヒトに対しての適用に関して非常に基本的なスタンスがまず議論されていて、個別のクローンが出てき、ES細胞が出てきたという順序がある」から、「日本でもそれをきちんとやっておかない」いけないとする。したがって、氏は、範囲を「最初は非常に広くとって、その上で原則をきちんとここで議論してというのが本来の目的ですので、生殖細胞のことも必要に応じて議論するべきである」とする。しかし、岡田委員長は、そうすると、問題は「永遠に続いて、永遠に終わらないので、それだと委員会の意味での主体ではない」から、「やはりこの会は、ある意味では行政的な問題(ガイドラインの制定)を含めている」とする。学問的というより、行政的という所に、この小委員会の特徴がある。

 ヒト胚の有用性 すると、事務局は、「資料1ー5(ヒト胚研究小委員会 生命倫理の観点から検討すべき事項について)」は「全体としましては、ヒト胚性幹細胞、2番ヒト胚、3番にヒト・動物のキメラ・ハイブリッド、4番に規制の必要性の有無という構成になっており」、こうした議論の出発点になるとする。

 1番のヒト胚性幹細胞は、「ヒト胚との組合せで、ヒト胚自体と類似の性質を持ち得る可能性があるということで、その作成・使用について、どう考えればいいかという視点」であり、「研究の在り方としては、作成に係る研究と使用に係る研究が幾つかある」とする。ここでは、「ヒト胚の滅失を伴う胚盤胞から作成する研究方法と、始原生殖細胞から作成する研究等、その他の研究、これはヒト胚は使わないというもの」などが研究されるとする。使用研究については、「試験管内で行う研究」が許されるのかなど、「ヒトの発生・分化の基礎研究になるもの」であり、「それから、組織移植、細胞治療、不妊治療、胎児治療、医薬品開発等のための臨床研究、応用研究も考えられ」る。もう一つは、「他のヒト胚と混ぜて、新たな胚を作成する研究」(人工的な細胞構成を持つヒト胚の創出につながる)、「母体に移植した場合は、ヒト個体の産み出しにもつながる」。

 次に、「遺伝子組換えを伴う研究ということで、これも人工的遺伝子構成を持つヒト胚性幹細胞の創出になるということで、この細胞をヒト胚と混ぜることによりまして、人工的な細胞構成・遺伝子構成を持つヒト胚の創出につなが」り、「これを母体に移植した場合、ヒト個体の産生になる、こういう研究を容認するかどうか」、それから、「2番目のヒト胚の基本的論点ということで、ヒト胚に関する検討というのは、今、1番のヒト胚性幹細胞の検討の基本的視点を与えるものである」とする。また、「ヒト胚は、そもそも人として取り扱うべきか、物として取り扱うべきかを十分検討する必要があるのではないか。特に、人としての取扱いが求められる場合に、ヒト胚を研究目的で産み出してよいかどうか」と言う問題があるとする。「一つは試験管内に関するもの、もう一つは新たなヒト胚作成、もう一つは遺伝子組換え」が容認されるかという問題があるとする。

 まず「ヒト胚の分割、培養等を試験管内で行う研究」は、「ヒト個体は産み出さない」ことになる。「ヒトの発生・分化研究等の基礎研究」の一つは、「不妊治療、胎児治療、医薬品開発等のための臨床研究、応用研究。それから、原始線条出現(卵割開始後2週間)以後の研究」だが、これらが容認されるかどうかという問題があるとする。それから、「ヒト胚性幹細胞と混ぜて、新たなヒト胚を作成する場合、これも認められるかどうか」、「遺伝子組換えを伴う研究ということでありまして、これは生殖系細胞操作と同様の意味を持ってくる。人工的遺伝子構成を持つヒト胚の創出につながる。これを母体に移植した場合、ヒト個体の産み出しにつながるが、これが認められるかどうか」が問題だとする。

 3番目の論点として、「ヒトと動物のキメラ・ハイブリッドを作成することとなる以下の研究は、容認されるかどうか」ということだとする。これは、「ヒト胚性幹細胞を動物胚と混ぜる、あるいは動物胚性幹細胞をヒト胚と混ぜることによりまして混合胚を創出する」、「試験管内で培養する研究などが、「研究として認められるかどうか」とする。4番目の論点は、「規制の必要性の有無ということで、ヒト胚性幹細胞、それからヒト胚につきまして、その創出と利用と譲渡等の規制の在り方、禁止したり、許認可したり、届出、審査、公的資金の配分等、こういう観点についての議論が必要ではないか」とする。

 岡田委員長は、「ES細胞を中心とするこの小委員会をどうしてもつくらねばならなかった最大の理由」は、@「ヒトのES細胞を使っていろいろ有用なことが確かにできそうだという判断を専門家の方々、世界中の人が持っておられるということ」、A「勝木委員が説明されたようなキャラクターも持ちあわせている」事の二問題を整理する必要があるからだとする。ヒトES細胞は有用だから使いたいが、そのためには諸問題を克服したいという姿勢が確認される。

 高久氏は、岡田委員長に賛同し、「遺伝子組換えを伴う研究の項ですが、移植のために組換えが必要な場合が出てくる」のであり、「遺伝子組換えを伴う研究が、すぐヒトの胚の創出につながるという表現はおかしい」と批判し、「遺伝子組換えがすぐヒト胚の創出にはつながらない」とする。迫田氏は、「このヒト胚性幹細胞というものがアメリカで既にあるということは理解してはいますが、これは既にそれがあるからといって、そこからスタートするのではなくて、多分この胚性幹細胞をつくるためには、受精卵から分割していく、ある個体というか、ある特別な遺伝子を持ったものが胚があるということになりますよね。既にES細胞があって、そこからそれをどういうふうに考えたらいいかというよりは、ES細胞をつくる過程というところが必ずあるんじゃないかと思って、そこの方が本当は先に、どっちが先でもいいですけれども、大事なのではないか」と反論する。

 議論の焦点が受精卵の作成方法に移って来た。岡田委員長は、「このES細胞を使いたいという研究者がすべて受精卵をハンドリングせねばいかぬかというと、そうではない」とする。石井氏(東京都立大学法学部)は、「作成方法に2種類あるというご説明で、先ほど図で説明していただいたのは1の方だけです」から、「2の方も説明いただけると有り難い」とする。勝木氏は、@「生殖細胞、卵子が発生してくる過程で、最初の発生のもとになる細胞、・・始原生殖細胞という時期があり」、「この時期は、まだ普通は受精のときには減数分裂といいまして、染色体を父親と母親とから半分ずつもらって2nというものになるんですが、始原生殖細胞の場合はまだ2nの状態」であり、A「その状態を外にとり出しまして、試験管の中で培養していくことがごく最近、マウスで成功し」「その同じ方法を、・・そこの胎児の時期に既に始原生殖細胞ができていますので、その始原生殖細胞をとり出しまして、試験管の中で培養し」、B「 これは培養の条件が全部整っていますと、卵子にまで発生して減数分裂をするという直前でとまっているわけ」で、「精子が来て受精するんですが、現在の段階ではファクターが少ないか多過ぎるか、ちょっとわかりませんけれども、試験管で培養すると、ES細胞(正確にはEG細胞)に分化してしま」い、C「ES細胞というのは、その細胞を先ほど申しました胚盤胞の時期にピペットで注入してやりますと、注入されたものも個体の一部になるという性質を持ってい」て、「その性質が一番完全なES細胞の性質なんですが、そういうものを始原生殖細胞から試験管の中で培養したものも持つようになるという実験結果があり、つまり「受精卵からではなくて、あるいは卵子からではなくて、胎児のまだ卵子に発生しかけている細胞からES細胞をつくることができる」、つまり、「生殖細胞はどんどん母から娘へ、そしてその孫娘へと循環している」から、「受精卵から出発しますと、そこからずっと回ってきて胎児が発生して、そこのところで始原生殖細胞をとってき」て、「次の卵を発生するものが既に胎児のときから始まっているわけ」だから「そこからもとり出してES細胞をつくることができるということ」になるとする。

 石井氏は、@「ES細胞になるというふうにご説明されましたが、私のつたない理解ですと、中絶胎児の卵子を生殖の治療に用いることができる。そういう意味では、卵に培養することができるというふうに私は理解していた」事、A「今は中絶胎児の始原生殖細胞に限るのですか。成人した大人の生殖細胞あるいはその元の細胞からつくるという可能性はないの」かと疑問を提起する。西川氏は、「逆に、卵子とか精子にするのは難しいです。実際に始原生殖細胞を最終目標として卵子・精子にしたいということで研究しているわけです。ところが、細胞が増えるようになったんだけれども、結局は若干違うんですが、ES細胞とよく似たものになる。すなわち、ブラストシストへ注入し、その個体の中ではじめて生殖細胞へと分化する。したがって、例えば勝木委員がおっしゃった仮親が要るわけです。この細胞からは、残念ながら生殖細胞は直接分化しない。仮親の中では、きちんといろいろな細胞になって、なおかつ生殖細胞になって、個体もつくれる」とする。

 柔軟規制と危惧表明 豊島久真男氏(大阪府立成人病センター)は、「今おっしゃったほかに、もう一つあ」るとして、「動物の受精卵を使って、そこにヒトの核を移植」する事を指摘する。そして、「アメリカのつくったES細胞は三つあ」り、@「始原生殖細胞からつくったものは、流産した胎児からつくってい」る事、A「最初の勝木委員が説明された過程でつくられてきたES細胞は、基本的にはアメリカの法規で規制されて」、「もちろん他の動物のES細胞に人間の核を入れるというのも問題があ」る事、B「予測としてES細胞として一番優れているのは、恐らく今の法規外のところでつくられた、実験目的でつくってきた試験管内受精でつくられたES細胞」であり、「NIHの所長のバーマスは、超法規的にそれを認めることを提案した上で、研究の許可になっている」とする。迫田氏は、「アメリカのNIHがES細胞の研究が先ほどの法律に該当しないというふうに言ったということは、受精卵から胚盤胞までにして、そこからつくることそのものではなくて、ES細胞そのものを使った研究はいいというふうに、つまりできたものに対しての研究はいいというふうに言ったという理解なんでしょうか。つまり、胚を破壊し、廃棄し、故意に傷つけ、死にいたらしめる研究は、アメリカでは研究資金を出さないということになっていたというふうに書いていて、それが今回の研究では該当しないというふうに言ったのは、つくるところは無視して」かと、質問する。豊島氏は賛成し、「だから、新たにつくると、それは法規を犯したことになる」とする。

 事務局は、「NIHはこれからそれぞれ事項ごとにちゃんと議論をして、最終的に一種の方式を決め」、「その方式が決まるまでは、研究費については出さないと言っております」が、「原則の考え方としては、恐らく今、豊島先生がおっしゃられたような考え方で貫かれているだろうと思います」とする。村上氏(国際基督教大学)は、「全世界の研究者たちが既に存在しているヒトのES細胞を使って実験するという可能性は既にあるという前提で出発すべき」とする。

 島氏は、@「私は、欧米でのヒトの胚の扱いをめぐる議論あるいは政策決定過程をこの数年フォローしてき」て、「今日お出ししたこの論点メモは、ヨーロッパやアメリカでこういう議論を延々とやってきたというもの」だとし、A「日本では今まで人間の受精卵や胚について、それをどこまでどう扱っていいかということには、ほとんど関心が払われてこなかった」とし、「脳死は人の死かという議論に比べると、人間の胚は人かどうかということは日本の社会では余り大きな問題になって」こなかった事、B「日本の社会が、人の生命の始まりについて、欧米ほどのセンシティビティーを持たないかどうかということが、この委員会ができた一つの眼目」であり、「核移植・クローン技術に続いてES細胞開発と、人間の命の始まりを操作する技術が現実のものになった以上、こういう委員会を改めて日本でもつくらなければいけなくなった」とする。

 島氏が、「一番危惧しているのは、現在進行中の厚生省の生殖医療の専門委員会が、精子や卵子、つまり生殖細胞と受精卵や胎児の研究利用について、検討の論点から外してしまったこと」であり、「それはここでやるしかない」とする。そこで、氏は、@「人間の胚を第三者のために譲渡していいか。人間の卵、未受精卵を第三者の不妊治療のために提供していいかどうか」、「研究利用ということは、要するに全く自分の治療のためではなく、ほかの人がやる研究のために譲渡するということですから、そもそも一般的に人間の胚を第三者に譲渡していいのかどうかという議論をしないといけない」事、A「人の胚の研究利用は許されるのか、許されるとしたらどの範囲かという問題」に関連して、「日本でも大変問題になっている受精卵遺伝子診断のための研究が認められるかどうか」など、「ES細胞の研究の源として何を認めるのかということが非常に大事な論点になる」とする。

 島氏は、@「そもそもESに限らず人の胚の研究は、何を源とするのか。不妊治療で余った胚をもらってくるのか、それとも研究目的で精子と卵子の提供を受けて体外受精を行っていいのか」、A「この研究目的で胚をつくる場合も、精子や卵子をどこからかもらってこなければいけません。どこから、何を根拠としてもらってくるのかを明確にしておかなければいけません」、B「核移植によって作られた胚を材料にしたES細胞研究は認められるのかどうか。これも非常に大事な論点」だとする。

 監査の寛厳論 島氏は、最後に、「監査体制の在り方」として、@「公的研究助成が認められる範囲を確定する方がいいという論点として、一つに、先ほどから議論になっているアメリカの政策対応ですけれども、最近のアメリカのNIHの声明や国家倫理委員会のアジェンダを見ておりますと、アメリカではステム・セル・リサーチ(幹細胞研究)という言い方をするようにな」り、「形容詞のエンブリオニック(胚の)を取って議論してい」て、「胚の扱いを議論するとおさまりがつかないから、でき上がった幹細胞株以降の研究ということにしているようで」ある。だから、「幹細胞という言い方しか出てこなくなっていても、これは源はエンブリオだということを認識しておく必要がある」事、A「これから始めようとされている研究計画で、人の胚を使った研究にヨーロッパ連合の研究助成を出していいかどうかが議論されてい」て、「ヨーロッパ連合にはヨーロッパ連合の倫理委員会があるんですけれども、そこが去年11月に答申を出しまして、胚の研究を助成対象から除外すべきではないのではないか、つまり、認めてもいいのではないかという意見を出し」たが、「ヨーロッパ連合の議会と執行機関であるヨーロッパ委員会と、最高意思決定機関である閣僚評議会という三つのヨーロッパ連合の機関の間で、まだ意見が一致してい」ない事を指摘する。欧米では、必ずしも有用だから柔軟に対応するという事で一致しているわけではないとする。

 西川氏は、生物学者として、島委員の指摘は、「社会という問題に重点をおかれている」が、「この胚なり受精卵に対しての先生が考えられている態度というのは、もう基本的にはデカルト以前」であり、「心身二元論すら満たしていない」とする。「胚の中に身体性も精神性も全部含めたものがそこに実存しているという考え方」だが、「デカルトの克服をやろうと考えてきた」「多分今のほとんどのヨーロッパの優れた哲学者も含めて、自然科学者、例えば自然科学と哲学と一緒だと思っている人たち、はっきり言うと人々は、基本的に胚の中にすべての人間存在が存在しているという立場をとらない」とする。

 島氏は、「ヨーロッパやアメリカではいろいろな考え方をする人がいて、人間の胚を研究利用することに対して非常に抵抗感を持つ人が多い」ので、「一度議論を始めると収拾がつかなくなってコンセンサスは難しいので、最低限、国としてやるべき研究は認めよう、いや、いけないと、すごい綱引きがあ」るとする。西川氏は、「だから、基本的にはどのレベルでやるかという問題」であり、「極めて哲学的なレベルでやるのか、社会学的な社会政治的なレベルでやるかというと、はっきり言うと社会政治的レベルでやればいい」のであり、「あらゆる多様性を認めて議論していこうということ」だとする。

 島氏は、西川氏は「哲学的議論はやっても収拾がつかないし、両方の考え方の人がいることは明らかなんだから、この小委員会でそのレベルの議論をやるのはよそうということ」を主張していると批判し、「私がこの論点を持ち出したのは、政策決定をする場合、生物学的なものの考え方だけでやろうということであれば、別にこんな委員会は要らないわけです。生命倫理委員会も必要ないわけです。しかし今はそうではいけないという大勢になっていて、人間の生命を扱う場合、慎重であるべきである、あるいは人の生命を保護しなければいけないということがあると思います。ですから、人やその一部をどのようなものとして、どこまで保護すべきかということについては、法的に、あるいは行政として何か決定する場合、やはり人間の範囲をどういうものとして考えるか、人の胚をどう位置づけるかという議論は必要だ」とする。

 西川氏は、「それは、基本的にヨーロッパでも一緒」であり、「基本的には政策決定にかかわるような判断を、哲学議論までもインテグレートした形で議論ができるかという話でいくと、ヨーロッパでもできない」とする。 しかし、島氏は、「いえ、やっているんです。例えば、フランスの国会では、人の何をどこまで実験利用していいかという法律をつくるときに、人の胚は人かどうか延々と何時間も何日も議論しています。科学的現実性を突き詰めていこうとする人と、宗教的な理念を主張する人と、その間で政治的な妥協として、国として最低限のルールを考えようという人と三つに割れて、その最後の人が結果的には一番多数になってやっと立法ができたのです」と反論する。

 実用優先 こうした島氏の危惧にもかかわらず、小委員会はヒトES細胞の有効活用という方向に誘導される。

 高久氏は、この小委員会の目的は、「どんどん細胞移植や組織移植に使われるようになるだろうと、多くの人がそういう希望を持っている」が、「当然いろいろなコントロールも必要であるということから、岡田委員長が最初におっしゃったように、将来有望なEmbroyonic Stem Cellの医学的利用をどういう形でコントロールして、しかも世界中でもうすぐ始まるかもしれないというときに、日本がそれに対応できるようにするという」事だとする。岡田委員長も「私自身は、生命倫理委員会からの委託というのはそういうことだと思っていました」と、これに賛同する。

 豊島氏も、「実際問題としては、ES細胞というのはもうできてい」て、「輸入するとすればできる状態になりつつあるわけ」で、「ES細胞が現時点の状態から言えば胚とは言えないという考え方に立てば、今の日本でどこか会社が輸入して、それでやったとしても、何の規制もない」のである。だから、@「何らかの一つの対応が必要か。その対応というのは、全面否定なのか、あるいは研究そのものは認めるのかということも含めた議論」が必要であり、A「日本でES細胞をつくってもいいのか、つくってはいけないのかと。もし許可したとして、そういうことも含めての議論も要るし。だから、現場の対応というのと、これから深めていかなきゃいけない議論」が必要だとする。

 村上氏は、これに同意しつつも、「法律的な対応なら対応をするときに、私たちは合理的な根拠、というのを背後に持っていなければならない」とする。勝木氏は「私も村上委員のご意見に賛成」としつつも、@「人の出発点は受精卵と考える根拠は・・遺伝子が少なくとも大きく組合せが変わることにより、全く新しい個体が出発する時点だと考えるからで」あり、「このとき、唯一性と非決定性とが個人の尊厳の根拠となる時点こそ、その瞬間にあるわけ」であり、「唯一で非決定であるというのが自然界のシャッフリングで起こるということが最も重要な出発点だと考え」られ、A「不妊治療や何かということを理由にして、いろいろな技術が使われていますけれども、ほんとに現在のものが不妊治療と言えるものかどうかというのは非常に問題があ」り、「これは問題のすり変えでして、現実問題として、さらに言いますと、子宮の中にいるときに母子の連絡があるということがわかってきたり、人が動物であるという原点から考えますと、子供を作る過程こそ親子を規定するもので、他で作った子供を養子以外の生物的な観点で論ずることはますます難しい」とする。「人の胚性幹細胞については、極めて有効なサイエンティフィックな、あるいは生物学的にも、我々は人自身を知りたいわけですから、そういう意味での非常に大きなメリットがあ」り、「我々が手を触れていけないと結論するとなると、これは大変問題」とする。だから、「ガイドラインをつくるにしても、法律を施行するにしても、把握しやすいような体制にしておかないと、どこからでも使い始めると、法律をつくっても実際に実効がないということでは意味がないですので、そういうものも頭に入れて議論すべきではないか。しかし、基本は、生殖医療に関して、それが本当に先ほど言ったヒトがヒトたるゆえんといいますか、個人の尊厳というものの根拠は、やはり受精の瞬間にあるんだろうと私は思うものですから、それに関しても議論する必要がある」とする。

 しかし、島氏は、「もしそういうやり方で研究をどんどんやっていこうということなのであれば、どうしてES細胞だけ特別扱いしなければいけないのかということが逆に問題にされるべきだ」とし、「なぜ人間の胚は特別なのかという議論をせずには、政策決定の根拠はつくり得ない」と反駁する。 賛同者もでてくる。

 石井氏は、@「この問題はどこの委員会も議論してこなかった」が、「どこかでする必要性がある」事、A「人の胚を使ってES細胞をつくることをどうするのかという議論もここでしなくてはいけない」事から、島氏に賛成だとする。西川氏も、「だから、認めるか認めないかという議論は私もやっていった方がいいし、逆に生物学はほんとに危険か危険でないかという問題をもっとオフィシャルに、生物学者も出ていってはっきりと申し上げていくべきだと思」うとする。岡田委員長は、「ESというもので一体何ができるのか、今は本当は無理なんだと、それをSFみたいに言う人もいるというところもあると思いますので、これもマウスをベースにしてまとめてほしい」とし、「まずはESという形のものが今どのぐらいの可能性を、現実にできているものと、具体的に可能性があると考えるものと、これは全く可能性がないものとまとめてある」とよいとするのである。


 これが実用化されれば、、「クローン(「完全に分化してしまった体細胞を初期化して、失ったはずの全能性をとり戻させというもの」、つまり「体細胞を胚状態に戻して発生をやり直させようとするもの」)と並んで、それとは逆向きのもう一つの強力な発生操作技術(「胚のもつ分化発生能をそのままコピーして温存し、思う方向に分化発生をコントロールしようというもの」)が、直接人を対象にして出てきた」事を意味する。つまり、「細胞ができ、組織や臓器が形成され、個体になる」過程のどこにでも介入でき、「これにクローンが加わり遺伝子操作技術を加えれば、理論上は人の生命操作は自在」となる(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』206頁)。さらに、バイオベンチャーのジュロン社がトムソンやギアハートの研究に資金を提供しているように、「移植医療や病気の予防と治療に役立つ」という「実利をねらった研究の成果」でもあったということである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』206−7頁)。

 ここに、ES細胞は、「受精卵から作られた、未分化状態のまま試験管の中で無限に増殖し続ける(不死化)細胞」で、「人の個体の大本の細胞で、やがて体を作る様々な細胞に分化する能力」をもつ「幹細胞」を「増殖させる技術」で産み出されたものとなり、「世の中に一つしかないはずの受精卵幹細胞の無限複製」となるのである。これによって、「ヒトの分化発生を人為的にコントロールできるようになったことを意味する」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』203頁)のである。

  
                            (ロ) ヒトES細胞指針の作成

 ヒトES細胞に関する勉強会 1999年7月19日、日本で「生殖医療問題を審議している」厚生科学審議会の先端医療技術評価部会は、第19回部会で、「ヒトES細胞に関する勉強会」を開き、中畑龍彦氏(東京大学)、鈴木盛一氏(国立小児病院)から、ES細胞は脳・心筋・肝細胞の「移植に利用できる」事、まだ行なわれていない「さまざまな細胞移植療法」が開発される事、「これに遺伝子治療を加えれば、ES細胞を利用した新しいタイプの体細胞遺伝子治療もできる」事などが指摘された。中畑氏は、将来的には「体細胞クローンによって患者本人と同じ遺伝子をもつES細胞を作り、これから必要な型の細胞を誘導すれば、拒絶反応を起こさない本人専用の移植材料を作ることができる」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』207頁)とした。

 さらに、分化誘導を進めれば、「試験管内で臓器を作り、臓器移植に利用」して、これで「脳死心移植も生体肝移植も異種移植も無用」になる。ES細胞の効用は表だってはここまでだが、「生殖細胞遺伝子治療や不妊治療」も応用されれば、ES細胞を「別の胚に注入して子宮に移植すれば子どもができ」、「一代目はES細胞の核と提供胚の核とが入り混じったキメラ個体になるが、次の代にはES細胞の核(遺伝子)だけを持つ個体がある割合でできる」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』208頁)のである。

 ジュロン社はES細胞に特許を取り、日本に売り込んできていたが、しかし、中畑氏は、既に「マウスES細胞から造血幹細胞を誘導する試みをし」ていて、ES 細胞で「血液を工場で作る」事ができるとした。浅島誠氏(東京大学)はカエルでES細胞を作り、「アクチビオン(胚に貯えられる蛋白性物質の一つ)をはじめ発生誘導物質をいくつも発見して、両生類発生の仕組みを詳細に研究し、遺伝子レベルでそれを解明し」、アクチビオンは「生まれてからも、大人でも働いている」のであるとした(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』209−210頁)。

 「ヒト発生基礎研究がおそろしく遅れている理由の一つは、ヒトの卵を手に入れるのが難しいから」であり、故に「ES細胞によってヒト発生学は初めて豊富な実験材料を得た」ことになる(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』211頁)。

 「ヒト胚研究に関する基本的考え方」 2000年3月6日、科学技術会議生命倫理委員会、ヒト胚研究小委員会は、「ヒト胚性幹細胞を中心としたヒト胚研究に関する基本的考え方」をまとめた。これは、 「 生命倫理委員会の下に当小委員会が設置され、ヒト胚性幹細胞を始めとするヒト胚を対象とする研究における生命倫理の側面からの審議を附託され」、また、「クローン小委員会の検討において残された課題であったヒトクローン胚等を扱う研究についての検討も引き継がれ」たので、これを受けて、ヒト胚研究小委員会が、「基本的には自由な研究活動が、社会との関わりを深めていく中で制約を受けるべき点を明らかにするため、ヒト胚を扱う研究の基本的考え方及びヒト胚性幹細胞等を扱う研究を行う際に具体的に考慮されるべき点を示し、生命科学の研究活動が社会と調和をとりつつ行われるための方策について提言」したものである。

 クローン技術のヒトへの適用について、民間も視野に入れた政府全体としての対応は、科学技術会議の生命倫理委員会において平成10年1月にクローン小委員会を設置して専門的検討が行われてきた。平成11年11月のクローン小委員会報告書「クローン技術による人個体の産生等に関する基本的考え方」は、成体の体細胞の核移植による人クローン個体の産生については法律により罰則を伴う禁止がなされるべきであること、他方、ヒトクローン胚に関する研究は、移植医療等に有用性が認められるが、人の生命の萌芽であるヒト胚の操作につながる問題や人クローン個体の産生につながるという問題があることから、やはり何らかの規制は必要であるが、罰則を伴う法律による規制よりも柔軟な対応が望ましいこと、などを指摘している。また、同報告書においては、人と動物のキメラ胚及びハイブリッド胚からの個体産生は、人クローン個体の産生を超える問題を有することが指摘されている。同年12月の生命倫理委員会決定「クローン技術による人個体産生等について」において、これらクローン小委員会の方針が了承されるとともに、当ヒト胚研究小委員会でヒトクローン胚等の取り扱いの規制の枠組みについて引き続き検討が行われるべきとされた。

 ヒト胚性幹細胞の応用については、第一に、 「現在、移植医療においては、移植用の組織や臓器等が世界的に非常に不足しているが、ヒト胚性幹細胞を適切な条件下において増殖させることによって移植用の材料を作成することから」、まずもって「ヒト胚性幹細胞については、医療面からの期待が大きい」とする。つまり、「すでに、マウスによる研究では、胚性幹細胞から血液、血管、骨、心臓の筋肉、ある種の神経などの細胞を試験管の中で作り出すことが可能となって」いるから、「ヒト胚性幹細胞に同様の操作を施せば、白血病の治療の際に用いられる造血幹細胞、脳内神経伝達物質の欠乏が見られるパーキンソン病の治療のための神経伝達物質を分泌する細胞など、治療に際して必要な移植用の細胞の作成が可能」になると期待されているのである。第二に、胚性幹細胞は、「種々の動物において研究がすすんでおり、様々な研究手段が確立されていること、全能性を持つことなどから、ヒト胚性幹細胞を使用することは、ヒトを対象とした生命科学の基礎研究においても有用である」とされる。第三に、ヒト胚性幹細胞は、「化学物質などの影響を受けやすい性質」があるから、「医薬品の効果の判定、毒性試験などへの応用」が考えられているとする。

 しかし、ヒト胚性幹細胞の問題点として、@「ヒト胚等を壊して樹立する必要があ」り、A「ガン細胞と同様に無限に増殖する性質を持っているため、分化処理が不完全であると腫瘍を引き起こす可能性があ」り、B「全能性を持っていることから使い方によっては生殖細胞に分化する可能性があり胚性幹細胞の遺伝子が後代に伝わる可能性があ」り、C「胚性幹細胞に遺伝子操作を加えたものを生殖細胞に分化させる、核移植するなどの方法により、人に対する遺伝子操作につながるおそれがあるものであるこ」などがあり、「使用に当たっては慎重な取り扱いが必要である」とする。問題点を指摘しつつも、あくまでも応用存続が主眼である。

 日本では、こうしたヒト胚の研究利用に関しては、「日本産科婦人科学会の会告「ヒト精子・卵子・受精卵を取り扱う研究に関する見解」(昭和60年)により、学会の会員に対する自主的な規制が行われてきた」が、この会告では、「ヒト胚を扱う研究は、生殖医学発展のための基礎的研究と不妊症の診断治療の進歩に貢献する目的のための研究に限り、提供者の承諾やプライバシーの保護、受精後2週間以内の使用、医師による取り扱い、研究開始の学会への登録などを要件として認めるとしているが、実施状況等のフォローアップはこれまで行われて」いなかったとする。これが、「日本産科婦人科学会の会告」の「今後の課題」だとするのである。

 それに対して、@「これまで、国においてヒト胚の研究のあり方について検討が行われたことはなかったが、ヒト胚性幹細胞の樹立を受けて、ヒト胚性幹細胞の研究を始めとするヒト胚を対象とする研究について検討するため、平成10年12月に、科学技術会議生命倫理委員会の下に、当小委員会が設置され」、A「クローン技術のヒトへの適用の問題が新たに浮上し、人クローン個体の産生の問題に加えて、胚の段階の研究についても議論を行う必要が生じ」、文部省の学術審議会は、1998年7月に「大学等においては、当面はヒトの体細胞(受精卵、胚を含む)由来核の除核卵細胞への核移植の研究を行わないとの方針を定め」、1998年8月に文部省から告示された。

 ヒト胚研究利用の基本的考え方として、まず、「基本認識」としては、「ヒト胚の研究利用は、多くの医科学上の可能性に道を開くものである一方、人の生命の萌芽を操作するという点で人の尊厳に抵触しかねないとの危惧もあ」り、「また、体外受精の結果得られ、使用されずに廃棄されるヒト胚が存在することも事実である」から、「ヒト胚の位置づけについて考慮し、人の生命をその萌芽の段階から尊重しつつ、生物学、再生医学、生殖医学等に関する研究が倫理的に適切に実施されることを保証するために、ヒトの胚を研究利用することが許されるのか、許される場合にはどのような目的と条件においてどこまで許されるのかについて、遵守すべき事項を含めて検討する必要がある」とする。問題点をしっかり把握しつつ、「国レベルでの包括的な議論」によって、ヒト胚の研究利用をおこなうべきであり、「特に、ヒト胚性幹細胞は、その利用が長期にわたり継続的に使用されるものであり、発生・分化の基礎研究や細胞治療への応用に用いられる等の特徴を有することから、慎重な検討が必要である」とするのである。

 次に、「ヒト胚の位置付け」として、日本では、「体外受精の結果得られ、子宮に移植される前のヒト胚について、現在のところ民法上の権利主体や刑法上の保護の対象としての法的な位置付けはなされていない」が、「ヒト胚は、いったん子宮に着床すれば成長して人になりうるものであり、ヒトの発生のプロセスは受精以降一連のプログラムとして進行し、受精に始まるヒトの発生を生物学的に明確に区別する特別の時期はない」から、「ヒト胚はヒトの生命の萌芽としての意味を持ち、ヒトの他の細胞とは異なり、倫理的に尊重されるべきであり、慎重に取り扱わなければならない」とする。ヒト胚利用を廃止すべきだとまでは言わないのである。

 以上を踏まえて、最後に、「ヒト胚の研究利用に関する基本的考え方」として、「ヒト胚の研究利用は一切行われるべきでないという見解もあるが、ヒト胚性幹細胞の樹立のように、医療や科学技術の進展に極めて重要な成果を産み出すことが想定されることも事実である」から、「人の生命の萌芽としての意味を持つヒト胚を、人の誕生という本来の目的とは異なる研究目的に利用し、滅失する行為は、倫理的な面から極めて慎重に行う必要がある」とするのである。そこで出された暫定的措置は、「医療や科学技術の進展に重要な成果を産み出すため研究の実施が必要とされる場合には、不妊治療のために作られた体外受精卵であり廃棄されることの決定したヒト胚(余剰胚)を適切な規制の枠組みの下で研究利用することが、一定の範囲で許容され得る」として、研究者は8条件(@研究材料として新受精のヒト胚を作成しないこと、A利用するヒト胚は、提供者により廃棄が明確になされていること、Bヒト胚利用の科学的な必要性と妥当性が認められること、Cヒト胚の提供者が事前に十分な説明を受けてること、Dヒト胚授受は無償で行われること、Eヒト胚提供者の個人情報が厳重に保護されること、Fヒト胚研究計画の科学的・倫理的妥当性について国または研究実施機関外の組織による確認を受けること、Gヒト胚研究の科学的・倫理的妥当性の確認状況、実施状況、成果等が公開されること)を遵守しなければならないとする。

 今後の課題として、本委員会では、「ヒトの生命の萌芽といえるヒト胚に関連した研究のうち、特に、樹立された細胞が長期にわたり継続的に使用されるという特徴を持ち、その医療への応用の可能性から検討が必要であったヒト胚性幹細胞をめぐる問題」と、「クローン小委員会から議論が当小委員会に引き継がれたヒトクローン胚等の取り扱い」について検討したにとどまり、「ヒト胚研究について包括的に掘り下げた検討は行わなかった」のである。 つまり、「ヒト胚性幹細胞等を扱う研究の検討の過程においても、そもそもヒト胚とは何か、その取り扱いがどうあるべきかということについて議論が行われ、生殖医学の基礎研究などを含めたヒト胚研究全般に関する包括的な検討が必要であることが認識された」が、その包括的検討はなされなかった。また、「ヒト胚研究は、現在行われているあるいは将来行われる可能性のある生殖医療と、ヒト胚を扱うこと、ヒト胚の保護のあり方やヒト胚の提供者への配慮という面で、非常に密接な関わりを持っているという事についても考慮が必要であ」ったが、その掘り下げも不充分であったというのである。しかし、生殖医療は、「ヒト胚を滅失するものではなく、人の出生に関して人為的関与がいかなる範囲で認められるべきであるかという、別の、そして遙かに深刻ともいえる問題を含ん」でいるから、「早急に議論が進められることが必要」とするのである。

 要するに、ヒト胚などは、慎重な規制を加えつつ研究を継続するとしたのであり、この事は、約一週間後に科学技術会議生命倫理委員会が次のような取り組み方針が必要とされた事からも確認される。

 ヒト胚の倫理的取扱方針 2000年3月13日、科学技術会議生命倫理委員会は、 「平成10(1998)年12月にヒト胚研究小委員会を設置し、ヒト胚性幹細胞を中心とするヒト胚研究について検討を進め」「同小委員会が3月6日に取りまとめた報告を審議した結果、本委員会としてこれを了承するとともに、以下の取り組みが必要と考える」とした。

 規制の枠組みの整備として、@「 人クローン胚等に関する規制の枠組みについて、人クローン個体等の産生を禁止する法律に位置付けて早急に整備すること」、A「ヒト胚性幹細胞に関する規制の枠組みについて、その実効性を考慮しつつ、指針として早急に整備すること」とした。

 ヒト胚の研究利用として、@「ヒト胚は人の生命の萌芽として倫理的に尊重されるべきである。生命の萌芽としてのヒト胚にどの程度の保護を与えるかについては、個々人の生命観により様々な考え方がありうる。しかしながら、ヒト胚を生命の誕生ではなく研究に利用し、滅失する行為は、倫理的な面から極めて慎重に行うべきことについては論を待たない。重要な成果を産み出す研究であっても、人の生命の萌芽として尊重すべき点を考慮した上で妥当と認められる場合にのみ、その実施が許容され得ると考える」、A「 生命の萌芽であるヒト胚の研究利用については、基本的な考え方を明確にする必要があり、当委員会としても、これまでの検討結果を踏まえて、ヒト胚研究全般について早急に議論を深めていくこととする」とし、B「ヒト胚研究等人の生命に関わる科学技術については、国民の理解が必要であり、広く情報を提供することにより社会における認識を高めるとともに、当委員会としてもその意見を汲み上げながら検討を行う必要がある」とし、C「科学技術には国境がなく、国際的に協調した対応が必要である。しかしながら、ヒト胚の位置づけも含めた生命倫理の問題については、国によって対応が異る側面がある。このため、我が国としても積極的に国際的な対話を深め、研究活動のあり方が国際的に協調したものになるよう努めていくことが必要である」とした。以後の倫理的規制問題は別個に後述される。

 ヒトES細胞指針の検討 前述のように、2000年12月6日、人クローン規制法(「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」)が制定され、2001年6月6日に、人クローン規制法の一部(「個体産生の禁止に関わる条項)が施行された。これと相前後して、ヒトES細胞指針を策定しようとする。

  2001年3月19日、ヒトES細胞指針に対する一般意見募集が締め切られた。科学技術庁は、この指針案を「設置予定の総合科学技術会議または科学技術・学術審議会にかけて生命倫理担当部門で簡単に審議」して、4月中に文科相名で指針を出す方針であり、4月26日に文科省によって「ヒトES細胞指針案は、パブリック・コメントのまとめを添えて・・第二回生命倫理専門調査会に提出」された(265頁)。しかし、ヒトES細胞研究は文科省のみならず厚生労働省・経済産業省などのかかわるべきだったのに、「ES細胞を文科省に囲い込むことに猛烈な反発があ」り、実際にはこれは実現できず、大幅に遅れて、9月に指針が告示された(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』260−1頁)。

 つまり、科学技術庁は、第二期ヒト胚研究小委員会に指針素案を出すが、ここでは「各研究施設から上がってくるES細胞の樹立、使用計画の審査は、文部科学大臣の諮問機関である科学技術・学術審議会がやることになっていた」。これに対して、藤木元也氏(東大医科学研究所)は、「これはヒト胚を壊すことに関わる倫理の問題」だから、「第一期ヒト胚研究小委員会ではこれは行政指針ではあるが科学技術会議あるいは総合科学技術会議のようなところから出すことで、指針でもかなりの抑止力がもたせられるだりうというので、真剣に議論した」のに、「その大事なポイントを手続きの問題にすり替えて骨抜きにされては困る」と批判した。他の委員も「文部科学省の所管」とすることに異議を唱えた」のである。しかし、奈良人司氏(科学技術庁の生命倫理・安全対策室長)は、「所管は文科省」で「総合科学技術会議(文科相の諮問機関)は行政機関ではない」と反論した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』261−3頁)。

 この総合科学技術会議は、「科学技術分野での日本のおくれに危機感をもった政府が、科学技術立国の戦略を担う部署として新設を決めた機関で、各行政機関の上に内閣府を置き、その中に設置されたもの」であり、「内閣総理大臣を議長に14人の議員で構成され、その下に生命倫理専門調査会を含む5つの専門調査会が置かれている」のである。これが、「単なる諮問機関」ではなく、「最高位に位置づけられた行政」機関であった。通産省担当者から、この」点に関する誤りを指摘されたが、奈良室長は「指針はあくまでも文部省のものだ」と主張し、結局「二期ヒト胚研究小委員会は指針案の中身は全く審議しないまま」、「主体を文部科学省」にする事では変わることは無かった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』263−4頁)。

 2001年9月25日、文科大臣はヒトES細胞指針(「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」)を発表する(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』258頁)。つまり、「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」が告示され、「即日運用開始されて、ES細胞の作成と使用が“解禁”された」。12月5日、「残る部分」が「特定胚の作製と使用に関する指針を作った上で」施行された(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』227頁)。

 2002年、こうした規制のもとに「人の発生操作が始ま」り、「ES細胞はいくつかの大学で樹立計画や使用計画がすでに学内審査委員会を通ってい」た。国は、@クローン、ES細胞、体外受精など、「人の発生操作を認め」、A「人の胚と生殖細胞の生殖外利用を認め、それによって人の胚と生殖細胞の産業利用に道を開い」て、「国が人の胚と生殖細胞の産業資源化をはかった」のである。「官僚が書いたシナリオにのって、自分が身を置く集団の利益と都合を背負ってただ躍っていただけ」と言っても過言ではない(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』227−9頁)。

  
                                  (d) ES細胞の倫理問題  

  ES細胞研究は、1999年時点で内外で「まだモラトリアムの状態に置かれているが、もちろんそれはこの技術がいわゆる倫理的、社会的、法的問題をどっさりひきずっているからであ」る(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』213頁)。例えば、これが不妊治療の一環で行なわれた際に、「ES細胞は、移植する人とは遺伝子が異なるために、拒絶反応が起こる」という問題が起きた。これに対処するために、「ヒトになる可能性のある胚を殺して培養」しようとしたが、ここには「倫理的な問題」が起こったのである(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』17頁)。以下、こうした問題への倫理的対処について、日米両国を瞥見してみよう。

                          (イ) アメリカでのヒトES細胞倫理問題ーNABCとNIHとの相違

 1999年10月26日、日本のヒト胚研究小委員会は、「前回合意された『作成研究』モラトリアムという暫定措置について更に話を詰め」ることになっていたが、これはなされず、代って「アメリカのNBACの報告書」である「ヒト幹細胞研究における倫理問題」が検討された。この報告書の結論は、@「死亡胎児の組織からのEG細胞(受精卵から作ったES細胞と区別)の作成・使用を含む研究はこれまでどおり連邦資金供給の対象としてよいということ」、A「不妊治療後に残った胚からのES細胞の作成・使用を含む研究は連邦資金供給の対象とすべきだということ」、B「体細胞核移植(クローン胚)からのES細胞の作成・使用を含む研究には政府は資金は出すべきではない」事などというものである。アメリカでは、「人の胚を扱う研究に政府が連邦予算を支出することが予算法で禁じられている」から、「NIHを通して政府から研究費を受ける研究者はヒトES細胞研究はできず、政府の方針で研究を進めようとすれば、まずこの問題が前面に出てくるのである」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』230−1頁)。

 さらに、「アメリカにおけるヒトES細胞研究の倫理問題」の焦点は、ヒト胚の破壊ということであり、「ES細胞を作るのに使われるのは胚盤胞の段階に達した胚の内部細胞塊で、これをとり出すためには胚を破壊して個体へと向かう発生を人為的に絶たなくてはならない」ことになり、それが倫理的に許されるかどうかということである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』232頁)。

 これに対して、NIHは、「『作成研究』は禁止し、『使用研究』だけ認めるとの見解を出して、ガイドライン作りに着手し」、「これは、作るのは胚を壊すから駄目だが、民間の研究費で作られたのを買って使うのはいいということ」で、「これを正当化するために考えだされたのが、できてしまったES細胞はもはや胚ではない、体細胞と同じただの細胞なのだという苦しい理屈だった」のである。しかし、NBCは、これを否定し、「『作成』『使用』共に認め、そのために法を手直しせよ」と大統領に勧告した。NBAC報告書は、@「『作成』と『使用』を切り離せば連邦資金による研究の科学的価値を小さくするという『倫理問題』が発生する」事、A「ES細胞研究によって失われる胚の生命と、将来それによって救われるはずの生命とを比較すれば、後者の潜在的な利益のほうが大きい」事などから、「不妊治療の“余剰胚”に限り、連邦政府が、規制、監督することを条件に、胚の保護をはずして破壊を認めよ」というのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』232頁)。

 アメリカでは、胚については「予算法でとりあえず胚保護がうたわれている程度で、議論らしい議論はされてこなかった」ので、NBACは「その議論は避けたまま、プラグマティズムで結論を出してしまった」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』233頁)のである。

                                      (ロ) 日本でのヒトES細胞倫理問題

 日本でのNBAC報告書評価 1999年10月26日、ヒト胚研究小委員会でのNBAC報告書の解説が終わると、岡田委員長は、「報告書はこれだけ具体的に考え方を出してくれていて『作成』の問題に踏み込んでいくのに非常に参考になる」と答え、池田要氏(科学技術庁の研究開発局長)は、報告書が「作成と使用というのをそれほど明確に分けることなく、かなり強い関連で整理し」、「ES細胞の採取(作成)の問題のところに、とにかく足を踏み込んでみてほしい」という要請が、看取されるとした。「モラトリアムをいったん出したときに、それを解除するというのはなかなか難しい」事から、「おそらく科学技術庁にES細胞の『作成研究』を禁止する気は初めからな」く、「NBAC同様、『作成』『使用』をセットで認め、そのための規制と国による監督、管理の体制をこの小委員会を動かして作る」と言う筋書きを立てていたと推定する(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』233−4頁)。

 しかし、ヒト胚研究小委員会は、「“原理原則論に邪魔され”ていっこうに進まず、あげくに暫定措置とはいえ、肝心の『作成研究』の禁止を決めかけている」ので、科学技術庁はこれを不満として、「NBACの報告書をぶつけることで、それにストップをかけ、強引に軌道修正をはか」るうとしたとする。この「荒業」が奏功して、「この日のうちに審議は報告書の中身に沿う形で進み、いつのまにかモラトリアムの話はどこかにとんで、『作成研究』を認めるという雰囲気ができてしま」い、「材料源に不妊治療の“余剰胚”をあてることの是非が多少議論されたあと、認めるとすれば、どういう条件と体制で認めるかというところにあっさりいくのである」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』234頁)とする。この余剰胚に対して、勝木元也氏は、「不妊治療で凍結された胚というのは、子どもにする前提で作られ保存されたもの」だから余剰ではないと批判し、「ヒトES細胞を認めるのであれば、生殖医療まで含めてヒト胚をどうとらえ、どう扱うべきかという基本の議論をまずすべきだという」のである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』234−5頁)。

 この日、科学技術庁の「どんでん返し」で、次回に「『作成』まで含めたES細胞研究の実態体制について議論を詰めることになり」、それまで「原案を相沢慎一委員が事務局と相談して作る」ということになった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』235頁)。

 1999年11月30日、第八回ヒト胚研究小委員会」で、「ヒトES細胞の樹立、使用ともに認める事」を前提とした「相沢委員がまとめた研究実施体制案」が出され、「ES細胞の作成を認めるというのは、この日にはもう“既成の事実”となってしまっていた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』236頁)。

 綜合科学技術会議とヒトES細胞指針 2001年4月6日、総合科学技術会議の生命倫理専門調査会(委員長は井村裕夫)は、第一回会合を開いたが、当時、文科省の科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会(部会長は高久史麿、その下部に特定胚・ヒトES細胞研究専門委員会)、厚生労働省の厚生科学審議会の科学技術部会にも生命倫理関連専門委員会(遺伝子治療臨床研究、疫学的研究、ヒト幹細胞臨床研究)が設置され、三つの生命倫理関係機関があった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』265頁)。

 「生命倫理専門調査会の専門委員のほとんどが旧科学技術会議の生命倫理委員会またはヒト胚研究小委員会の委員だったヒトたち」であり、生命倫理専門調査会には「第二期ヒト胚研究小委員会以来の問題がそのまま持ち込まれ」「審議は最初から紛糾する」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』265頁)。

 内閣府開示の「生命倫理に係る指針等の策定・運用に関する総合科学技術会議と各省との関係」によると、指針策定手順は、@「まず総合科学技術会議が『基本的考え方』を策定して、指針の策定主体になるべき省におろし、省はそれに基づいて指針案をまとめて国民の意見も聞いたうえで総合科学技術会議にこれを諮問」し、A「総合科学会議はこれを調査審議して意見を省に戻し」、B「省は必要に応じ省内の生命倫理関連審議会にはかって指針を策定、公表する」というものである。著者は、これは、「井村会長(井村裕夫)が会長裁量で事務局と相談して決めた、いわば総合科学技術会議運用細則のようなもの」で、「それなら旧科学技術庁、現文部科学者が勝手にお手盛りで策定主体は文部科学省と決めてしまう事はできず、もちろん指針案をまとめパブリック・コメントを募ることも、それを文部科学省が生命倫理専門調査会のスタート前、したがってその運用がルールが決まる前に総合科学技術会議に諮問することも、逸脱」行為になるとする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』266−7頁)。

 これに対して、井村会長は、「基本的な考え方は総合科学技術会議でまず決め」、「それを各省に提示し、各省において指針案を作成し、それを諮問してもらい審議」した上で、「今回のES指針案がその形を採ってい」て、「ES細胞の取扱いはすでに基本的な考え方を決めていて、文部科学省で指針案を作成し、パブリック・コメントにも付されて出てき」て、「これを基本的な原則としたい」とした。つまり、氏は、「指針策定主体をどこが決めるかということには言及せず、文部科学省の逸脱を容認してそれを生命倫理専門調査会の基本原則にする」というのであるが、福本氏は、「これは・・井村会長自身による逸脱」、「総合科学技術会議の私物化」と批判する(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』267−8頁)。

 こうして、「ES細胞は基礎研究で樹立され分化細胞が作られたあと、そのES細胞や分化細胞あるいは臓器などの医療応用の可能性を探るために人体実験が必要にな」り、「遺伝子治療ではこれを『臨床研究』と呼ぶ」が、この臨床研究で「可能性」がでてくれば、「これらを医薬品または医療材料として製品化することになり、厚生労働省の製造承認をとるための臨床試験が行われ」、やがて「商品になって市場に出てくることにな」り、ここに「ヒトES細胞が医療に役立つ」ことになるとされる。この過程での担当官庁は、文科省が指針を作り、厚生労働省が臨床研究用の指針を作り、経済産業省がその工業化用の指針をつくり、「ES細胞指針が三本作られる」ことになる。福本氏は、「日本の縦割り行政の弊害を除」こうとして総合科学技術会議を作ったのに、生命倫理問題で頓挫したと鋭く指摘する(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』268−9頁)。

 生命倫理問題の分極化 生命倫理専門調査会の検討課題は、@「ヒトES細胞指針のほかに人クローン規制法に基づく特定胚指針があり」、A「ヒトゲノム利用や遺伝子治療に関わる倫理問題があり」、B「臓器移植法見直しの問題」があった。勝木元也氏(岡崎国立共同研究機構の基礎生物学研究所所長)は、生命倫理専門調査会の役割は「こうした問題の全体を通した生命倫理の基本原則を議論」し、細部は「専門調査会の下に分科会としてプロジェクトチームを設置する事が必要」とした。しかし、井村会長は、「常設の分科会を置くのは制度上難しいとしてこれを退け」た。専門調査会第二回会合から、「文部科学、厚生労働、経済産業三省の担当者が参加」した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』269頁)。

 旧文部省作成の指針案が、「旧生命倫理委員会策定の『基本的考え方』に沿っていないところ」の修正を経て、2001年8月1日、第六回会合で「文部科学省への答申案」ができ、8月30日に文科相に答申された。9月25日、文科相は「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」を告示し、ここに「ヒトES細胞の樹立・使用は正式に解禁」されたが、「ヒト胚の扱いに関する議論は今度もまた先送りされた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』270頁)。

 次に、生命倫理専門調査会は特定胚取扱い指針案の作製に着手した。2001年6月23日、文科省は「特定胚の取扱いに関する指針」へのパブリック・コメントを募集し、総合科学技術会議に諮問し、生命倫理専門調査会の調査審議に委ねた。既に2000年12月5日、生命倫理専門調査会は「人クローン規制法の特定胚指針に関する条項」を実施したが、その前に「特定胚の取扱いに関する指針」を片付けようとした。文科省作成「特定胚取扱い指針案」3章11ヶ条では、特定胚の「人や動物への子宮移植」については、人クローン胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚、ヒト性集合胚以外の「法律で禁止されていない5種類(ヒト胚分割胚、ヒト胚核移植胚、ヒト集合胚、動物性融合胚、動物性集合胚)もすべて『当分の間』ということで禁止」された。ただし、5種類のうち、「『ヒト胚核移植胚』がミトコンドリア異常症等細胞質に由来する病気の予防研究」、「『ヒト性融合胚』がミトコンドリア異常症の予防研究と核の初期化プロセスの研究と再生医療に関する研究」、「『動物性集合胚』が動物の体内でヒトES細胞を使った移植用臓器を作る研究」は認められた(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』270ー2頁)。

 しかし、特定胚指針プロジェクトは、判断基準を「ヒト胚の範疇」にはるか、入れば「包括的な議論」がなされていないから利用できないということに置き、文科省が容認した「ヒト胚核移植胚」・「ヒト性融合胚」は「ヒト胚の」性質を持たされ」ているとして認められないとした。これに対して、西川伸一氏(京都大学医学研究科分子医学系)、高久史麿氏(自治医科大学)は「猛烈な反撃」をする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』272−3頁)。

 2001年11月までにまとめる報告書では、井村会長は、「ヒト胚核移植胚」、「ヒト性融合胚」についても「一応モラトリアム」にするとした(274頁)。11月末、「ヒトES細胞と特定胚に関する研究計画を審査するために、科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会の下に『特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会』を設置」した。2001年12月5日、こうして「ヒト胚の扱いをどうすべきかという問題を先送りしたまま」、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が施行に移され、「国によってヒトES細胞とその材料になるべきクローン等各種ヒト加工胚の作製・利用体制はスタートさせられた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』274頁)。

                                 (ハ) ヒト胚の倫理的取扱い
                              
 2004年7月23日、総合科学技術会議(議長は小泉純一郎)は内閣総理大臣小泉純一郎らに「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」(16府政科技第587号)という報告書を提出した。

 報告書の目的 「近年の急速な生命科学の発展から我々は様々な恩恵を享受している」が、新たな技術によって、「生命に関してかつては考えられなかった操作が可能になり、それがヒトに用いられた場合には、「人の尊厳」という社会の基本的価値に混乱をもたらすおそれが生じている」とする。こうした中で、「ヒト胚の取扱いについて、人の存在や生命を尊重する我々の社会の基本的価値を堅持しつつ、生命科学の発展による人々の健康と福祉に関する幸福追求の要請にも応えられるような社会規範の検討が必要である」とする。

 本報告書は、「ヒト受精胚、人クローン胚等のヒト胚について、最新の情勢に基づいてそれらの位置付け及び取扱いについて、研究における取扱いを中心に検討し、今後のヒト胚の取扱いに関する社会規範の基本的考え方を示すものとなること」を意図している。これは、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(平成12年法律第146号)(以下「クローン技術規制法」という。)の附則第2条が規定する「ヒト受精胚の人の生命の萌芽としての取扱いの在り方に関する総合科学技術会議等における検討」に資するべく生命倫理専門調査会が行った検討の結果」である。

 検討の背景 日本では、「人へのクローン技術の応用、ヒト胚性幹細胞(「ヒトES細胞」)の樹立及び使用等、生命科学の発展に伴い生ずるヒト胚に関する倫理的課題について、その都度個別に検討してきた」が、「こうした対応に対しては、ヒト胚の取扱いに関してより一般的・包括的に議論するべきとの指摘がなされており、クローン技術規制法の附則第2条は、こうした指摘を踏まえた規定である」として、包括的検討が必要だとする。

 旧科学技術会議の生命倫理委員会の「ヒト胚性幹細胞を中心としたヒト胚研究について」(平成12年3月)では、ヒト胚を「人の生命の萌芽」として位置付け、倫理的に尊重されるべきとしており、また、ヒト胚研究小委員会における「研究材料として使用するために新たに受精によりヒト胚を作成しないこと」とした原則を了承した上で、同委員会として、ヒト胚の研究利用の基本的な考え方を明らかにすることが必要であるとした。これは、「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」(平成13年9月。以下「ES指針」という。)に反映される等、我が国において、これまでのヒト胚に関わる社会規範の検討において、基本原則とされてきた。

 また、総合科学技術会議としては、クローン技術規制法に基づく「特定胚の取扱いに関する指針」(平成13年12月。以下「特定胚指針」という。)について検討し、「諮問第4号「特定胚の取扱いに関する指針について」に対する答申」(平成13年11月。以下「4号答申」という。)を取りまとめ、その研究上の有用性等に言及しているが、人クローン胚等の一部特定胚の取扱いについては、「ヒト受精胚の取扱いに関する議論を待って判断」することとし、判断を留保していた。これらは本検討の出発点となった。

 本報告書は、これらの検討背景等を踏まえ、「クローン技術規制法に規定されているヒト受精胚のみならず、人クローン胚等を含めたヒト胚全体について、胎外での研究における取扱いを中心に検討した」とする。

 検討の方法 総合科学技術会議生命倫理専門調査会(生命倫理、宗教、生物学、法律学、医学、哲学等、幅広い分野の有識者により構成)は、「本検討のために、平成13年8月より、32回の審議にわたって、様々な専門的見地からの意見交換を行」ない、また、「最新の情勢を把握すべく、生命倫理専門調査会のメンバーの識見や行政部局を通じた事実関係の把握に加えて、生命倫理専門調査会として、特に19人の有識者及び1団体からヒアリングを行うとともに、事務局が行った47人の有識者及び3団体からのヒアリングの結果についても審議における資料とした」とする。

 さらに、「本検討が社会の基本的価値の認識と合意を基礎とした社会規範の検討であることを踏まえ、最終的な結論を出す前に、両論併記の中間報告書を取りまとめ、パブリックコメントにより国民の意見を求めるとともに、東京及び神戸において合計2回のシンポジウムを開催して国民との直接対話も実施した」のであった。

 ヒト受精胚の科学研究と医学応用 受精胚は、@生殖補助医療(「体外受精により作成されたヒト受精胚を、必要に応じて体外で培養した上で、母胎内に移植」し、また、「受精胚の一部は、凍結保存された上で、後日母胎内に移植される場合もある」)、A生殖補助医療研究(「生殖補助医療における現在の体外受精技術を確立するまでに、生殖補助医療研究の中でヒト受精胚の作成を伴う研究やヒト受精胚の研究利用が行われてきた」事)、B ヒトES細胞研究(「ヒトES細胞は、ヒト受精胚の内部細胞塊から樹立される細胞」で、「現在、これを再生医療のための移植用組織細胞作成に利用することを目指した研究が進められている」)、C着床前診断(「4細胞期又は8細胞期のヒト受精胚から、1又は2個の胚性細胞を取り出し、遺伝子検査を行う」)、Dその他(生殖補助医療研究以外にも、ヒトの初期発生時の仕組みを解明し、病気の予防・治療に結びつける研究のためにヒト受精胚を作成・利用することも考えられる。しかし、国は規制していないものの、日本産科婦人科学会はこうした研究を認めておらず、その実施も確認されていない)などに研究・応用されている。

 ヒト受精胚の位置付け 現在のヒト受精胚の法的・制度的位置付け」については、「現行法上、ヒト受精胚の法的位置付けを明文上定め、その尊重を規定する法規範は存在せず、これに「人」としての地位を与える規定もないが、民法、刑法等の解釈上、人に由来する細胞として、通常の「物」とは異なった扱いがなされていると考えられている。他方、本報告書における直接の検討対象ではないが、出生前の胎児については、堕胎罪の規定によって、出生後の人と同程度ではないが、刑法上の保護の対象となっている。その上で、母体保護法(第2条第2項及び第14条第1項)では、妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある者等に対してのみ、母体保護法指定医が、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができるとしており、これが許される期間は通達上、妊娠22週未満とされている。また、民法では、胎児は、生きて生まれたときには、その不法行為の損害賠償請求権(民法第721条)、相続権(同886条)等について胎児であった段階に遡及して取得することとされている」。

 「ヒト受精胚の位置付け」に関する生命倫理専門調査会としての考え方」については、「これまでの社会実態を踏まえて定められた我々の社会規範の中核である現行法体系は、ヒト受精胚を「人」として扱っていない。ヒト受精胚を「人」として扱う考え方を採用することは、この現行法体系を大幅に変更し、受精胚を損なうことを殺人と同義に位置付けることを意味するが、人工妊娠中絶手術が行なわれ、また生殖補助医療において余剰胚等の一部の受精胚を廃棄せざるを得ない現在の社会実態を踏まえれば、そのような制度変更は現実的とは考えられない。また、そのような制度変更について社会的合意を得る見通しもないと考えられる。

 他方、ヒト受精胚は、母胎にあれば胎児となり、「人」として誕生し得る存在であるため、「人の尊厳」という社会の基本的価値を維持していくためには、ヒト受精胚を特に尊重して取扱うことが不可欠となる」とする。このため、「ヒト受精胚を「人」と同等に扱うべきではないとしても、「人」へと成長し得る「人の生命の萌芽」として位置付け、通常のヒトの組織、細胞とは異なり、特に尊重されるべき存在として位置付けざるを得ないのである」。すなわち、「ヒト受精胚は、「人」そのものではないとしても、「人の尊厳」という社会の基本的価値の維持のために特に尊重されるべき存在であり、かかる意味で「人の生命の萌芽」として位置付けられるべきものと考えられる」のである。

 ヒト受精胚の取扱いの基本原則 「ヒト受精胚の取扱いの基本原則」としては、@「人の尊厳」を踏まえたヒト受精胚尊重の原則(既に述べたとおり、「人」へと成長し得る「人の生命の萌芽」であるヒト受精胚は、「人の尊厳」という社会の基本的価値を維持するために、特に尊重しなければならない。したがって、ヒト胚研究小委員会の報告に示されたとおり、「研究材料として使用するために新たに受精によりヒト胚を作成しないこと」を原則とするとともに、その目的如何にかかわらず、ヒト受精胚を損なう取扱いが認められないことを原則とする)、A ヒト受精胚尊重の原則の例外(「しかし、人の健康と福祉に関する幸福追求の要請も、基本的人権に基づくものである。このため、人の健康と福祉に関する幸福追求の要請に応えるためのヒト受精胚の取扱いについては、一定の条件を満たす場合には、たとえ、ヒト受精胚を損なう取扱いであるとしても、例外的に認めざるを得ないと考えられる)、B「 ヒト受精胚尊重の原則の例外が許容される条件」(@に述べた例外が認められるには、そのようなヒト受精胚の取扱いによらなければ得られない生命科学や医学の恩恵及びこれへの期待が十分な科学的合理性に基づいたものであること、人に直接関わる場合には、人への安全性に十分な配慮がなされること、及びそのような恩恵及びこれへの期待が社会的に妥当なものであること」)、という3条件を全て満たす必要があるとする。また、「これらの条件を満たすヒト受精胚の取扱いであっても、人間の道具化・手段化の懸念をもたらさないよう、適切な歯止めを設けることが必要である」とする。

 ヒト受精胚の取扱いについては、目的別に、@研究目的のヒト受精胚の作成・利用(「ヒト受精胚は、原始線条を形成して臓器分化を開始する前までは、ヒト受精胚の細胞(胚性細胞)が多分化性を有していることから、ヒト個体としての発育を開始する段階に至っていないと考えることができるが、原始線条を形成して臓器分化を開始してからは、ヒト個体としての発育を開始したものと考えることができる」から、「研究目的でのヒト受精胚の作成・利用においては、その取扱い期間を原始線条の形成前までに限定すべきである」事)、A「医療目的でのヒト受精胚の取扱い」(?生殖補助医療では移植予定のない余剰胚が生じるが、「母体の負担に配慮してこのような方法で生殖補助医療を行うことには、十分な科学的合理性と社会的妥当性も認められる」事、? 着床前診断では「診断の結果としてのヒト受精胚の廃棄を伴うということが、ヒト受精胚を損なう取扱いとして問題となる」が、「母親の負担の軽減、遺伝病の子を持つ可能性がある両親が実子を断念しなくてすむ、着床後の出生前診断の結果行われる人工妊娠中絶手術の回避といった、着床前診断の利点」もあり、「着床前診断そのものの是非を判断するには、医療としての検討や、優生的措置の当否に関する検討といった別途の観点からも検討する必要があるため、本報告書においてその是非に関する結論を示さないこと」、?遺伝子治療では「ヒト受精胚に対する遺伝子治療は、確実性・安全性が確認されていないこと」などから、現時点においては容認できない事)、B未受精卵等の入手の制限及び提供女性の保護(生殖補助医療研究では、「必ず未受精卵を使用するが、未受精卵の女性からの採取には提供する女性の肉体的侵襲や精神的負担が伴うとともに、未受精卵の採取が拡大し、広範に行なわれるようになれば、人間の道具化・手段化といった懸念も強まる」から、「原則、認めるべきではない」事)、C「ヒト受精胚の取扱いに必要な枠組みの考え方」(「ヒト受精胚の取扱いについて、本報告書で述べるヒト受精胚の尊重の原則を踏まえた取扱い手続きを定める制度的枠組みや未受精卵の提供者である女性を保護するための枠組みを予め整備する必要がある」事)に検討するとする。

 関連研究の現状 関連研究としては、@「動物ES細胞を用いた再生医療の治療効果に関する研究」(既に多くの動物において、ES細胞から分化させた細胞を利用した再生医療研究が報告され、神経、骨、膵臓などの疾患について、症状改善の効果を認めた研究成果も多数報告されている)、A「 ヒトES細胞の分化及び再生医療の治療効果に関する研究(現在、心筋、神経細胞、骨細胞、肝細胞等多種の細胞への分化に成功したとの報告があり、他種組織への分化や目的の細胞への効率の良い分化技術、分化した細胞の安定性等の研究が進められている」がある。平成15年5月には、京都大学再生医科学研究所が国内ではじめてES細胞の樹立に成功し、樹立したヒトES細胞の使用計画も本年3月に4件が確認されている)、B「動物クローン胚作成に関する研究」(多くの動物で「クローン胚の作成技術にも相当の進歩があり、これらの技術が人クローン胚作成にも適応できるかどうかの検証が次の課題となっている」)、C「 動物クローン個体の研究(「既に10種類程度の動物において動物クローン個体の作成が報告されている)、D「動物クローン胚からのES細胞の樹立と分化に関する研究」(マウスにおいて、クローン胚由来の35種類のES細胞の樹立が報告されている)、E「 動物クローン胚から樹立したES細胞を用いた再生医療の治療効果に関する研究」(「マウスにおいて、クローン胚から樹立したES細胞を利用してパーキンソン病モデル動物での治療を行う実験の結果、治療効果が認められるとの報告があるほか、クローン胚由来のES細胞から分化させた造血幹細胞を移植したところ、免疫不全改善の効果があったとの報告がある)、F「体性幹細胞の研究の現状」(「拒絶反応を避けるための手段として、体性幹細胞を利用する再生医療研究も進められており、皮膚幹細胞からの培養皮膚移植や骨髄細胞移植による血管新生療法等、臨床応用段階のものも報告されており、今後、応用範囲の拡大や、採取・培養方法の検討が進む」が、「マウスについて、多能性の体性幹細胞の存在の報告があるが、未知の要素が多く、現時点では更なる研究が必要である」)などがある。

 人クローン胚の取扱いの検討 「基本的な考え方」として、「人クローン胚がヒト受精胚と倫理的に同様に位置付けられることから、その取扱いについては、ヒト受精胚における基本原則が適用されるべきである。したがって、人クローン胚の研究目的での作成・利用については原則認められないが、人々の健康と福祉に関する幸福追求という基本的人権に基づく要請に応えるための研究における作成・利用は、そのような期待が十分な科学的合理性に基づくものであり、かつ社会的に妥当であること等を条件に、例外的に認められ得る。また、この場合、人クローン胚の取扱い期間は、ヒト受精胚と同様に原始線条形成前までに限定されるべきである。医療目的での人クローン胚の作成・利用は、その安全性が十分に確認されておらず、現時点では認めることはできないと考えられる」。

 「例外的に人クローン胚の作成・利用が認められる研究の検討」として、「現在、他に治療法が存在しない難病等に対するヒトES細胞を用いた再生医療技術の研究」があり、「多くの研究者から、拒絶反応の問題の解決策としてSCNT−ヒトES細胞の利用の可能性に期待する声があ」り、「このような難病等に対する再生医療の研究のための人クローン胚の作成・利用は人としての「尊厳ある生存」へのぎりぎりの願いに応えるためのものであり、健康と福祉に関する幸福追求という基本的人権に基づく要請によるものであると認められ」、「個々の事例についてはそれぞれ十分に検討」した場合の一般的考察結果は次のようになる。

 まず、科学的合理性等としては、「ヒトES細胞を用いた再生医療が、現在治療法がないあらゆる難病等に対して有効な手段になるとの確証はないにしても、いくつかの疾患に対して動物モデルでの有効性が示唆されており、有力な候補であることは否定できない」し、また、「体性幹細胞の利用などの他の手法についても確実な方法とは認められない現状である」が、「ヒトES細胞研究の成果を再生医療技術として実現するためには、拒絶反応の問題を避けて通れないことから、当面の将来においては、SCNT−ヒトES細胞の利用がこうした再生医療技術の実現を左右することとなる」とする。そもそも、この問題に関し、「動物における生物学的知見が必ずしも人においてそのまま適用できるとは限ら」ないから、「動物モデルで得た知見の適応検証等」がなされねばならないとする。他方、「比較対照となる動物での研究、ES細胞の研究が臨床応用まで十分検証されているとはいえないことから、臨床応用については更なる知見の集積を待ち、安全性の十分な確認の後に開始する必要がある」ともする。

 次に、社会的妥当性としては、「パーキンソン病、T型糖尿病や脊髄損傷等、現在は根治療法が無い様々な疾患や障害を抱え苦しむ多くの人々に治療法を提供することには、十分な社会的妥当性が認められる」が、「問題は、体性幹細胞の利用等、人クローン胚を用いない方法にも可能性がある段階で、あえて人クローン胚の作成・利用を行なうことに社会的妥当性が有るかという点である」とする。しかし、「この点に関し、人クローン胚の作成を可能な限り回避し、人クローン胚を用いない方法の可能性を追及した上で人クローン胚の研究に着手しなければならないこととする」と、「治療法を提供できる時期がその分遅くなることも考えられ、患者のより早期の救済という社会理念に照らせば、望ましい選択とは考え難い」ので、「人クローン胚の研究について、臨床応用を含まない、難病等に関する医療のための基礎的な研究に限って扉を開き、必要な規制を整備するとともに、その時代の生命倫理観等への社会的影響を慎重に検討しつつ、段階的に研究を進めることとすれば、患者のより早期の救済への期待に応えつつ、人クローン胚の作成・利用に対する社会の懸念にも応え得る」とする。

 そして、「特に考慮すべき事項」としては、@「未受精卵等の入手の制限及び提供女性の保護」、A人クローン個体作成の事前防止などがあるとする。

 人クローン胚取扱いに必要な枠組みの考え方 以上を踏まえ、社会選択として、人クローン胚の作成・利用については、再生医療の実現に向けた研究における利用を念頭に、扉を開くことは認めるが、臨床応用の段階に至らない基礎的な研究に限り、慎重かつ段階的に研究を進めることとする。このため、人クローン胚のヒト胚としての尊重を確保し、人クローン胚の胎内への移植の事前防止のため等の枠組みや未受精卵の提供者である女性を保護するための枠組みを予め整備する必要がある。

 また、現在の科学的知見は、人クローン胚を用いて基礎的な研究を進めることは支持するものの、今後の研究の進展や新たな科学的知見により、さらに研究を進めることに科学的合理性が認められなくなる場合もあり得る。例えば、将来的に、人クローン胚由来でないヒトES細胞を利用した際の拒絶反応の完全抑止や、体性幹細胞の多様性の確保と採取法や培養法の確立等により、SCNT−ヒトES細胞を利用することなく治療することが可能になれば、その時点で人クローン胚の作成・利用を中止すべきこともあり得ると考える。このため、この研究の意義について、動物を用いた研究や体性幹細胞の研究の成果も含めた広範な知見により、継続的に科学的検証を行い、その結果に基づいて必要な措置を講ずる枠組みを予め整備する必要がある。また当分の間、人クローン胚の作成・利用に関し、SCNT−ヒトES細胞の樹立及び配布を国が適切に管理する必要性から、研究能力や設備、研究の管理や倫理的な検討を行う体制等が十分整った限定的な研究機関において実施されるべきである。

 その他の特定胚 その他の特定胚として、@「ヒト胚核移植胚、ヒト胚分割胚及びヒト性融合胚」(総合科学技術会議の4号答申においては、これらの胚のうち、ヒト胚核移植胚及びヒト性融合胚についてはミトコンドリア病等に対する医学的な有用性等が指摘されたが、これらの胚の作成の是非に関する判断は留保された。他方、ヒト胚分割胚については不妊治療研究等の可能性が指摘されたものの、当面は作成及び使用を認めるべきではないとされた。今回の検討においては、これらの胚についてかかる分野の研究において有意に利用し得るとの指摘もあったが、これらの胚の十分な検討を行い得なかったため、その取扱いの在り方については、今後検討すべき課題とすべきである」)、A「ヒト集合胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性集合胚及び動物性融合胚」(「総合科学技術会議の4号答申においては、これらの胚について研究上の有用性は特段に言及がなく、当面は作成及び使用を認めるべきではないとされた。今回の検討においてもそのようなこれらの胚を研究において有意に扱いうる旨の指摘はなかったが、これらの胚の十分な検討を行い得なかったため、その取扱いの在り方については、今後検討すべき課題とするべきである」)、B「動物性集合胚(現在、作成が認められているが、実際に作成されたことはないため、研究状況を引き続きフォローすべきである)がある。

 制度的枠組み 制度的枠組みの基本的考え方は、「本報告書においては、ヒト受精胚の取扱いの基本原則をヒト胚の取扱いについて共通の基本原則とし、これに基づいた考察の結果、ヒト胚を損なうことになる研究目的の作成・利用は原則認められないが、例外的に容認される場合もあるとした。また、ヒト胚は胎内に戻さず、取扱いは原始線条形成前に限ることとしている。

 ヒト胚の取扱いの基本原則は、「人の尊厳」という社会の基本的価値を堅持しつつ、人々の健康と福祉に関する幸福追求の要請に応えるために、研究目的でヒト胚を作成・利用することが可能な範囲を定めるものである。「人の尊厳」という社会の基本的価値に混乱をもたらすことなく、ヒト胚の研究目的での作成・利用が行われるためには、この基本原則を社会規範として具体化する必要がある。

 人クローン胚については、人クローン個体が生み出されることを防止する必要がある。また、人クローン胚を用いた再生医療の研究は、社会的影響の懸念や臨床応用を想定した場合の安全性の問題を認識しつつ、社会選択として、慎重かつ段階的に進めることとしたものであるため、これを担保する枠組みも必要である。ヒト受精胚及び人クローン胚は、ヒト胚として同等に尊重を受けるべき存在であるが、このように、それぞれ考慮すべき事情が異なるため、これらの取扱いに関する社会規範は、実態を踏まえて適切な規範形式により整備すべきである。

 制度の内容としては、まず、「ヒト受精胚の尊重を求める社会規範」としては、「人の尊厳」という社会の基本的価値を維持していくための枠組みとして重要であるが、「ヒト胚をどのように取扱うかは、個々人の倫理観や生命観を反映して、国民の意識も多様であり、今すぐ強制力を有する法制度として整備するのは容易ではない」とする。他方、「ヒト受精胚尊重の趣旨から強制力を伴わない国のガイドラインとして整備されたES指針について、これまでの運用上、実効性の点で特に問題を生じていない」から、「かかる社会規範は、当面は国のガイドラインとして整備すべきであるが、当ガイドラインの遵守状況等を見守りつつ、国は新たな法整備に向けて、今後とも引き続き検討していくもの」とする。なお、「ヒト受精胚の研究目的での作成・利用は、前述した未受精卵の使用・採取という極めて重い問題を伴ってい」て、「今回の検討において、ヒト受精胚の研究目的での作成・利用は、生殖補助医療研究での作成・利用及び生殖補助医療の際に生じる余剰胚からのヒトES細胞の樹立の際の利用に限定して認め得ること」とする。

 次に、「人クローン胚の研究目的での作成・利用」については、今回、「人クローン胚の研究目的の作成・利用を限定的に容認するに当たっては、このクローン技術規制法に基づく特定胚指針(「人クローン個体が産み出されることのないよう、人クローン胚の胎内への移植を、罰則をもって禁止し」、「人クローン胚が人クローン個体を産み出すために用いられることのないよう、人クローン胚の作成及び取扱いの要件等の遵守事項を特定胚指針として定めることを規定し、間接的ながらもこの特定胚指針に法的拘束力を与えている」)を改正するとともに、必要に応じて国のガイドラインで補完することにより、本報告書の基本的考え方を踏まえて必要な枠組みを整備すべきである」とする。基本的枠組みとしては、「本報告書の基本的考え方に基づいて人クローン胚の作成・利用が認められる基準を設け、これに基づいて個別の研究について、審査した上でその実施が認められる枠組みが必要である」とする。つまり、「人クローン胚の取扱いのための具体的な遵守事項」としては、「ヒト受精胚を取扱う際と同様の内容の遵守事項」ととともに、「人クローン胚の譲渡・貸与の制限といった厳格な管理、SCNT−ヒトES細胞の樹立・配布の条件、研究実施機関の研究能力・設備の要件、研究管理を検討する体制や研究機関倫理審査会(IRB)等の倫理を検討する体制、ヒト受精胚の場合よりも厳格な未受精卵の入手制限等を定める必要がある」とする。

 結論 本報告書は、ヒト胚の取扱いについて、「人の存在や生命を尊重する我々の社会の基本的価値を堅持しつつ、生命科学の発展による人々の健康と福祉に関する幸福追及の要請にも応えられるような社会規範の整備という観点から検討を行ない」、@「ヒト受精胚について、「人」そのものではないとしても「人の生命の萌芽」であり、「人の尊厳」という社会の基本的価値の維持のために特に尊重されるべき存在として位置付け、かかる位置付けに基づいて、その取扱いの基本原則を提示し」、A「その上で、人クローン胚についても、ヒト受精胚と同じ位置付けが与えられるべきとし、その取扱いについて、同じ基本原則を用いることとし、この基本原則に基づく社会選択として、人クローン胚の作成・利用への扉を開くこととする判断を行なった」のである。

 そして、ヒト胚の取扱いについては、「個々人の倫理観や生命観の相違が影響する問題であり、生命倫理専門調査会の3年近い審議を経てなお、議論の一致点を見出せなかった部分もあ」り、また、「今回、必ずしもヒト胚に関わる倫理的な問題の全てについて、整理をし得たものとは言い難い」ものでもあった。しかし、生命倫理専門調査会における本検討の目的は、「ヒト胚の取扱いに関わる倫理問題そのものについての答えを出すことではなく、あくまで、ヒト胚の取扱いという倫理的懸念が指摘される問題について、生命科学の急速な発展の中においても、社会の基本的価値を堅持し、かつ人々の幸福追及の要請にも応え得るような社会規範を整備することにあるものと理解し、取りまとめ」ることであったとする。

 従って、今後、我々は、「『人の尊厳』という社会の基本的価値を堅持し、人間の道具化・手段化といった倫理的な懸念が具体化することのないよう、本報告書に示された方針に基づいて具体的な対応を進める必要がある」とする。ただし、本報告書は、「あくまで現在及び想定し得る限りでの将来の状況を踏まえてヒト胚に関する社会規範の在り方を示すもの」に過ぎず、「将来にわたって永続的に維持されるものではない」から「今後、ヒト胚に関する生命科学の発展や社会の変化の中で、最新の科学的知見や社会的妥当性の評価に基づいた見直しを行なうことも必要であ」り、「また、そうした見直しの基盤としても、研究者の側は、ヒト胚に関する最新の科学的知見を積極的に国民に示し、研究の必要性等について社会の一層の理解を求める努力を継続する必要がある」とする。

                                      B iPS細胞

 iPS細胞 ここに山中伸弥氏の研究が登場する。前述のように、ES細胞は、受精卵から取ったものとすれば、山中伸弥氏のiPS細胞(Induced pluripotent stern cells,人工多能性幹細胞、万能細胞)は「正常な普通の細胞からつくった」(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])ものである。氏は、「生殖細胞でない体細胞は、ほかの細胞に分化することはないというのが、それまでの常識であったが、これを覆したのであ」る(石原理『生殖医療の衝撃』156頁)。山中氏は「体細胞核移植を研究した経験から、卵子の細胞質にはヒトの皮膚細胞を初期化する一定の信号セットが存在しているに違いな」く、「もしその信号セットが特定できれば、卵子ドナーを必要とせずに幹細胞を作成できるはずだ」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』325頁)と、考えたのである。

 つまり、2006年に、山中氏は、「マウスの皮膚細胞にたった4個の遺伝子(Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)を入れるだけで、マウスのどんな組織にも分化できる多能性細胞になる」事を発表したのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』325頁)。氏は、ES細胞に「非常に似ている」iPS細胞は、「通常の体細胞(線維芽細胞)へ、いくつかの特定の遺伝子(「ES細胞の機能に重要」な遺伝子の大規模なセット)を導入」し、Oct4、Sox2、Klf4、c-Mycという4遺伝子セットが重要である事を解明し、「これを普通の細胞に導入した場合、約1万個に1つの割合で、ES細胞のようなコロニーをつくれるようになった」(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』45頁)のである。

 「Oct4及びSox2がコードするタンパク質」は、「ES細胞中で通常活性化している多能性を調節する転写因子の中心的なグループに属」する。一方、「Klf4、及びc-Mycは・・不適切に活性化され・・がんを引き起こす可能性がある癌遺伝子に活性化された場合は、癌を引き起こす可能性がある癌遺伝子」である。iPS細胞の誘導において、後者の「機能はまだよくわかっていませんが、プロセス全体の効率を上げる効果を及ぼしてい」(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』45頁)る。

 翌2007年には、山中チームや別の研究チームが、「同じことがヒトの皮膚細胞であることを示してみせた」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』325頁、遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』17−8頁)。氏は、「ヒトの皮膚から取りだした細胞に4つの遺伝子を組み込むことで分化を抑制する性質」を解除して、万能細胞を生み出したのである。つまり、氏は、「人間の皮膚などの体細胞に、極少数の因子を導入し、培養することによって、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞に変化」させることに成功したのである(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)。

 「自分の遺伝子を持った細胞に拒絶反応は起こらない」し、「受精卵を用いないので倫理的問題もクリア」し、「ES細胞が抱えていた諸問題を一挙に解決することができた」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』18頁)のである。iPS細胞は、ES細胞と違って、「皮膚や血液など、採取しやすい体細胞を使って作ることができ」、「iPS細胞は患者さん自身の細胞から作製することができ、分化した組織や臓器の細胞を移植した場合、拒絶反応が起こらない」と考えられている(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)。 つまり、iPS細胞作製の核は、受精卵ではなく、「細胞を初期化、分化する前の状態に戻す4つの遺伝子」=「山中因子」であり、「ES細胞を研究する過程で、細胞の初期化にかかわる遺伝子は24個まで絞れていた」ものをさらに4個に絞ったものであった。「まず、ヒトの皮膚の細胞の一種、線維芽細胞の遺伝子」に、「4つの遺伝子を組み込んだウィルスベクターを細胞に感染させると、山中因子がタンパク質を作りだし、これが作用して細胞の初期化が達成され」、「この細胞を培養液で培養すれば、約2カ月半でiPS細胞が完成」したのである(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』20−22頁)。

 こうして、「レトロウイルスを運び手として使って」「最初につくられたiPS細胞では、『山中因子』と呼ばれる四つの遺伝子を皮膚の細胞に加え」、「元の体細胞の核のDNAの中に外から加える遺伝子が組み込まれ」る点で、「iPS細胞は確かに遺伝子組換え体」ということになるのである(「iPS細胞を使う再生医療についてどう備えるべきか(1)〜生物学者・勝木元也氏と語る」[東京財団HP2012年12月27日])。

 さらに、iPS細胞は、「だれからでもつくれ」、「患者本人の細胞からつくった組織を移植するのなら、拒絶反応リスクはない」のであり、「究極の自己細胞治療」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』325−6頁)であるとも言える。この点に関しては、ジョナサン・スラックも、「多能性幹細胞は、ES細胞またはiPS細胞のいずれであっても構」わず、「この二つの細胞の特徴は本質的に同じ」だが、iPS細胞は「個々の患者から樹立されているため、遺伝的にその疾患にぴったり一致する可能性を持ってい」(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』53頁)ると指摘している。

 再生医療 このiPS細胞の誕生で、「従来の医療とは次元の違う再生医療が現実」となり、「損傷した組織をiPS細胞で作った組織と交換することで、人類はあらゆる病気や怪我から解放され、健康と長寿が保証され」、遺伝子病治療が可能となり、ガン克服も「遠い未来の話ではない」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』2頁)とされた。万能細胞IPS細胞は、「何にでもなれる細胞」であり、「このような万能細胞があれば、病気やケガで欠損し、うまく機能しなくなった器官を再生、交換することができ」「驚異的に寿命が延びる可能性が生まれる」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』17頁)。

 これは、少なからざる再生医療を誘発していった。例えば、2007年マサチューセッツ工科大学が、「鎌状赤血球(「赤血球が変形してしまう遺伝子疾患」で「重度の貧血症を引き起こす」)の治療にiPS細胞が応用できること」を確認した。この鎌状赤血球貧血の治療について、コリンズは、@「患者の皮膚細胞からiPS細胞をつくり、それを生体外遺伝子治療で治」したりするように、「正されたiPS細胞をラボで造血幹細胞に分化させ、それを患者の骨髄に注入」して、「遺伝子治療にiPS細胞を組み合わせるプロトコール(治療手順)」も考えられ、A「このプロトコルは鎌状赤血球貧血を罹病させたマウスで試し」た所、「そのマウスは治癒した」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』326頁)と述べている。

 2009年には、ウィスコンシン大学が、「ヒトのiPS細胞から血液を作る造血系細胞と、血管内皮細胞を作ることに成功」した。ネヴァダ・ガン研究所は、「まだマウス実験の段階だが、iPS細胞を肝臓に注入することで血友病」治療に成功した(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、30頁)。

 2009年以降、糖尿病も「iPS細胞と再生医療の発達」でインスリン産生細胞やインスリン製造機能あるランゲルハンス島操作、などで「完治」する可能性がある(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、30頁)。つまり、1型糖尿病治療のための「過度の低血糖」は脳機能に損傷を与えかなねないので、「過去10年間で、一部では効果のある細胞治療として、死亡した人間の膵臓から取り出された膵島(ランゲルハンス島)の糖尿病患者(主に「無自覚性低血糖を有する患者」)への移植が行われ」、「治療は大成功」で患者は「無自覚性低血糖から回復し、一部は完全にインスリン服薬を中止」できたが、@膵臓細胞が不足し、A異種個体間の移植のために免疫拒絶をおけるために生涯「免疫抑制剤の投与を受けなければなら」ず、それが「移植片の繊細なβ細胞を損傷」すると言う問題があった(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』58−9頁)。従って、「もし生体外で多能性幹細胞をβ細胞へと分化させることが可能」になれば、「この分野では、幹細胞研究が持つ可能性は明瞭」であり、「個々の患者から作られたiPS細胞を供給源とすれば、その細胞はそれぞれの患者と遺伝的に完全に一致し、・・免疫抑制も必要とし」ないのである(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』59頁)。

 2012年以降、イスラエルでは、心臓疾患者の皮膚細胞を採取してつくった「iPS細胞から心臓を作る研究も多く進められている」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、31頁)。コリンズは、このiPS細胞のアプローチは、「肝臓や心臓、腎臓、インスリンをつくる膵島細胞、そして脳などで、機能しなくなった組織を再生させるための臨床応用に向かう」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』326頁)と指摘する。再生臓器は心臓にとどまらないのである。

 2013年1月には、慶応大学医学部が「ヒトのiPS細胞を利用して毛を支えたり作ったりする『毛包』という組織を再生することに成功」し、「脱毛症などの新しい治療法として注目」された。その他、「東京大学の研究グループでは、iPS細胞から止血作用をもつ血小板を作ることに成功」した。「京都大学の研究で、ヒトiPS細胞から血管内皮細胞および壁細胞を作ることに成功」した。東京大学、理化学研究所は「赤血球を作り出す研究」に従事し、九大、熊大、理研は「血を作り出す造血幹細胞再生」の研究に従事し、「これまで献血に頼る『敷かなかった血液製剤が、iPS細胞で補えるようになるかもしれない」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、22−3頁)とされた。

 難病治療 2013年6月、厚生労働省は、70万人の加齢黄班変性という眼病治療のために「iPS細胞の臨床研究を認める方針を打ち出し」、患者の「皮膚から細胞を採取してiPS細胞を作製し、そこから色素上皮をシート状にし、約10カ月成長」させ、「傷ついた組織を取りのぞいたあとにシートを移植」し、ガン化を防止しようとした(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、24頁)。2014年には、加齢黄班変性の患者の体の細胞から作ったiPS細胞由来網膜色素上皮細胞がその患者に移植され、1年を経過下段階では経過は良好で異常は見られていない(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)。

 さらに、iPS細胞による治療挑戦できる難病としての「脊髄損傷、パーキンソン病、 心不全、再生不良性貧血などの血液疾患に関しては、iPS細胞を使った再生医療の安全性が動物実験で検証」されている(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)。つまり、パーキンソン病にはiPS細胞から神経細胞を作って脳に移植する(京都大学)。つまり、パーキンソン病は、「アルツハイマー病に次ぐ最も一般的な神経性疾患の一つ」で、運動(脳幹内にあるドーパミン産生するニューロンの減少で、運動野が正しい入力信号を受信できなくなる)、言語、認知能力に影響を与える。1980年代以降、パーキンソン病治療は、「6−9週齢のヒト胎児の中脳組織を脳内のドーパミン作動性ニューロンが伸びている領域に移植する小さな規模の試行」であり、「若干の患者にとっては良い影響があった」。しかし、「パーキンソン病は、1種類の特定の細胞、ドーパミン作動性ニューロンの損失によって起こる疾患なので、細胞置換治療のための理想的な候補ということはすぐにわか」るが、「神経系の細胞治療では、糖尿病の場合よりも本質的により困難な多くの問題があ」る。つまり、ニューロンの場合には、「他のニューロンに対して神経伝達物質を放出」して機能するので、「正しい細胞間情報伝達のためには、他のニューロンと結合し適切な入出力が得られるように細胞を配置するという困難な課題」に直面する。そこで、「多くの研究室で、ヒト多能性幹細胞をドーパミン作動性ニューロンに分化させる方法が開発され」、「おおよその神経誘導法は胚様体の形成の段階に続く神経誘導法を含み、懸濁液中の凝集体の形成の段階に続く神経誘導過程を含み、懸濁液中の凝集体として神経幹細胞に似た細胞を培養する」というものである(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』62−5頁)。

 脊髄損傷による麻痺に関しては小型サルに「ヒトのiPS細胞から作った神経細胞を与える(慶応大学)。また、筋委縮性側索硬化症には患者のiPS細胞から分化させた運動神経細胞の突起部分の短さをアナルカジン酸を投与するのである(京都大学)。その他、「心筋梗塞の治療」、「筋ジストロフィーを治療する計画」もある(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』学研パブリッシング、2013年、27頁)。

 また、ALS(国内に約9千人の患者がいて、「運動神経細胞が死に至り、筋力が低下することで歩行や呼吸に困難な障害が生じる」難病)については、2012年京都大iPS細胞研究所井上治久氏(神経内科学)のチームはALSの治療薬のもとになり得る物質を見つけ出した。そして、2017年5月24日に至って、同研究所の井上チームは、「人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った研究で「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の治療薬につながる有力な候補物質を見つけた」と発表した。以後5年間の研究で、「(研究に使う)神経細胞をiPS細胞から安定的に作り出す技術」も奏功して、「ALS患者由来のiPS細胞から運動神経細胞を作製」し、「これに千種類を超える化合物を試し、慢性骨髄性白血病の治療薬「ボスチニブ」が有効であることを見つけ出した」のである。ただし、「実用化までには10年程度の期間を要する見込み」ではあるが、一般社団法人日本ALS協会(東京)の増田英明副会長は「患者や家族は『いつかALSが難病でなくなる日がきてほしい』と日々願っている。今回の成果がそれにつながることを強く期待する」としている(「難病「ALS」の進行抑制物質を京大グループがiPS細胞使い発見 患者ら治療薬を「少しでも早く」と期待」[2017年5月25日「産経WEST」])。

 従来は「クローン人間を作り、そこから臓器を取り出す以外になかった」ので、「倫理的な強い反発があった」が、「iPS細胞が開発」されたことによって、「移植用の臓器」の実のクローンも可能性がでてきたのである(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』117頁)。

 こうして、「標準的なiPS細胞の基準作り、安全なiPS細胞の作製方法の確立、動物を用いた治療効果と安全性の確認など」(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)なされつつ、iPS細胞による再生医療、難病治療ガ試みられた。

 iPS細胞の由来と標準化 浅島誠氏(発生生物学者)は「iPS細胞は作製方法や性質にバラエティがあるものだということを知っておく必要があ」るとする。具体的には、@「細胞核に4つの遺伝子を入れるとき染色体のランダムにいろいろなところに入り込んだり、本来のゲノム機能を変化させ」、A「遺伝子のエピジェネティック(DNA配列変化によらない遺伝子発現の制御・伝達システム)な修飾も関与し」、「提供者の病歴・年齢・性別・採取した臓器、どういう風に採取してどういう風に培養したか、血清の有無、足場となる細胞を使うか使わないか、それぞれの条件によってどう性質が違うのかを検証する必要があり」、B「さらに同じ条件で作製しても、コロニー(細胞等塊)ごとに性質が違う場合もあり」、「増えたコロニーからさらに細胞を取り出して子、孫と継代して増やしていくとき、親となる細胞を取り出す場所がそのコロニーの中心か周りかで後の細胞の性質が異なることがあ」るということに留意する必要があるというのである。そして、「どの遺伝子がどれぐらい発現すればiPS細胞と呼べるか、どういう状態をiPS細胞と定義するか、プラスアルファの遺伝子が発現していることでどのような臓器になりやすいかとか、iPS細胞を定義する客観的な指標を定める、その辺をきちんとしておくことが今後、この研究を発展させるために重要」だとする。「再現性の観点からクォリティコントロールをきちんとして、標準化を進めていくことが、iPS細胞の研究を発展させることになる」(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(1)」2010年1月25日付iPS Trend[科学技術振興機構])とする。

 そして、浅島氏は、iPS細胞標準化は「確かにむずかしい」が、「海外では、ES細胞について先行していた実績があ」るので、「そのあたりの戦略がうま」く、「ハーバード大では、創出したiPS細胞やES細胞を無償で海外に配布し、より多くの人に使ってもらうことで、標準化を試みてい」(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(1)」2010年1月25日付iPS Trend[科学技術振興機構])るから、これを参考にする事を提案するとする。つまり、浅島氏は、「iPS細胞研究を発展させるには、ES細胞や体性幹細胞の研究も重要」であり、「外国では、ES細胞をはじめ、脂肪幹細胞、骨髄幹細胞といった体性幹細胞との比較において、iPS細胞の特性を理解しようとするバランスのとれた研究が行われてい」るから、日本でも両者のバランスある研究が重要であるとするのである(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(1)」2010年1月25日付iPS Trend[科学技術振興機構])。

 なお、ジョナサン・スラックは、「ES細胞コロニー由来のiPS細胞」と「患者由来のiPS細胞株」について説明している(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』47−50頁)。

 iPS細胞の問題点  山中氏は、iPS細胞は、「6−81歳までのヒトの細胞から作りだせる」ことを確認したが、問題点は、「受精卵から作るES細胞と比較すると、完成度のバラツキが大きく、質の悪い細胞の出現率も高」く(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』19頁)、作成効率が低いという事である。

 また、iPS細胞は、@「細胞を初期化してあらゆるものに分化できる万能細胞にするために導入する4つの遺伝子」であり、「そのなかの『c-Myc』という遺伝子は『ガン遺伝子』と呼ばれるもので、ガンを誘発するとされ」、A「これらの遺伝子を導入するためにベクター(仲介者)として使っているレトロウィルス」は「染色体内のランダムな位置に「遺伝子を導入」するのでガン化しやすい事から、「マウスを使ったある実験では、約20%の割合でiPS細胞のガン化」が見られ、「ガン細胞になりやすい」と懸念されている(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』236頁)。@については、コリンズも、このiPS細胞の深刻な問題は、「多能性を達成するために使われた遺伝子の一つが、『癌遺伝子』であ」り、「この細胞を移植されると癌を発生するかもしれない」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』326頁)ということであると指摘している。

 そこで、@ 最適な初期化因子の探索が試みられ、2010年、中川誠人氏らは、「 c-Mycの代替因子としてL-Mycが有望であることを報告し」、「 L-Mycを用いて作製したiPS細胞は、腫瘍形成がほとんど無く、かつ作製効率や多能性も高いことを示し」、A腫瘍ができやすい レトロウイルスやレンチウイルスというベクター(iPS細胞の作製に必要な初期化因子を皮膚細胞などの体の細胞に導入するときに利用)に代わって、2008年に沖田圭介氏らはプラスミド(細胞の染色体に取りこまれることのない環状DNA)をベクターとして用い、2011年に、OCT3/4, SOX2, KLF4, LIN28, L-MYC, p53shRNAという6つの因子を、自律的に複製するエピソーマル・プラスミドを用いて導入することで、作製効率を高めることに成功し、B2013年に、高橋和利氏らは、「神経細胞への分化能力の高いiPS細胞株を簡単に選別する方法を開発し」(京都大学iPS細胞研究所「iPS細胞とは?」)、未分化細胞の腫瘍化を防ぐことに成功した。

 Aにおいて、「プラスミド(DNAを環状に並べたもの)を細胞に入れる」ということは、レトロウイルスを使わずに「元の細胞のDNAには組み込まれないやり方」であり、「入れた遺伝子が元の細胞の中に組み込まれないで、薄まって消え」、こうして「つくられたiPS細胞は、遺伝子組換え体ではない」ということになる(「iPS細胞を使う再生医療についてどう備えるべきか(1)〜生物学者・勝木元也氏と語る」[東京財団HP2012年12月27日])。

 さらに、倫理的な問題も生じた。2010年、文科省は「ヒトiPS細胞又はヒト組織幹細胞からの生殖細胞の作成を行う研究に関する指針」を通達し、「生殖細胞作成研究が、生殖細胞に起因した不妊症や先天性の疾患又は症候群の原因の解明等に資する可能性がある一方で、ヒトiPS細胞又はヒト組織幹細胞から作成された生殖細胞を使用して個体の生成がもたらされる可能性」があるので、生命倫理上の観点からガイドラインを定めるとした。これは、「iPS細胞から配偶子を作成する研究が、近年、急速に進展してきたことに対応して出され」、これによって「人工配偶子研究を正当性を担保するとともに、研究の進展に一定の歯止めをかけ」ようとした。「作成された生殖細胞を取り扱う者は、当該生殖細胞を用いてヒト胚を作成してはならない」(石原理『生殖医療の衝撃』160頁)としたのである。

 実際、2011年には、京都大学の研究チームによって「マウスの精子」がiPS細胞でつくられ、「この精子から子どもが生まれることが確認され」、2012年には「卵子を作ることにも成功」した。iPS細胞は「皮膚からでも作れる」ので、「不妊女性から皮膚を採取してiPS細胞を作り、分化誘導すれば、卵子を作ることができる」のである。「受精卵、つまり生命のもとを破壊してしまうES細胞は、倫理上の問題で研究が停滞」し、「iPS細胞の登場によって解決の見通しがついたかに見えた」が、iPS細胞でも「人工的に精子や卵子が作れ、生殖の摂理までも操作できるとなると、iPS細胞の倫理問題が再燃する可能性もでてくる」(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』238−9頁)と言われている。こういうこともあってか、斎藤通規氏(京都大学物質−細胞統合システム拠点)は、「マウスレベルであれば、皮膚などから作成したiPS細胞から、生殖能力のある精子や卵子を作り出すこと」に成功したが、「人工配偶子のヒトにおける臨床応用の可能性については」慎重である(石原理『生殖医療の衝撃』159頁)。

 こうして、「iPS細胞の樹立は研究の活性化を世界中に爆発的に波及させ、最初の報告からわずか1年の2007年にヒトiPS細胞の樹立が報告されると、樹立法の研究は急速に進展し」、現在(2011年頃)は「様々な他の遺伝子をKlf4及びc-Mycの代わりに用いることができ、また様々な方法によってさらに効率を高める事が知られてい」るのである(ジョナサン・スラック、八代嘉美訳『幹細胞ーES細胞・iPS細胞・再生医療』45頁)。

 iPS細胞補完の再生医療 浅島誠氏(発生生物学者)は、ES細胞よりもiPS細胞が重視される風潮に警告する。即ち、氏は、2010年において「日本ではヒトES細胞の作成の研究が許可されているのは・・中辻先生(京都大学 物質-細胞統合システム拠点)、梅澤先生(国立医療センター、生殖・細胞医療研究部)」だけであるが、2009年には「ヒトES細胞の使用について・・大幅に緩和されて、多くのところで使用され」、「これまで間葉系幹細胞において、未分化・脱分化についての研究が従来から行われ」、「また、造血幹細胞については移植等を中心とする研究も盛んに行われてき」た。しかし、「近頃、iPS細胞と旗印を掲げないとファンディング(資金確保)がつかない、無理して応募したところで・・・と考えてやめてしまう雰囲気があ」り、「確かにiPS細胞はすばらしいが、このような幹細胞、発生、分化を含めた周りの研究者も育てながらやっていくことが今後のiPS細胞の研究の発展にとっても日本にとっても重要」だとする。「アメリカの場合、ヒトES細胞についてはブッシュ大統領が連邦資金供与禁止令を出し」たが、「ハーバード大やMIT(マサチューセッツ工科大)やカリフォルニア大などが私的なファンドを集め進めたことで非常に層の厚い研究者がES細胞の研究分野にどっと入ってきて、いい研究成果が集ま」り、「ここにさらに iPS細胞が入ったときに、ぐんと加速を見た」(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(2)」2010年2月5日付iPS Trend[科学技術振興機構])とする。

 浅島氏は、ES細胞研究はiPS細胞研究の進展の基礎だとする。つまり、氏は、「日本の若い人は、iPS細胞は理解していても、ES細胞で蓄積された知識をもっていない」が、「ES細胞でも反応性や分化能などの細胞特性は一つ一つ細胞株によってちがう」から、「その違いについても認識すべき」であり、「それぞれの特性を理解する基礎データを得ること、そしてその「再現性」が重要」であり、「iPS細胞研究を発展させるには、細胞とは何か、細胞の本質を理解することが重要」であり、「ES細胞やそのほかの幹細胞の理解なしに、iPS細胞を理解しようとしても十分な成果は得られ」ないとする(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(2)」2010年2月5日付iPS Trend[科学技術振興機構])。

 浅島氏は、「iPS細胞は、拒絶反応や倫理的な問題はクリア」したが、「分化した線維芽細胞を脱分化させるメカニズムの解明はまだで」あり、「初期化した細胞の維持、最も重要な安全かつ求める細胞の分化制御法など、まだまだ課題として残っている」が、体性幹細胞については、日本では「脂肪幹細胞も骨髄幹細胞も研究されてき」たし、「本人の中にある未分化細胞なので、倫理問題も拒絶反応も皆無だし、脂肪幹細胞は大量にとれ」るとする。氏は、「問題は、どうすれば分化させることが出来るか」であり、「このことは海外でも気がついて研究が始まってい」て、「米国では、ES細胞で、脊髄、網膜の再生に取りかかっており、すでに次に進んでいる」とする(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(2)」2010年2月5日付iPS Trend[科学技術振興機構])。
 
 さらに、浅島氏は、再生能力と言う観点からES細胞の重要性を指摘する。つまり、氏は、「受精卵には発生のためのプログラムがすでに内蔵されてい」て、「iPS細胞は、リプログラム、つまりいったん分化したものを元に戻し初期化された細胞」であり、イモリ、トカゲ、プラナリアは「手を切ると、血管も骨も筋肉も自分で脱分化してもういちど再生する」が、「ヒトは、だいぶ再生機能を失った」が、「肝臓を2/3失っても、残り1/3が脱分化して赤い肝臓がいったん真っ白になり脱分化様になり」、骨髄によって血液は「毎秒八千万個の速度で壊されていき、同じ速度で再生し」、皮膚も「深い傷を負うと膿がでますが、透明の膿の中に未分化幹細胞が入ってい」て再生するとする。ヒトは、「そういう再生能力を持っているので、恒常性を保っている」とする。ヒトの脳、目、肝細胞、心臓、筋肉でも、「幹細胞があって、臓器の恒常性を維持してい」るとする。例えば、「脳の細胞数は20歳で増えないと言われ」ていたが、「最近の研究では、海馬のところなどにたくさんの幹細胞があり」、「それを活性化させ分化させれば、あるいはアルツハイマー病を始め多くの病気が治せるかもしれません」とする。

 最後に、氏は、総合的研究の重要性を主張する。つまり、氏は、「我々の体は実に奥深くできているのです。一本の道ではなく、いろいろなパスがあるのです。iPS細胞も万能ではなく、それが自然の摂理にどう調和するかは今後の課題です。こうした研究をライフサイエンスとして丸ごととらえるべきです。正常細胞とは何か、その恒常性が壊れるとどうなるのか、総合的に研究する必要がある」とする(浅島 誠「広い視野での研究推進が次の芽を育む(2)」2010年2月5日付iPS Trend[科学技術振興機構])。

 再生医療推進法制定 2013年、iPS細胞などを使った「再生医療を国民が迅速かつ安全に受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律(再生医療推進法)」が公布された。

 日本経済新聞は、「再生医療推進法が成立、iPS細胞の実用化促進」(2013年4月26日付『日本経済新聞』)という見出しで、「様々な細胞や組織に成長できるiPS細胞などを使った再生医療の実用化を目指した「再生医療推進法」が26日、参院本会議で可決、成立し」、「生命倫理に配慮しつつ、安全な研究開発や普及に向けて総合的に取り組むことを基本理念に盛り込」み、「普及を促進する施策を策定・実施する責務が国にあると明記した」のである。

 「再生医療に使う細胞の培養などを手掛ける事業者については国の施策への協力を求め」、「国民が迅速に再生医療を受けられるようにするため、臨床研究の円滑化に必要な施策を講じることも盛り込」み、「国は法律に基づいて基本方針を定め、必要があれば3年ごとに見直すよう定めた」のである。

 「再生医療でも最も効果が期待されるiPS細胞では難病治療が先行」し、理化学研究所などは、2月に、目の難病「加齢黄斑変性」の臨床研究を厚生労働省に申請」し、「早ければ秋にもiPS細胞を使った世界初の臨床研究」を始める。さらに、「慶応義塾大学も脊髄損傷の臨床研究を4年後をメドに始め、大阪大学も心臓病で計画」しているとした。

 そして、「今回の法律では民間企業の参入も後押し」し、「これまで医療機関が再生医療に使う細胞の培養や加工の委託は他の医療機関に限られていたが、企業にも委託できるようにな」り、「再生医療の産業化も進むと期待される」とした。政府指導、産学連携のもとに、PS細胞などを使った再生医療の推進が本格化しつつあるのである。

 iPS細胞作製効率の向上 2017年5月3日、京都大iPS細胞研究所の山本拓也講師らのグループは、米科学誌『セル・メタボリズム』に、「iPS細胞(人工多能性幹細胞)を効率的に作る2種類の遺伝子の組み合わせをマウス実験で発見し」、「二つの遺伝子が、体細胞をさまざまな細胞になれる状態に戻す『初期化』を促進した」結果、「作製の成功率は現在数%だが、実験では50%以上になった」と発表した。

 従来、iPS細胞の作製のために「四遺伝子(山中因子)を体細胞に組み込んで初期化」の成功率は数%にとどまり、「効率の悪さが課題」であった。そこで、山本グループは、「今回、4遺伝子のうち3種類を使い、さらに別の遺伝子2種類を加えてマウスの体細胞に組み込んで実験」し、「『Zic3』と『Esrrb』という遺伝子を組み合わせると、iPS細胞が50%以上の割合で出現することを突き止めた」のである。グループは、「二つの遺伝子が細胞の状態をバランスよく制御し、初期化を相乗的に促している」とみている。山本氏は「作製効率を上げることで、将来的により高品質なヒトiPS細胞の作製につなげたい」と抱負を語った(「<京大・研究所>iPS細胞作製 成功率5割に マウス実験」[2017年5月3日付毎日新聞])。




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