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c 遺伝子治療の増加
(イ) 遺伝子治療申請の増加
アデノシン・アミネ―ス欠損症(ADA欠損症)、プリンヌクレオチド・フォスフォリレ―ス欠損症、レッシュ・ナイハン症候群という酵素欠損症の遺伝子治療申請が出た。こうして、最初に「三つの酵素欠損症が治療の対象として取り上げられたのは、これらの酵素の過剰状態というのが生体にあまり問題にならない」からである(1986年1月座談会での高久史麿発言「遺伝子治療ーその可能性を探る」[T.フリードマン『遺伝子治療』150ー1頁])。
1994年秋に、マーク・スコルニック(ユタ大学医療センター)らは「女性を脅かす乳癌と子宮癌の二大悪質遺伝子」を見つけ、BRCAIと命名した。1996年3月、研究者(ワシントン大学、ヴァンデルビルト大学)は、「このBRCAIの中にある腫瘍を抑制するメカニズムを解明し、癌細胞にある遺伝子を送り込むことでこの細胞の命を断ち、腫瘍を抑制できる事を示し」、「連邦から即座に承認を貰い、その二か月後に15人の患者(「転移性の子宮癌を患い、これまでの治療方法では腫瘍を抑制できなかった患者」)に遺伝子治療を施し」た。「遺伝子治療は奇病と言われる遺伝病から手が付けられたが、今やその多くは癌治療に向けられている」(ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー、松浦秀明訳『遺伝子治療の誕生』ゼスト、1998年、8−9頁[Jeff
Lyon and Peter Gorner,"Altered Fates."W.W.Norton & Company,Inc.,1995]9頁)のである。
しかし、1995年12月、NIHは、遺伝子治療申請件数106件には「治療効果があったという証拠は全くない」とした。米国NIHのORDC(組換えDNA事務局)による1996年世界遺伝子治療試算件数(米国『Human Gene Therapy』1996年12月1日号)に基づくと、申請件数232件、うち実験着手件数175件(75%)、被験者1537人であり、内アメリカの申請件数170件(73%)、被験者数1229人(89%)である。その後に申請件数は急増し、2千人以上の人が遺伝子治療をうけたが、結局、「治療効果があがったものはほとんどない」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』82−3頁)のである。
この頃、遺伝子治療は「最も注目」され、NIHは年2億ドル(年間予算11億ドルの約2割)を投入し、「私企業も同じく毎年2億ドルを注ぎ込んでい」た。「世界の遺伝子治療医は今や脳、肝臓、胚、骨格、筋肉、皮膚静動脈、リンパ節へいかに遺伝子を届けるかに心血を注いでい」て、「大学病院や医療センターは次々と遺伝子治療科を設置し、先進諸国は協力して我々人間という動物を作り上げている、約十万個という遺伝子を分離し、その性格を解明しようとしている」(ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー『遺伝子治療の誕生』9−10頁)。
こうして、遺伝子治療は、「1990年代前半に医学に革命を起こすかのように見え」、「若く才能ある臨床研究者の多くがチームを組んで、実用可能な方法を開発しようとした」。しかし、遺伝子治療熱は、@送達の問題(「ベクターとなるウィルス」にDNAを「標的細胞の核に届けさせる」事が困難)、A機能の問題(DANを標的細胞に入れたとしても、定着して、機能するかどうかという難問がある)、B免疫反応の問題(「治療効果が出始めるというその時に、免疫系に見つかって、治療用遺伝子を発現している細胞が破壊される」という問題)という三つの「大きな壁」に直面して、しだいに冷め始めた(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』313−4頁)。
(ロ) 遺伝子増強論議
1997年1月に「NIHに申請された一本の遺伝子治療プロトコール」(ニューヨークのロックフェラー大学病院のクリスタルらの「アデノウィルス5型遺伝子導入ベクターの正常人体への皮内投与に対する免疫反応」)が、「末期の重症患者ではその反応と科学的なメカニズムを正確につかむことはできない」ので、「新薬の治験と同じ報酬を払って集めた健康な被験志願者」を初めて使おうとしたので、NIHはこれを公開討論に付したので、アデノウィルスの直接投与をめぐってアメリカでの遺伝子増強論議を巻き起こした。議論は「健康な人を遺伝子治療実験に使うことの是非に広がって、そこで能力増強への心配が出てくるのである」。生命倫理学者エリック・ジュエングスは、「能力増強のための遺伝子操作は正常の範囲を越えた能力を与えるものであり、治療は正常以下の能力を正常の範囲に押し上げるようにデザインされた遺伝子への介入だ」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』111−4頁)と批判した。
NIH(国立衛生研究所)やRAC(組換えDNA諮問委員会、NIH長官の諮問機関)は、「優生学的プロトコール(実施計画)に門を開くのではないか」と懸念したが、1997年4月21日、NIHは「いくつも厳しい条件をつけ」て、これを承認した。そこで、RACはNIHに、「健康な人を使うことの科学的メリット、優生学的危険性についてさらに議論するために、GTPC(遺伝子治療政策会議)を招集するよう」に勧告した。そこで、9月11日に第一回GTPCが開かれ、「生殖腺と生殖細胞汚染に関する科学的データも汚染の検出方法も、人に就いては全くないこと」、「それは遺伝子治療が、子どもを産むことなど『ありそうもない』末期の病人が被験者だということ」が明らかになったが、「被験者の解剖の義務づけと、確かな生殖腺汚染検出法の確立とが必要」とされて、「危険な実験を辞める」ということにはならなかった。「胎児の遺伝子治療が始まる気配があり、生殖細胞遺伝子治療についても、公開の議論だけならRACの仕掛けでも行なわれ」、「アメリカの科学は今、どうやら優生学の世界に向けて走り出したよう」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』114−5頁)なのである。
(ハ) ウィルスベクター問題
ウィルスベクターによる生殖汚染問題 遺伝子導入用ベクターには、@「ウイルスを使ったベクター」、A非ウイルスベクターの二つがあり、「臨床の遺伝子治療で使われるベクターの約3分の2がウイルスベクター、残り3分の1が非ウイルスベクター」である。「非ウイルスベクターは、ウイルスに見立てたリポソームや高分子ミセルを人工的につくり、中に遺伝子を入れて細胞に作用させる」が、「ウイルスベクターは、病原性を亡くしたウイルスを使」うので、「それが周りの細胞に感染して、ウイルス感染が広がり」(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])、「あくまでもウイルスなので安全性への不安はつきまとい」(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])、特に生殖腺汚染が懸念されていた。
NIHは、1997年8月クリスタルらは健康者を対象とするもう一つの実験の申請を承認し、97年12月にRACは「ウィルスベクター直接投与による生殖腺と生殖細胞汚染の問題を・・第69回会合で改めて検討し直し」た(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』115頁)。1997年9月11日に、NIH
は、メリーランド州ベセスダのNIHビルで、「ヒト遺伝子転換ー致死的な病気の範囲を越えて」という「遺伝子治療政策会議」を開催し、同月12日にはRACの第68回会合を開催した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』108−110頁)。
ウィルスベクターの長短 ウイルスベクターには、アデノウイルスベクター、レトロウイルスベクター、アデノ随伴ウイルスベクター、レンチウイルスベクターなどがあり、「各ベクターの長所を残したまま短所を克服していくことが、ベクター開発で行われてい」る。
アデノウイルスベクターの長所は、「細胞内に遺伝子を入れて遺伝子を発現させる効率が非常に高」く、「非分裂細胞へも遺伝子導入が可能」なことであり、短所は、「免疫原性が高く、遺伝子発現が一過性で、通常の生体に投与すると1ー2週間で遺伝子の発現がなくなってしまうこと」である(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
レトロウィルスとは「遺伝情報の符号化にDNAに代わってRNAを用いるウィルス」(ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー、『遺伝子治療の誕生』72頁)であり、レトロウイルスベクターの長所は、「染色体に組み込まれて永続的な遺伝子発現が可能なこと」である(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。つまり、「細胞の核にうまく入り込み、相手のDNAに取り入り、宿主の生物の一部とな」り、「宿主の細胞は生き続け、成長さえもし、外からの侵入者に支配されていることに気付かず、それまで通りに増殖を繰り返」し、その結果「寄生すべき新しい宿主を探し求める必要もなく、その時が来れば、レトロウィルスは通常の細胞分裂で数を増やし、遂には相手の免疫システムにその存在を声高らかに宣言する」のである。「最近の十年間」(1985−1995年頃)で、このレトロウィルスは、「白血病とリンパ腫」という二つの奇病が関係していることがわかった(ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー、『遺伝子治療の誕生』72頁)。
レトロウィルスの欠点としては、@「自然が彼等の構成成分を普通のウィルスと反対に繋ぎ合わせた」から、レトロウィルスにこうしたマジックができるのであり、研究者は、「こうした狡猾な特技」に着目し、「レトロウィルスを遺伝子治療に必要な遺伝子の運び屋の本命に仕立て上げた」のであり(但し、そのままでは大き過ぎるので、ムリガンは、「運び込ませたい重要な遺伝子の特定の部分だけ」を探し出したのである)、Aレトロウィルスのもう一つの欠点は、「脳や中枢神経系のような分裂しない器官の細胞には侵入できず、そのため、この関係の病気治療には使えぬこと」であり、B「それ以上に遺伝子の運び屋としての最大の弱点は、彼等の生まれつきの『だらしなさ』であ」り、「彼等は行き当たりばったりに遭遇した細胞の染色体へ自分の遺伝子を挟み込」み、「遺伝子はあちらこちらと知らぬ場所に撒き散らされ、その揚げ句、余りにも環境が違うため働く気を失」い、初期潰瘍を促進したり、「遺伝子の活動を停止させる」のである。しかし、これらを「矯正」したレトロウィルスは「遺伝子治療の本命のベクターに教育できる」のである。「多くのレトロウィルスは癌を引き起こ」し、ムリガンも「本質的に腫瘍ウィルス」のレトロウィルスであり、この「極悪の者」を「温和で忠実な宅配屋に教育し」たのである。「DNAウィルスは目標の細胞を殺してしまうが、レトロウィルスは細胞を殺さないし、病気もしない」のみならず、「遺伝子を多くの種類の異なる細胞へ運んでくれる」(ジェフ・ライオン、ピーター・ゴーナー、『遺伝子治療の誕生』72−4頁)のである。
アデノ随伴ウイルスベクターの長所は、「非分裂細胞への遺伝子導入が可能で、遺伝子発現が長期的」なことであり、短所は「入れられる遺伝子サイズが小さく、つくり方が難しい」事である(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
レンチウイルスベクターの長所は、「非分裂細胞へも遺伝子導入が可能です。染色体に組み込まれることによって永続的な遺伝子発現が可能という優れたベクター」であることで、短所は「このレンチはエイズの原因ウイルスHIV由来のベクターであり、安全面で不安があり」、「作製方法がやや煩雑」なことである(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
d 胎児遺伝子治療への懸念
羊による胎児遺伝子治療実験 1994年にRACは胎児遺伝子治療の問題で議論をしていたが、「この時はもちろんまだ臨床を考える段階には行ってなくて、計画したのは羊での実験」であり、「妊娠している羊で胎児遺伝子治療実験をやろう」と、FDA(Food
and Drug Administration、食品医薬品局)に申請した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』125頁)。
1994年11月、FDAは、「臨床プロトコールが出てくるのが近い」として、RACに「問題の検討」を要請した。RACは、94年12月の第60回会合から95年12月の第64回会合まで5回にわたって、「正常な妊娠羊」に「抗生物質耐性遺伝子をマーカー(目印)として組み込んだレトロウィルス・ベクターを投与して、その体内での挙動を調べるという」遺伝子標識実験などを検討した。こうして、94年末から「アメリカでは人への応用をにらんだ公的な動きが・・もう始まっていた」が、まだ「社会的な論議を呼ぶというところまではいかなかった」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』125頁)のである。
1997年に健常者を対象とする遺伝子治療への懸念が始まり、「優生学への危険な坂道」(the
slippery slope to eugenics)と言う言い方で表現され、「生殖細胞遺伝子治療だけでなく、体細胞遺伝子治療もまた危険な優生技術の性格を内包している」事、「その『坂道』への歯止めが、とりあえず治験や臨床研究の対象を『生命を脅かす』『致死的な』病気にかかっている人に限定することでしかない」事を改めて浮き彫りにした(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』116頁)。
アンダーソンのヒト胎児遺伝子治療実験問題 子宮内遺伝子治療(in utero gene therapy)とは胎児遺伝子治療=体細胞遺伝子治療であり、「生まれる前の胎児の段階で遺伝的な異常を見つけ出して、子宮内で遺伝子治療をしよう」と言うものである。1998年6月18日、19日、RACの第71回会合がベセスダのNIHビル内で開かれ、@「体細胞遺伝子治療で投与されたウィルスベクターが生殖腺(卵巣や精巣)にまで入り込んで生殖細胞の遺伝子改変を起こす可能性があるかどうかをはっきりさせる」事、A「生殖細胞遺伝子治療のためにNIHの遺伝子組換えガイドラインを書き換えるべきか否かを議論する事」を課題とした。会議では、南カリフォルニア大学教授フレンチ・アンダーソン(NIHにおいて、1989年「がん患者を使った遺伝子標識実験」、90年「ADA欠損症の遺伝子治療実験」をして、「遺伝子治療のパイオニア」とされる)は、エスメル・ザンジャニ(レノ在郷軍人病院)と共同で、「二つの胎児遺伝子治療実験(ADA欠損症、サラセミア)を計画中であり、その”予備的なプロトコール”を次回のRACに提出する予定だ」と語った。当時、「誰もまだ胎児遺伝子治療に手をつけた人はいなかったから、これは”爆弾発言”であった」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』117−8頁)。
1998年7月31日、アンダーソンはとりあえず「議論を起こすために」、「二つの胎児遺伝子治療実験」の予備的プロトコールをRACに提出した。RACは、「これはあくまでも必要な議論をスタートさせ」ようとしたのであり、「臨床応用を勧めているのではない」として、「胎児遺伝子治療の問題を議事日程に乗せ」、9月18日、19日の第72回RAC会議で取り上げることにし、政府広報で発表した。80通の意見書がRCAに送られ、僅か2通が胎児遺伝子治療に賛成したに過ぎなかった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』118−120頁)。
RCA会議などのアンダーソン批判 RCA会議では、@「安全性に関するデータの不足が問題」になり、「アンダーソンは自分たちが行なった動物実験のデータをあげて反論したが、そんなものはないのと同じだと一蹴された」事、AADA欠損症には「出生後の酵素補充療法が確立」している事、Bサラセミアでは「重症の場合は・・早期に中絶」で対処されるが、遺伝子治療が効かない場合には「母体の負担を引き延ばす」事などが問題となった。これに対して、アンダーソンは、「プロトコールを手直し」して、すぐに「中絶を予定している女性を使って実験する」という「新しいプロトコールを提出」した。しかし、「最も議論が集中したのは、生殖腺汚染の問題」であり、これは「投与されたウィルスベクターが生殖腺にも感染して、生殖細胞に遺伝子を組み込」むという「意図しない生殖細胞干渉」のリスクが胎児では特に高くなるという問題をもっていた。ここでは、「『意図しない生殖細胞干渉』が“能力増強”“機能強化”を目的として、簡単に『意図された生殖細胞改変』に置き換わるだろうと考えられている」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』121−2頁)。
1998年9月24日号『ネイチャー』は、「責任ある遺伝学のための協議会」(ボストン)がRAC宛意見書で、「アンダーソンの胎児遺伝子治療は、『優生学への危険な坂道』をもっと下までころげ落ちると、激しく告発した」と紹介する。会議では、「科学・技術・公共政策研究所」の女性やインディアナ州の法律家らは「生殖細胞への危険性をあげて、胎児遺伝子治療・・のモラトリアム」を主張した。これに対して、アンダーソンは、「たとえ生殖細胞への意図しない干渉が起こるとしても、このプロトコールは生殖細胞への遺伝子購入のためのものではない」と否定し、RACが「「生殖細胞への潜在的リスク」が大きくて容認できないとすれば、臨床実験は中止するとした(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』122頁)。
1999年2月4日号『ネイチャー』で、イギリス批判グループは、「アンダーソンは生殖細胞操作支持者として有名で、生殖細胞遺伝子操作に関する“議論をねじ伏せる”つもりだと言ったことがあ」り、「アンダーソンは胎児遺伝子治療を“能力増強”の目的に使うだろう」とする。そして、「いったん(生殖細胞操作)技術が確立すれば、そのように使われることを防ぐのは不可能」なので、「法律で生殖細胞操作を禁止している」イギリスにならうべきとする。結局、RACは、「アンダーソンの提案については、動物実験をさらに続ける必要がある」として、結論はださずに、「この問題をめぐる議論は翌99年1月のGTPCに渡された」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』123頁)。
1999年1月7日、8日、GTPCは、「出生前遺伝子導入ー科学的、医学的、倫理的問題」と言う会議を開催した。同年1月14日号で、『Nature』は、この会議では、@「技術が未熟であることが明らかになったにもかかわらず、参加者の多くが治療計画の促進に同意し」、A「アンダーソンらとは別のグループ(オルトン・オシュナー医療財団の新生児学者ジャネット・ラーソンら)がノックアウトマウス(「遺伝子操作で作られた実験用疾患モデル動物」)で嚢胞性線維症(「肺に濃い粘液がたまり、腸閉塞なども合併する重い遺伝性疾患」)の胎児遺伝子治療に成功したと発表」したが、B「子宮内遺伝子治療が実行される前に、たくさんの重要な科学的、倫理的問題が解決されなければならないと結論を下した」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』123−4頁)と報じた。楽観と慎重ガ入りまじっていた。
胎児利用の理由 こうして、「世界中の研究者や企業が十年間も開発にしのぎを削ってきて、なおものになるかならないかわかっていない技術」である体細胞遺伝子治療を「胎児に持ち込む」のは、「胎児は免疫システムが未成熟だから成人よりも遺伝子がはいりやすい」からである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』126頁)。「ウィルスベクターを使ったこれまでの遺伝子治療実験がどれも成功していないの」は、「体の免疫システム」が作動して「遺伝子が患者の組織や臓器に上手くはいらないから」「導入効率が非常に悪く、治療効果が出るだけの遺伝子発現がおこらない」からだが、「免疫の未熟な胎児ならば、ウィルス・ベクターや外来遺伝子を排除しない」とみるのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』126頁)。
「免疫反応をかわすために胎児を利用するという考え方」は、「造血幹細胞移植(「成人の骨髄や抹消血、胎児の肝臓や臍帯血、胎盤などに含まれている」造血幹細胞をとり出して「白血病や溶血性貧血など重い血液疾患の治療のために移植しよう」とするもの)ですでに試みられてきたもの」で、「骨髄移植から始まって、次第に提供者の負担が少ないとされる臍帯血移植や抹消血移植に移って」いったが、大人では「免疫の型が合わな」いという問題があり、1970年代から「胎児の段階で移植する」事が試まれだした。(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』127頁)。「この胎児造血幹細胞移植の考え方をそのまま持ち込んだのが胎児遺伝子治療」であり、「造血幹細胞移植をやってきた人たちが胎児遺伝子治療に手を広げた」ともいえる(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』128頁)。
しかし、現在、「人の複雑で多様な免疫システムが胎児発育のどの段階で出来てくのか」はまだ分かっていないのであり、「胎児造血幹細胞移植は、まだほとんど成功していない」ようだ(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』128頁)。
e アメリカの「遺伝子治療死」事件
体細胞遺伝子治療による死者発生ーゲルシンガー事件 NIHに申請された体細胞遺伝子治療実験の数は、188件(1997年5月)、449件(うち癌が280件、単一遺伝子病が50件。2001年6月)と増加している。「単一遺伝子病とエイズがほとんど増えていない」が、「虚血性の血管疾患が急速に増え」、「民間企業の資金xで行なわれる臨床試験が増えてい」る。これに伴い、「競争は激化し、その分無理な人体実験も増え」、1999年9月にペンシルバニア大学の遺伝子治療研究所(所員250人をかかえる「遺伝子治療のメッカ」)で「アデノウィルス・ベクターの肝臓投与の安全性に関する第T相試験で、対象にOTC(オルチニン・トランスカルバミラーゼと言う酵素)欠損症(この結果、肝臓がアンモニアを分解できない)」18人が選ばれ、「OTC遺伝子をつないだウィルスベクターを肝動脈を通してカテーテルで直接肝臓に送」ったが、被験者ジェシー・ゲルシンガー(18歳)が「肝臓を含む多臓器不全」で「血液がドロドロに固まり流れを止め」死亡したのであった。この事件で、FDAはこの実験の一時停止命令を出し、NIHは「調査や対策の準備を進めていた」が、その問題が表面化した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』130−3頁)。
コリンズは、ゲルシンガーは、「バイオ企業と潜在的に利益を共有する関係であった」主任研究者が安全対策を完全に守らなかったために、「治療用ウィルスを注入された三日後に」突然死したとする。研究者は、悪意はなかったが、「焦っていて、不手際を演じ」、「遺伝子治療の研究」に影を落とす事になった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』314頁)。
ワシントンポストの報道 1999年9月29日、『ワシントンポスト』紙がこれを報道し、アデノウィルス・ベクターと言う「ありふれた・・風邪」ウィルスの直接投与が毒性を発揮」し、「遺伝子治療が原因になった最初の死亡事故」(被験者[ゲルシンガー]は稀な肝臓疾患を患っていたが、科学の進歩になると聞いて自発的に参加していた)が生じて、「各方面に大きな衝撃」を与えた。アデノウィルス・ベクターに期待する「国ぐるみの人体実験がついに言い訳の利かない」遺伝子治療死を出したのである。つまり、アデノウィルスは、@肝臓をねらっていたのに「肝臓を越えて全身に散らばり」、Aその危険信号を無視して「投与レベル(体重1kg当たり20億個から同6000億個までの6レベル)を上げていき、結局致死量に行きついてしまった」のであった。「FDAの調査の過程で、ゲルシンガーを死なせたあの実験にたくさんのルール違反や逸脱があり、やり方もひどくずさんだったことがわかってきた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』133−6頁)。
1999年11月3日、ワシントンポストは、「過去19カ月の間にゲルシンガーのほかに(二人の遺伝子研究者による心臓血管の遺伝子治療で)6人が死んでいる」が、「科学者たちとスポンサーの製薬会社は公になることを防ぐために、これをNIHに届け出ていなかった」と報じた。1999年11月末、FDA(食品医薬品局)はペンシルヴァニア大学遺伝子治療研究所に、「立入り調査を含む本格的な調査を開始」し、「この臨床実験が予想を超えたいいかげんな管理・監督のもとで行なわれていたこと」を明らかにした。2000年1月21日、FDAは、「ここで行なわれる新薬研究制度下での遺伝子治療研究すべての『一時停止』を命令」した。こうした遺伝子治療事故死は、「この分野に営利企業がはいりこんできて、金銭的な利害がからむようになり、競争が激化」し、「既存の製薬会社が商売になりそうな研究をあさって投資する例が増え、それだけでなく研究者自身が自分の研究を売るために会社(例えば、1992年にペンシルヴァニア大学のウィルソンはゲノボ社、コーネル大学のクリスタルはゲンベック社、タフツ大学のイズナーはバスキュラー・ジェネティック社を創設)を興すことも増えた」ことによる(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』137−140頁)。
死亡事件の背景ーNJH]弱体化 「アメリカの遺伝子治療は、NIHガイドライン(「組換えDNA分子を含む研究のためのNIHガイドライン」)で規制されて、全面的にNIHの管理下に置かれ」、「臨床を行なう研究者は詳細なプロトコールをNIHに提出し、RAC(組換えDNA諮問委員会、NIH長官の諮問機関)の検討を経て承認を得、最終的にNIH長官の承認を得なければなら」ず、さらに「臨床で死亡その他の『重い有害結果』(SAE、serious adverse effect)が出た場合は、ORDA(NIHの組換えDNA事業室)に報告し」なければならないが、企業資金の参入で、「臨床研究はIND(研究新薬)制度によってFDAの管理下に置かれて、FDAの審査、監督が必要にな」り、NIHの規制権限は弱体化する。
NIHが遺伝子治療を全面的に管理するのは「なにが起こるか予想できない新しい技術の研究を、いきなり臨床で始めるためのチエだった」が、こうしたNIH弱体化で、NIHは、企業が、「全て公開が原則」のNIH
を嫌って、「秘密にされる」FDAを好みだすことを規制できなくなり、「その結果RACは全体を把握できなくなり、公開が果たしてきた被験者の安全チェックの役割も意味をもたなくなった」のである。1999年9月2、3日のRAC75回会合で、SAEをORDAに報告する事を強制するよう、NIHガイドラインを修正すべきという意見がでたが、結論がでぬままにいる所に、上記死亡事故が起きたのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』141−2頁)。
RACの対応 RACは、「この事件に対処すべく、急いでワーキンググループ(「アデノウィルス・ベクターの安全性と毒性に関するワーキンググループ」)を発足させ、一方で次回、12月の会合で当事者のウィルソンを呼んで公開のヒアリングをする事を決めた」。1999年12月8−10日、RAC第76回会合が開催され、「アデノウィルスそのものの生物学、病態生理学から遺伝子治療用ベクターとしての性質、その作られ方、臨床における毒性データまで多様な角度から報告が行われ、論議され」、ウィルソン、クリスタル、大手製薬企業(ゼンザイム社、シェリング・ブラウ社、RPR社)が「臨床データを報告」したが、「ベクター投与が直接関係するSAEがあったというのは殆んどでてこなかった」。二日目には、ペンシルバニア大チームのウィルソンらは、「詳細に実験と死の経緯」を報告した。二日間の会議で、RACは、遺伝子治療商品を「用心しながら使っていく」とした。これを受けて、NIHは、「“用心しながら”アデノウィルス・ベクターを使っていくことにした」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』143−4頁)。
1999年12月RAC第76回会合に報告された「アデノウィルス・ベクターに関するSAE」は970件に及んだ。SAEを「その状態が重篤かどうか」、「ベクター投与と関連しているかどうか」、「予期されたものだったかどうか」という3要素でランク分けされ、85件(9%)が「重篤な、予期されなかった、関連の可能性のある」ものと認定され、ゲルシンガー一件のみが「重篤な、予期されなかった、関連する」ものとされた(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』143頁)。
NIH復権 その後「NIHは遺伝子治療臨床研究に対する監督権限をとり戻し、毒性と安全性に関するアセスメントを強化すべく、長官の諮問委員会にワーキンググループをつくって方策を検討し」、2001年春、「研究者に対してすべてのSAEを報告するよう求める根拠をNIHに与えるために、ガイドラインを修正し、さらに新しく国立のデータ評価委員会を設立するなどの方針を打ち出」した。NIHは、「企業秘密を考慮しないで、全ての安全情報が集められ、解析され、公開されなければならず、一般の人々が自由にこれにアクセスする事が保障されなければならない」とする。NIHは、「とりあえず現状のままで研究者たちにSAE報告を依頼し、集まった範囲で解析して、年四回開かれるRACの公開の会合で結果を報告する事」にして、既に2000年6月からそれを開始した。FDAは、「これにこたえて、遺伝子治療と異種移植に関して、被験者ぼプライバシーや企業秘密、商業上の秘密を保持しながらデータと情報を一般に公開するうえでのルールを発表し」、2001年3月のRAC第81回会合殻実施に移した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』145−6頁)。
f 各遺伝子治療の展開
以下、こうした体細胞遺伝子治療方針に基づいて、いかなる遺伝子治療が2000年頃以降に展開したのかを瞥見してみよう。
(ィ) 「希少」遺伝子病の治療
八チソン・ギルフォード症候群治療 一般的に生物に老化が不可避なのは、@「複雑な多細胞生物にとって、ゲノムは複製するたびにエラーを起こ」し、「身体のあちこちの細胞に複製エラーがたまり」、同様に、「細胞で仕事をしている蛋白質は、環境の影響を受けたり折り畳み間違い(ミスフォールディング)を起こしたりしてダメージを受け」、活動による摩滅・疲労が堆積し、
A自然淘汰のためには、生物が永遠に生きるのではなく「偶然の変異の発生と生殖の繰り返し」が必要であり、B食料が限られて不足するからである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』267頁)。
八チソン・ギルフォード症候群(Hutchinson-Gilford Progeria Syndrome 。早老症=プロゲリア[Progeria
Syndrome]とも言われる)はこの老化の特殊型である。つまり、これは、「400万人に1人」(新生児)、「900万人に1人」(幼児期)という割合で発生する「珍しい病気」で、「細胞が健常者の8倍のスピードで老化」するので、13歳前後で老衰死する。
2002年、「この病気は家族内で再発しない」事から、「ゲノム内のどこを探せばいいのか手掛かりが何もな」かったが、コリンズらは、DNAバンクで患者25人のDNAサンプルを調査して、1年後に、患者両親には何ら変異はないが、DNAコードの「ラミンAという蛋白質」の中間あたりの「本来ならCの文字がTになっていた」事、「このミススペルがいつもかならず精子で生じている」事(プロゲリアの父は「たいてい高齢者」で、「それだけ多く細胞分裂を経験しているため、ミススペルを起こす確率が高くなっている」)に気づいた。また、「この変異がないDNAサンプル」もあり、「そのうちの一人には、同じラミンAの遺伝子に先ほどのものとは別の二ヵ所のミススペルがあ」り、この患者は「典型的なプロゲリア」と違って「長生き」している事も判明した(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』263−5頁)。
このラミンAという遺伝子の変異はヒトの1番染色体上にあり、「プロジェリンという変異タンパク」をが増殖させて惹起する事が判明したのである(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』87頁)。つまり、生化学者、細胞生物学者のラミンAの研究によると、@「ラミンAは細胞核を優雅な卵形に保つのに重要な構成部分」であり、「細胞分裂のたびに核が二つに分かれ、ふたたび形成するのを助ける役割」を担い、Aその結果、「ラミンAは複雑な構造の末端に、核を正しく目指せる信号を備えてい」て、ラミンAが目的に着いたらその信号を外す必要があるが、B患者の場合はこの信号をはずれないように「ラミンAの遺伝子が変異」し、信号がありすぎる状態になるのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』265−6頁)。その結果、八チソン・ギルフォード症候群では「ラミンAの変異による細胞核の崩壊が細胞分裂のたびにDNAの損傷を増やし」、早老症(ヴェルナ―症候群、コケーン症候群)では「DNAの修復機構に変異が生じ」ることなる(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』270頁)。
「家族研究や一卵性双生児研究からは、個人の寿命の20%から30%は遺伝因子によるものである事が示されてい」て、「長寿の秘訣は環境よりも遺伝子にある」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』271−2頁)のである。「個人の寿命を最大化するのに貢献している遺伝子を探す研究は始まったばかりで、確固とした手掛かりはない」が、コリンズらは「ラミンAの遺伝子にある『よくあるバリアント』の中に、影響は小さいが、寿命との関連を示すものをいくつか見つけ」ている(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』272頁)。
2007年、コリンズは、「プロゲリアの子供29名を対象に(新薬「ファルネシルトランスフェラーゼ阻害剤」[FTI])臨床試験」を始めた。「プロゲリアの遺伝学と生化学についての発見が正常な老化プロセス」と一定の関係があり、ここ数年「ヒトのラミンA遺伝子は、プロゲリアを引き起こしているのと同じ有毒な蛋白質生成物を、プロゲリア患者でなくとも少量つくり出している」という報告が出て来ている。従って、コリンズは、「この、ごく普通の蛋白質生成プロセスが加速することが、正常なヒトの寿命を縮める大きな原因」となりうるのであり、「プロゲリアから学ぶことは、私たち皆に直接関係するということ」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』282頁)であるとする。
2010年、アメリカの研究チームが、「イースター島で発見された化合物を利用して、プロジェリアの新薬『ラバマイシン』を開発」し、「この薬でプロジェリンの分解に成功した」と発表した(遺伝子工学研究倶楽部編『遺伝子工学がわかる本』87頁)。
X染色体連鎖型SCID治療結果の浮沈 1999年の上記ゲルシンガー事故は「遺伝子治療の研究」に影を落とし、以後、「研究チームの統廃合や再編成があり、少数の研究者たちが研究を続行した」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』314頁)にとどまった。
1999年末には、「フランスから・・やはり先天性免疫不全症の1つ(X-SCID)・・の治療に成功したという報告があり」、「フランスの治療は完全に遺伝病を治療するということで、ついに人類は遺伝病を克服したというような評価を受けて」、「これで遺伝子治療もこれから進むぞというようなときに、2002年にここでウイルスベクターによる治療を受けた患者が「白血病を発症するということが起こ」り、「その後、一時遺伝子治療が世界的に停滞する」ことになった(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
だが、数年で、研究者は楽観的になり、「SCIDの子」が「第二世代(デヴィッド・ヴェター治療から20年後の2000年)の遺伝子治療の最前線」に登場し、「X染色体連鎖型SCIDの少年ら20人が遺伝子治療を受けた」。最初は「免疫系がうまく機能するようになったらしい」報告がなされたが、長続きせず、挿入したウイルスが癌遺伝子を活性化させ、5人が「白血病の一種を発症」させた。幸い4人は白血病を治し、「遺伝子治療は他の方法より生存期間を長くしてくれ」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』314−5頁)たのである。しかし、「こうした難題に阻まれて、過去25年にわたる遺伝子治療の進展はイライラするほど遅」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』67頁)くなったのである。
一方、イタリアでは、「骨髄移植に適合するドナーがいないADA欠損症の少年少女10名」のうち8人は、「遺伝子治療で治り、有害作用の形跡はない」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』315頁)のであった。
周知の通り、2004年にアンダーソンは性的犯罪(1997−2001年)で逮捕され、2006年に懲役刑に処されたが(2006年7月25日、8月29日付『日刊ベリタ』)、ゲルシンガー死亡事故(1999年)、SCID治療患者の白血病発症(2002年)など、こうした遺伝子治療の頓挫が遺伝子治療の先駆者の一人にネガテイブな影響を与えていたかもしれない。
嚢胞性線維症遺伝子治療 1990年代頃に「嚢胞性線維症に関与するCFTR遺伝子が特定され」(産業医科大学大槻真「膵嚢胞線維症」[i-erika.com]も参照)、その直後に「正常な遺伝子を、気道感染しやすいタイプの風邪のウィルスに組み込」み、「患者がそのウィルスで『風邪をひく』と、その『風邪』が正常な遺伝子を植えつけてくれる」というアイデアがだされ、これが「この病気は遺伝子治療で治せるのではないかという期待が一気に高まった」。コリンズのラボは一年以内にこれを実証して、「正常な遺伝子を乗せたウィルスは、培養皿にある気道細胞の塩分輸送問題をみごとに解決してくれた」のだが、「生きた人間に正常な遺伝子を効果的に送り届けるとなると、そう簡単にはいかない」のである。つまり、@「まず、遺伝子送達の効率をきわめて高くし」、「正常な遺伝子をウィルスから細胞へときちんと入り込ませ、そこに定着させ、それなりの量のRNAや蛋白質をつくるよう機能させなけれななら」ず、A「防御システムである免疫系がこのウィルスに対して防戦してきたら、治療どころではない」から、「この工程すべてを、免疫系の監視の目をくぐりながらやらなければならない」という難問に直面したのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』65−6頁)。
こうした難題にもめげずに、「嚢胞性線維症の遺伝子治療開発はいまも続いている」が、当初の「希望」は「忍耐と年月が必要になるという認識」に変わった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』67頁)。
一方、「遺伝子の発見から生まれた別の治療法の可能性も出て来て」、最近「薬で正すべき標的を明確にし、何百何千という候補者をふるいにかけて勝者を選び出すという」医薬品設計が登場し、嚢胞性線維症で「塩分輸送不全を引き起こしている分子構造の欠陥を見出し、それを補正するにはどんな成分が必要かを考えて候補者を絞り込んでいく」のである。こうして出来た薬VX−770で「バリアントG551Dのために弱っている機能を補強」する「薬の臨床試験」が行われ、@「被験者の汗に含まれる塩化物濃度はほぼ正常レベルに下が」り、A「鼻の組織で塩分輸送能力を測定する検査では、ほぼ完全な結果が出」て、B「胚の空気循環がたった二週間で改善」され、「薬の副作用は何も見られな」かった。はじめての「大きな成果」であった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』67−8頁)。
(ロ) 難病の遺伝子治療
難病とは「原因が不明で、治療法が確定していない病気」であり、「この100年あまりの医学の進歩で、多くの病気の原因や治療法が明らかになってきたが、それでも取り残されたままの病気は決して少なくない」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』岩波書店、2016年、B頁)のである。現在、日本で難病に指定された疾患は130あり、この難病に遺伝学的対応するには、「まず、疾患をもつ患者のヒトゲノムから、異常のある遺伝子を見つけ出し」、次いで「その異常な遺伝子からつくられるタンパク質の構造を明らかにして、その構造に合った薬をつく」(田沼靖一『生命科学の大研究ー遺伝子からiPS細胞、死生観まで』48頁)ったり、遺伝子治療をするのである。
デュシェンヌ型筋ジストロフィー 2016年9月19日、FDA(アメリカ食品医療品局)は、「稀な難病のデュシェンヌ型筋ジストロフィーが初めて有効な治療が受けられるようになった」と声明を発表した。これは「条件つきではあったが、難病に対する史上初の遺伝子治療の認可」であった(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』岩波書店、2016年、B頁)。
1866年イギリス人ガワ―ズは、デュシェンヌ型筋ジストロフィーが「母親を通して男子に現われること」を報告した。「デュシェンヌ型は筋ジストロフィーの中で一番多く、世界中のどこでも、男子の3500人に一人くらいの割合で発症」した。デュシェンヌ型筋ジストロフィーはX連続性劣性遺伝子によるのであり、このX連続性劣性遺伝子は、「ペアのX染色体の片方だけに病的遺伝子があっても病気は発症」しないのであり、つまり、「X染色体が二本ある女の子は片方が病的遺伝子でも発症しない」が、「男の子にはX染色体は一本しかなく、この一本に変異があると発症」するのである。デュシェンヌ型の「X染色体には1088個もの遺伝子が存在し、赤緑の色覚障害や血友病も、X連鎖性劣性遺伝の異常であ」り、「X連鎖性劣性遺伝の病気は男性にのみで発症することが原則」なのである。一方、「Y染色体上の遺伝子は78と少なく、精巣を作って男性ホルモンを分泌させて、結果的に男性の身体を作る役割がメイン」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』岩波書店、2016年、34−6頁)なのである。
女性でもまれにデュシェンヌ型が生まれるのは、@「女性にはX染色体が二本あるが、細胞の中では、実は、そのうちの一本しか働いて」おらず、「将来女性になる受精卵は二本のX染色体を持っているが、子宮の中で細胞分裂をしている初期段階で、二本の染色体のどちらかがそれぞれの細胞でアトランダムに働かなくな」り、A故に、「生まれてくる女の赤ちゃんは、ある細胞は父親のX染色体の遺伝情報、別の細胞は母親のものと、別々のX染色体が働く細胞が入り乱れたモザイクになってい」て、「働かなくなったX染色体は小さく折りたたまれ、顕微鏡で見ると黒く縮んだパール小体にな」り、B「これは、X染色体が一本しかない男性の細胞と、二本ある女性の細胞の、遺伝情報の量を平均化するメカニズム」であり、ライオナイゼ―ションと言われることがおこり、Cこの「ライオナイゼ―ションの結果、女性の体では、父親からの遺伝情報が働く細胞と母親からのものが働く細胞の比率は、統計的には半々になるはずだが、時には大きく片寄ることもある」から、「女子にデュシエンヌ型筋ジストロフィーが発症する」のである(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』岩波書店、2016年、36−8頁)。
「デュシェンヌ型ではジストロフィンというタンパクの遺伝子変異がわかっている」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』、29頁)。この「巨大タンパク」ジストロフィンは「長さは8000分の1mm」で「1gの筋肉の中に1140億個」あり、「骨格筋の全タンパク重量の0.002%、5万分の1にしかすぎない」。「健常者の筋肉では、ジストロフィンが筋細胞の膜を縁取るようにきれいに張り付いている」が、「デュシェンヌ型の筋肉には、ジストロフィンがない」のである(48頁)。ただし、「デュシェンヌ型より軽症なタイプ」である「同じくX連鎖性劣性遺伝のベッカー型」では「不完全ながらもジストロフィン」があるが、ジストロフィンの縁取りは「淡く弱々しくまばらで頼りない」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』47−8頁)。
こうして「デュシェンヌ型の原因、ジストロフィンの遺伝子や機能も分か」ったので、エキソン・スキッピング方法による遺伝子治療がなされ、「デュシェンヌ型をベッカー型に変え」るのであり、「完全に正常化するのではない」が、臨床症状を緩和し、「普通に近い日常生活」を送ることを可能にしている(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』51−60頁)。
後述のiPS細胞を使った治療の可能性も検討されている。つまり、「筋ジストロフィ―をはじめとする難病の治療に、iPS細胞を使った方法が考えられ」、押村光雄氏(鳥取大学染色体工学センター)は、「DNAの箱である染色体を、ジストロフィン遺伝子用に作り、それを組み入れたiPS細胞を筋肉に送り込もうというアイデア」、つまり「ヒトの第21染色体から余分な部分を切り落とし、そこにジストロフィン遺伝子を組み込んだ人工染色体を使うアイデア」を提起した(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』64頁)。さらに、「もっと根本的な治療法」として、「患者さんのiPS細胞から、成長する筋細胞になる筋芽細胞を作り、正常に修復したジストロフィン遺伝子を組み込」めば、iPS細胞を自分の小細胞で作るから「免疫反応による拒絶症状はおこらないし、大きな遺伝子も組み込める」というアイデアもある(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』65頁)。
パーキンソン病 「パーキンソン病は震えて動けなくなる病気」で、1817年に英国人ジェームズ・パーキンソンによって発見された(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』69頁)。この患者は「人口10万人あたり150−200人」もいて、「決して稀な病気ではな」かった。その後、「パーキンソン病は、20世紀に入って少しずつ症例が積み重ねられ」、1919年に「黒いメラニン色素を含んだ神経細胞が消失」して、「脳幹部にある黒質の異常」、つまり「色が薄くなって脱色している」事が解明された(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』69頁)。
第二次大戦後、A.カールソンは、「黒質と関係が深い大脳基底核の被殻にはもともと神経伝達物質(「神経細胞が別の神経細胞に信号を送る時に、神経線維の先から相手の細胞に向かって放出される化学物質」)のドパミン(ドーパミンともいう)が多い事、実験動物に降圧剤であるレゼルビンを投与すると被殻のドパミンがなくなってパーキンソン病の症状が現れ、ドパという化学物質(「アミノ酸のチロシンから作られ」る。正式名称は4−ジヒドロキシフェニルアラニン)でこの症状が消失すること」を発見し、「パーキンソン病の脳ではドパミンが不足していて、ドパが治療薬になること」を予言した(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』69−70頁)。
1960年には、佐野勇氏(大阪大学)が「ドパを患者に静脈注射」し、「震えやこの病気の特徴でもある因縮が軽減」させていたが、「作用時間が短く、実用的ではない」として、この研究を展開させなかった。所が、1961年にW.ビルクマイヤー(ウィーン老人病院)、O.ホーニキービクフ(ウィーン大学)は、「人類史上初めて、パーキンソン病の患者にLドバを注射して劇的変化」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』71頁)をさせた。
ドパミンは、脳のバリアー作用で脳に入れないが、このLドパは「神経細胞に直接は作用しないから」脳に入れる。「服薬あるいは注射で体内に入ったLドバの多くは、すぐに血液中の酵素によってドパミンに変えられ、これが血圧や脈拍に強い影響を与え」、大量に投与すると、改善効果が顕著になった。アンドレ・バルボー(カナダ)が、この大量投与を始めて行い、「それまでは決定打のなかったパーキンソン病の治療方法が大きく開け」た。そして、「すぐに、脳に到達する前にLドバが変化しないような薬剤が開発されてLドバの投与量は減り、また、ドパミン受容体の感受性を高める薬剤や、脳の中でのドパミンの分解を抑える薬剤などが開発されてい」き、パーキンソン病重症者が良好な状態に向かった(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』72−3頁)。
このLドバ療法の問題として、@米国カリフォリニアで薬物(MPTP、MPPP)使用者の「硬直」治療のためにLドバを使うと、「劇的に効いた」後に、「やがて強烈な副作用が現れ」、「MPTPは、MAOという酵素でMPP+に変わり、それが黒質のドパミン細胞に取り込まれてこの細胞を破壊」し、「パーキンソン病の症状が出る」のであり、Aパーキンソン病患者への細胞移植は、副作用があったり、「長期的には完璧ではな」く、B「パーキンソン病は・・筋ジストロフィ―やハンチントン病のような、明らかな遺伝性疾患ではない」から、「根本的な方策」として「遺伝子を改変する戦略は現時点では考えにくい」が、「ドパミンを作る能力が衰えている黒質細胞に、ドパミンを合成するのに必要な酵素の遺伝子を組み込むという考え方で研究が進められている」が、「ドバミン産生につながる酵素の遺伝子治療を行なっても、黒質の神経細胞障害の進行が止まるとは考えにくい」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』79−83頁)事などがあげられる。
Bに関連して、コリンズは、パーキンソン病は、「完全に遺伝的なもの」(@遺伝子「αシヌクレイン蛋白質の変化」は、「神経伝達物質ドーパミンをつくりだす」「脳の特定部位」を変質させたり、A「LRRK2遺伝子にある変異」が原因となる)のみならず、「完全に環境的なもの」まであって、原因は幅広いと指摘する。従って、コリンズは、「パーソナルゲノム医療の時代を迎えるにあたっては、その人の病気の原因が、遺伝要因から環境要因までのどこにあるかを見極めて、最良の治療計画を立てる事が重要になろう」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』234−6頁)とする。
また、ここでも、「iPS細胞から黒質細胞を誘導し、それを大脳基底核へ移植するアイデアも出てきており」、これが「根本的治療により近づいた治療法になる」可能性がある(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』83頁)。
ハンチントン病 ハンチントン病は常染色体優生遺伝子病で、IT15遺伝子が「責任遺伝子」であり、「染色体4上の4p16.3の遺伝子座に存在」(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』丸善、2002年、22頁)する。
この病気は「治療不可能なままで、第二次世界大戦前のアメリカでは優生保護法の対象」となり、「患者には不妊手術が施された」(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』89頁)。ハンチントン病の頻度は、欧米では「10万人に8−10人」、日本では「欧米の10分の1くらい」であり、稀な病気である(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』91頁)。
1972年、「ジョージ・ハンチントンの論文から百年を記念」して、オハイオ州コロンバスで国際シンポジウムが開かれ、諸報告の後で「ベネズエラでは、マラカイボ湖周辺に多発地域がある」と発表された。1979年、アメリカの心理学者ナンシー・ウェクスラー(前年に母をハンチントン病で亡くしていた)がマラカイボを訪ねて、「ビバリー・ヒルズでセレブ相手の精神分析医を開業していた父」の人脈でアメリカ・ハンチントン病協会を介して集めた賛助金などによって、「精力的に調査」を始めた。彼女は、「最終的には、過去の人を含めて1万8000人の病歴、遺伝歴を聞き取り、エル・マルの患者たちは、マリア・コンセプシオンという女性の子孫である事を突き止め」、「おそらくそのマリアの父がヨーロッパ人で、ハンチントン病の遺伝子を持ち込んだと推定された」のである。4千人の血液がボストンのマサチューセッツ総合病院の遺伝学者ジェームズ・グゼラの研究室に届けられた(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』92−4頁)。
1983年、グゼラは、『ネイチャー』誌に、「ハンチントン病の遺伝子は第4染色体の短腕の先に近い部分、学問的な番地に言うと4p16.3に局在すること」を発表し、初めてハンチントン病の「遺伝子座が確立」した。しかし、「根本的な治療法がないままでの悲惨な病気の発生前診断は、いろいろな論議を起こしてきた」。1993年、グゼラは、「ハンチントンというタンパクの遺伝情報が4p16.3に書き込まれていて、その変異でハンチントン病が発症することを突き止めた」。「その遺伝子には、4314個のアミノ酸の情報が、67個のエキソンに分かれて書き込まれてい」て、「DNAに書き込まれていた変異は、ポイント・ミューテーションでも、欠失や重複でもな」く、「グルタミンを意味するCAGという塩基情報が繰り返されていた」のである(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』95−6頁)。こうしたCAGリピートは、ハンチントン病(45回以上)では健常者(平均20回、多くて35回程度)より多いのである。
ハンチントン病患者の神経細胞の核に「グルタミンが沢山集まった塊(ポリグルタミン封入体)」が見られ、「その封入体を調べると、ハンチンチン(アミノ酸の塩基情報)だけでなく、DNAからRNAへの遺伝情報の転写を制御する装置、ユビキチンが多く見られ」るのである。岡沢均氏によると、「ハンチンチンは、Ku70という傷ついたDNAを修復するタンパクに結合してその働きをサポートする」が、「余分なポリグルタミン鎖がハンチンチンについていると、Ku70にうまく結合できなくなる」事を指摘する。すると、「傷ついたDNAが修復されずに溜まっていき、細胞の死につながる」ことになり、Ku70が「多く産生されるよう・・遺伝子操作をする」と、良好な状態に向かうことになる(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』97頁)。
「ハンチントン病では脳の神経細胞の障害が前面に出てくる」のは、「脳という組織がエネルギーを沢山必要とする細胞でできている」からであり、「他の組織より酸素消費が大きい脳では、酸化ストレスで傷ついたDNAに修復機能が働かないと、神経細胞の機能障害やその死を来しやすい」のだろうとする(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』98頁)。そこで、「Ku70などのDNA修復機能をターゲットにした治療法」とか、「異常に繰り返されるCAGリピートが問題ならば、メッセンジャーRNAのCAGリピート部分がグルタミンに翻訳されないようにする、アンチセンス剤を用いたテクニック」などが、根本的治療法として考えられている(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』98頁)。
筋委縮性側索硬化症(ALS) 「運動ニューロンとは、筋肉を動かそうとする指令を伝えるシステムを形成する神経細胞」であり、「これらが少しずつ侵され、筋肉が麻痺していく病気」を運動ニューロン病という(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』100頁)。
ALSはこの運動ニューロンが侵される病気であり、典型的なALSでは、「上位運動ニューロン(「脳幹部の延髄で左右に交差し、脊髄の側索という部分を下に向かい、脊髄前角細胞に指令を伝える」部分)と下位運動ニューロン(「前角細胞とそこから先の末梢神経」という「筋肉に指令を伝達する」部分)が同時に侵され」、「手足の麻痺や嚥下障害とともに呼吸障害も現れ」るが、筋肉組織ではない頭脳は影響を受けずに「明晰なまま」である(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』101頁、105頁)。
1869年、ALSはフランスのシャルコーによって初めて報告され、以後「症例が積み重ねられ」、@「病理学的には、脊髄の側索と前角の細胞障害であり、舌や顔の動きを指令する脳幹部の神経細胞の障害」であり、A「ほとんどの家族性ではない弧発性のALSには、脊髄前角の細胞にブニナ小体という赤い小さな塊(封入体)が現れることが明らかになる(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』107頁)。
1993年、「ALSの遺伝子変異が報告され」、「大部分のALS患者には遺伝性はないが、10%くらいに血縁内の発症があり、そういう人たちの中でSOD1という酵素の遺伝子変異が明らかになった」。ALS患者で「遺伝歴のない場合」でも、「その人には、SOD1遺伝子に突然変異が起」きたから発症したのである(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』107−8頁)。
一般に、「酸素による酸化作用」で細胞が活動し、活性酸素という「高エネルギーの化学物質」ができ、それが「DNAを傷つけたり、酵素などの細胞機能に重要なタンパクを障害」するが、@「SOD1には活性酸素を解毒する役割があ」り、A変異SOD1にも活性酸素解毒能力はある。後者の変異SOD1が、「どんどん発生してくる活性酸素」に対応できなくなり、「強い酸化ストレスで細胞が損なわれる」ことになるとする(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』108頁)。
2006年、「弧発性のALSの前角細胞にTDP43(「認知症を引き起こす前頭側頭葉変性症という病気でも認められ」、「TDP43は、タンパクを作る第一段階のメッセンジャーRNAの働きに関係している」)というタンパクの変性した塊」が発見された。このTDP43変異は、「前角細胞(筋肉に行動の指令を送る)側にあるグルタミン酸(神経伝達物質)受容体の構成」が「健常者と違っていて」、「グルタミン酸のシグナルが届くとカルシウム・イオンが細胞内に入り込」み、それが過剰になると、「正常なTDP43を破壊して変性」させるのである。「サッカー・プレイヤーや戦闘を経験した兵士」に「ALSの頻度が高いのは、「上位運動ニューロンが、活発に筋肉を動かす指令で、前角細胞を酷使したため」かもしれないとする(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』109頁)。
ここでも、ALS克服のために、症状を進行食い止めるための遺伝子治療が行われているが、根治のための遺伝子治療はまだ開発されておらず(株式会社遺伝子治療研究所HPの「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」のページ)、iPS細胞が注目され、「細胞障害のプロセスをシャーレの中で再現できること」の意義が重要だとされている(小長谷正明『難病にいどむ遺伝子治療』110頁)。カ
レーバー先天性黒内障(LCA) レーバー先天性黒内障は「RPE65という遺伝子の変異による劣性遺伝疾患」であり、犬の遺伝子治療実験で「見込みがありそうな結果」がでたので、2005年にヒトへの治療が試みだされた。2008年、この患者デール・ターナーが遺伝子治療を受け、手術が成功し、右目が見えるようになり、それが持続した(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』316頁)。
彼以外にも、「LCA患者への遺伝子治療は現在、アメリカでもイギリスでも報告され」、「結果は必ずしも成功とは言えないようだが、見込みは大いにある」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』318頁)とされている。
ニーマン・ピック病C型 ニーマン・ピック病C型は酵素異常であり、不溶性代謝物が細胞内に蓄積する先天性代謝異常症で神経症状を呈する。2009年、EUにおいての治療薬ミグルスタットが承認され、2012年に日本においても承認され、これが、「この間の遺伝子治療の停滞期を乗り越え」、「遺伝子治療カムバック」の一助になった(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日]など)。
副腎白質ジストロフィー 副腎白質ジストロフィーとは、「中枢神経系(脳や脊髄)において脱髄(神経線維を覆っている髄鞘と呼ばれるさやの部分[電線に例えれば銅線が神経でその被覆の部分]の崩壊が起こる病態)や神経細胞の変性と、腎臓の上にありホルモンを産生している副腎という臓器の機能不全を特徴とする疾患」で、「X染色体(男性では1つ、女性では2つ持っています)に存在するABCD1遺伝子の異常によりおこる遺伝病の一つ」である。つまり、ALDPと呼ばれる「細胞内にあるぺルオキシソームという細胞内小器官の膜に存在するタンパク質」の異常により「極長鎖脂肪酸という物質の活性型誘導体がペルオキシソーム内へ移送されなくなる結果、分解(β酸化といいます)ができなくなり細胞内に蓄積し、神経系細胞膜の機能異常を引き起こす可能性が示唆されてい」(『難病情報センター』のHP)る。
2009年に、この副腎白質ジストロフィーという病気(神経の変性疾患)を「遺伝子治療をすることで進行を止めることができ」るようになり、「大変大きな成果だと言われ・・gene therapyが新しいチャンスを得た、gene therapy comebackということで、世界的に大変これは高い評価を得」たのである。「ベクターの改良とか技術の改良があって低迷期を乗り越え」(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])たかであった。
(ハ) 『よくある病気』遺伝治療・予防
『よくある病気』の遺伝リスク因子解明 遺伝子医療革命は、2006年頃には、「糖尿病や癌、心臓病、脳卒中、精神障害など『よくある病気』にまで広が」り、「これらの病気は単純な遺伝パターンには従わないものの、それでも遺伝子の影響を強く受けている」のである。こうした「よくある病気」の遺伝性について、@「それぞれの病気に対し、特定の遺伝子リスク因子と環境リスク因子が存在し、それらが急速に特定されつつあ」り、A「これらの発見は治療法や予防法の開発に新しい可能性をあたえ」、B「あなた自身がリスク因子を知っていれば、自分の生活習慣を調整する事ができるし、早期の、治療可能な段階で徴候に気づくことができる」という事が指摘されている(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』97−8頁)。
「嚢胞性線維症のような単一遺伝子ではうまくいった戦略も、多遺伝子を相手にしては太刀打ちできない」ので、「糖尿病や癌、心臓病では遺伝リスク因子が多数あるために、研究者らによるDNAの犯人探しは難航している」。そこで、「二万個のヒト遺伝子のどれが当該の病気に関係するのか見当をつけて、病気になった人の遺伝子の中にそのバリアントを探す」という候補遺伝子戦略をとるのである。しかし、2003年にヒトゲノム・プロジェクトが完了して、6年後には「10万点以上のDNA標本」を検査できるようになり、「ゲノム上の『希少なバリアント』の場所はもちろんのこと、『よくある病気』に関与している『よくあるバリアント』の1000万ヶ所の場所」がわかるようになり、ほとんだが「一塩基多型」(SNP、「個人間の単一塩基に生じる差異の集合」)だから、「最初に『よくある』方に焦点を当てるのは理にかなっている」のである。「ハップマップ・プロジェクトのおかげ」で、「殆どの文字については、誰もが同じ配列になってい」て、「うち3ヶ所に『よくあるバリアント』が生じ」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』99−101頁)るのである。
だから、ある遺伝子病の原因を探すのに「1000万ヶ所すべてを一つ一つ分析する必要はな」く、「遺伝子のバリエーションは・・ある特定の『区画』ごとに組織化されている」から、「それぞれの区画における一つか二つのバリアントがわかれば、同じ区画内の他のバリアントもいちいち検査せずに予測できる」ことになる。平均すると、「30か40のSNPが区画内で行動をともにしている」。ハップマップ・プロジェクトは、「そうした区画(ハプロタイプ)の境界をはっきりさせ、ゲノム分析作業を40分の1に減らすことを目的にした国際的な取り組み」である(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』101−3頁)。
2003年以降の「もう一つの変化」は、「コンピュータ・チップ技術とDNA化学を合体し、100万ものSNPを評価できる郵便切手サイズの『DNAチップ』が開発され」、「ラボ作業のコスト」が急落したことである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』103−4頁)。
そして、2007年が、「『よくある病気』の遺伝リスク因子解明の転機となり、「糖尿病や心臓病、癌、えんそく、脳卒中、肥満、高血圧、そして心房細動や胆石まで、関連する遺伝リスト因子が目もくらむような勢いで見つかってき」たのである。さらに、「病気のリスクに関係する遺伝子のバリアントのほとんどにとって、問題は、その欠陥が蛋白質をゆがめるということではなく、その遺伝子が正しいタイミングで正しい量だけ『オン』になるか『オフ』になるかだということがわかった」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』106−7頁)のである。
現在は「『よくある病気』の遺伝リスクが過去数年に次々と発見され」るという革命初期だが、黄班変性を除いて「遺伝子解析からは、まだ遺伝的要素の10%未満しか見つけられていない」。世界中の遺伝学者は「遺伝因子の残りはどこに隠れているのか」と思案し、「宇宙論学者に観察できる部分は宇宙全体の質量のうちごく一部でしかない」のと同様に、ゲノム研究は「一般的な病気のリスクを左右するDNAバリエーション全体のごく一部しか見えていない」という意味で、「ゲノムの暗黒物質(dark
matter)」といわれる(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』120頁)。
しかし、「今後数年で遺伝リスク因子の予測の精度が上がれば、健康な個人が予防のためにこうした情報を得ようとする傾向はますます強くなるだろう」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』123頁)と言われている。
癌の遺伝子的分析 1980年代、「癌の起源」については「分子遺伝学が真の答えを出しはじめ」たり、「癌を誘発するレトロウィルスの遺伝子」が「正常な動物のゲノムに存在する同種の遺伝子の『活性化バージョン』」ということが注目された。後者を敷衍すると、マイケル・ビショップとハロルド・ヴァ―マスは、「生物のゲノムには、細胞増殖に重要な役割を果たす特別な遺伝子がある」が、「その遺伝子が変異すると、お行儀のいい子から手のつけられない子に変わるように細胞増殖が暴走し、癌になる」という事を解明したのである。そして、「癌は身体のあらゆる組織を襲」い、「襲う組織によってそれぞれ大きく異なる症状や経過を示すものの、基本的なメカニズムはDNA配列の乱れ」であり、「それにより、細胞増殖が野放しにな」り、「変異した細胞はどんどん増殖し、周囲の組織を傷つけ」、さらに「循環器系やリンパ系に入り込むと、全身をまわって別の部位にも癌を発生させる」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』146−7頁)ということが明らかにされた。
1986年には、レナート・ダルベッコは、「癌を理解し予防法と治療法を開発しようとするのなら、正常な細胞と癌細胞の両方における全指示書にアクセスできるにならなければならない」と主張して、「ヒトゲノム・プロジェクトの立ち上げを公けに呼びかけた」のである。現在、「戦略や戦術が続々と、ゲノム学によって明らかになった新しい知見から生み出され」、「癌との戦争は新時代に入っ」ている。癌に関連する遺伝子は、@「オンコジーンとも言われる『癌遺伝子』」(通常は厳しく統制されているので、「増殖信号はそれが必要な時にしか発せられない」が、「癌遺伝子に変異が起こると増殖信号を抑制しなくな」り、「ヒトゲノムではじめて発見された癌遺伝子RASは、たった一文字が入れ替わっただけでアクセルをオンにする蛋白質がつくられてしまう」)、A癌抑制遺伝子(最も有名なものはp53であり、「DNAに損傷があったときに作動して、その損傷が修復されるまで「細胞の増殖を止める」)、B「DNAミスマッチ修復遺伝子(MLHI、MSH2、MLH3などがあり、これに支障が出ると、「さまざまなエラーがゲノムに紛れ込む」)の三つある(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』147−150頁)。
癌遺伝子とがん抑制遺伝子の相関について、1997年頃、トム・ストラッチャンらは、「がん遺伝子は正常には細胞の分裂を促進しているが、その活性は複雑な制御ネットワークによって制限され」、「がん細胞ではがん遺伝子の1コピーが、点変異、コピー数増幅、染色体転座などによって異常に活性化されており、正常な制御から逸脱している」とする。そして、彼らは、@「がん抑制遺伝子の正常の役割」は、この癌遺伝子の細胞分裂に「制約を加えることである」が、「腫瘍細胞では、がん抑制遺伝子の二つのコピーがともに欠損、点変異またはプロモーターのメチル化で不活性化されていることが多」く、A家族性がん症候群では、「各個人はがん抑制遺伝子のアレル(対立遺伝子)の一つが不活性であるような変異を遺伝的に受け継いでい」て、「ゲノム不安定性はがん細胞に共通した特性であ」り、B「この不安定性のために、がんは非常に多彩な変異をもつ細胞の大集団をかかえており、これらに対し自然選択がはたらいてい」て、「起動変異はがんの発生と正の選択にあずかっている」のに対し、「偶発変異はほとんどのがん細胞のゲノム不安定性の偶然の副産物」(トム・ストラッチャン、アンドリュー・リード著『ヒトの分子遺伝学』619頁)であるとする。
この点に関して、コリンズは、@「『癌遺伝子』や『癌抑制遺伝子』『DNAミスマッチ修復遺伝子』に細胞増殖に影響する連続的な変異が生じると、その細胞は周囲の細胞より少し速く増殖」し、「少し増殖速度が上がった細胞は周囲の細胞との競争に有利にな」り、「初期の癌細胞のほとんどは身体の免疫系その他の防御機構により見つけ出されて殺され」、「その監視をすり抜けた癌細胞だけが私達の命を脅か」し、Aこうした細胞変異は、ヒトが「DNAを複製する過程で無作為にミスを発生させている」事に起因するが、「全ての変異」はこうした「不運」のみならず、「やはり環境(肺癌の87%に起因する喫煙、太陽光、宇宙線、「産業用の化学薬品」、生物のつくりだす発癌性物質)の影響も受ける」のであるとする(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』165−9頁)。
そして、「現在、ヒトゲノム・プロジェクトを成功に導いたのと同じ手法が、多くの癌細胞の全DNA配列決定(シークエンシング)に応用され」、「癌がゲノムの病気なら、その謎を解くのに役立つのは、高い精度と性能をもち、安いコストで配列決定が可能なDNAシークエンサー」であるとされている。「ゲノム内にあるすべての遺伝子のうち、ごくわずかな部分を調べて」「何種類かの癌で重要な変異を起こしている遺伝子およそ300個については特定されていた」が、新たに、アメリカの国立癌研究所と国立ヒトゲノム研究所が組んで「ゲノム全体を調べ」る「癌ゲノムアトラス」プロジェクトで「ゲノム学という強力なアプローチで数百種存在する癌のすべての変異を一覧表」にしようとするのである。「癌ゲノムアトラスによる詳細なアプローチは、正常な細胞が悪性化するまでの変容段階が変異の累積であるという概念を、一段階ずつの絵にして示してくれた」し、「顕微鏡で見ただけでは同じに見えた別々の患者からの癌細胞が、DNAレベルでは大きく異なる事も示してくれた」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』170ー1頁)のである。
こうして、「最初の癌遺伝子が発見されるとともに、癌はDNAの病気である事が明らかにな」り、「癌に対する基本知識は過去25年で大きく前進し」、患者・製薬会社・研究者は「効果が高く副作用がなく、特定の敵だけを攻撃できる治療法」が開発されると期待し、「癌の治療はこれまでとは違う新たな世代に突入しようとしている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』171頁)のである。つまり、現在、「どの遺伝子の変異がどんなタイプの腫瘍を起すかのリストアップが急ピッチに進」み、「癌を分子特性別に再分類する作業も既にはじまっている」のである。近い将来「すべての癌は分子レベルで詳細に特性の分類をされ、全DNA配列の解析がされ」、「変異の一覧表もできるだろう」とされている。また、「癌というのはたいてい異常な経路が複数重なって生じる」から、「将来的には、複数の標的治療薬を組み合わせた治療法もでき」、「パーソナル対応の癌治療の時代は既にきている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』178−9頁)のである。そして、癌治療のための放射線治療・化学療法には「強い副作用という大きな代償をともな」い、「どちらも癌細胞を殺すと同時に正常な細胞まで殺してしまう」のであるが、DNAで書かれている「ゲノムスキャンで遺伝的な変異と後天的な変異を探せるようになったおかげで」、「癌という無法者」に立ち向えるようになってきているのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』183−4頁)。
乳癌治療 こうした癌のうち、さらに乳癌について見ておこう。
1990年米国人類遺伝学会の年次総会の深夜講演で、メアリ=クレア・キングが、「単一の遺伝子のせい」で「遺伝子が特別に高い乳癌があること」を初めて指摘した。多くの聴講者は懐疑的だったが、既に「同じ17番染色体の同じ領域に神経線維腫症の遺伝子を特定」していたから、コリンズはこの指摘に「強く関心をも」ち、メアリ―に共同研究を持ちかけ、同意を得た。彼らは、「互いのラボで、その乳癌関与遺伝子の正確な場所を突き止めるという作業に全力で取り組んだ」。「無数にあるDNA塩基対の海から遺伝子の正確な場所を特定する作業」は相当の時間・労力が必要なので、「若年発症型の乳癌を多く出してい」て「卵巣癌の発生している」家族に絞り込んで調査した。ミシガン州で該当する家族(ファミリー#15)を発掘して、乳癌(BRCA遺伝子)になった姉妹の娘4人もまた30代で乳癌になっていた事が分かった。未発症の娘の中には「予防的乳房切除を受け」ようとしたものいた。1992年8月末、コリンズの共同研究に関わっていた担当医は、該当女性には「母や姉妹をを襲ったBRCAIが引き継がれていない」事を確認して、予防手術は不要であるとした(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』138−142頁)。
1992年10月30日、共同研究チームは、「ミスのないことを確認」するため、ファミリー#15の家族男女25人を一度に見ることになった。男性がBRCA1変異遺伝子を持っていても、「本人は前立腺癌や膵臓癌、男性乳癌のリスクがほんの少し上がるだけだ」が、女性がそれを引き継ぐと、「乳癌になる可能性80%」、「卵巣癌になる可能性50%」となる。男性三人にがBRCA1変異遺伝子みつかり、彼らの娘(18歳以上)の数人にBRCA1変異遺伝子が確認された。17年後の2009年、コリンズは患者ジャネットからこの家族についての「多くの悲しい話」を聞いた。しかし、彼女自身は、「遺伝子変異を保有していると知る事はショックだけど、それによって選択肢を考えることができた」ので、「DNA検査で癌のリスクを知る事が出来てよかった」と言った(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』143−6頁)。
コリンズとメアリらは、「17番染色体にある乳癌遺伝子の特定に全力を注いだ」が、1993年に、マーク・スコルニック(私企業ミリアド・ジェネティクス勤務)が「先に乳癌遺伝子BRCA1の正確な位置を特定した」のである。次いで、コリンズらは、「ファミリー#15の家系に伝わるBRCA1の変異」を突き止め、30億塩基対のヒトゲノムの中で「コード領域からたった4文字が欠けている」だけで人生を大きく変える事がわかったのである(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』152頁)。
大腸癌治療 最近では、癌の遺伝子治療と並行して、癌の「幹細胞を標的とする新薬の開発が進」み、細胞・遺伝子と「既存の治療薬と組み合わせ」が試みられている。
例えば、2017年4月、慶応大医学部の研究者佐藤俊朗氏らがここに着目して、「大腸がんで転移や再発の原因となる幹細胞だけを死滅させても、幹細胞が生み出した寿命の短い細胞が先祖返りして復活する」と発表した。
つまり、大腸には正常な状態では、「幹細胞と寿命の短い細胞があ」り、「2種類の細胞ではそれぞれ特有の遺伝子が働いてい」て、「幹細胞は自らも増殖を続けながら短寿命の細胞を生み出すが、短寿命の細胞は増殖できない」のである。佐藤氏らは、「患者から採取した大腸がん細胞を立体的に培養し、幹細胞に特有の『LGR5』遺伝子が働くと緑色の蛍光で識別できるようにした上で、マウスに移植した」のである。そして、「特殊な薬剤で幹細胞だけを死滅させると、がん組織の増大が止まった」のである。だが、その薬剤投与をやめると、「幹細胞が生み出した短寿命の細胞が先祖返りし、幹細胞に戻ったこと」から、「幹細胞が再び出現し、増大し始め」たのである(「細胞死滅でも復活=大腸がんで発見―慶大」[2017年4月8日時事通信])。幹細胞を標的とする新薬の投与と停止を操作して、癌幹細胞の死滅と幹細胞の復活をはかったのである。
糖尿病治療 「2型糖尿病の患者は現在、アメリカに1600万人、世界でおよそ1億5000万人」いて、多くの人は発症に数年間気付かず、「何も治療せずにいると、心臓病や脳卒中、失明、腎不全、脚の切断が必要になる抹消動脈障害など、深刻な合併症を引き起こすことがある」のである。2型「糖尿病には膵臓の膵島細胞(インスリン産生)、肝臓、筋肉、脳、脂肪など重要な器官がかかわ」り、「インスリン濃度とブドウ糖濃度はこれらの器官が総合的にコントロールしている」が、「ブドウ糖の量に比べて産生されるインスリン量が少ないなど、濃度バランスが崩れたときに糖尿病は起こる」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』108頁)のである。
それに対して、1型糖尿病は、これとは「まったく別の病気」であり、「インスリンを分泌する膵臓のβ細胞を自身の免疫系が攻撃し、破壊」するので、「患者の体内で分泌されないインスリンを注射で補う」治療を行なう。2型糖尿病では、主因は肥満ではなく、「免疫系のβ細胞への攻撃はな」く、「大量のインスリンを産生し続けた膵臓のβ細胞は消耗し、しだいに産生量を落とすようにな」り、「血中のブドウ糖が上が」り、「β細胞はますます消耗するという悪循環」に陥り、糖尿病になるのである。そこで、「まだ機能しているβ細胞からインスリンの分泌を促す薬を経口服用する方法」で治療するが、β細胞機能が停止してゆくと、「1型糖尿病と同じくインスリン注射が必要となる」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』109頁)のである。
「全ゲノムスキャンが可能になってから」、@1型糖尿病では、その「遺伝子リスク因子は十数個、特定され」、「そのいくつかは予想どおり免疫反応に関係」するが、「他の遺伝子も拘わっている」が、A2型糖尿病では、「関与している遺伝子がすでに20以上も特定されていて、その数は週単位で増え」、「半分の遺伝子についてはそのほとんどが、β細胞の働きに関するものである事がわかっている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』109頁)。
「糖尿病の新治療法が開発されるのはいいこと」で、パーソナルゲノム医療で将来の「リスクを知ることで命が救われる事はたしかである」が、「知らないままでいたほうがいい場合もあるのではないか」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』110頁)ということもある。
アルツハイマー病 アルツハイマー病は、認知症の中で高い割合をしめる病気であり、一般に「60歳を超えてから発症」し、「老人班(おもにアミロイドβというペプチドでできている」)という異常な物質の沈着と、神経原線維の変形が観察」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』273頁)される。まだ、根本的治療法はない。
早発型アルツハイマー病は「家族歴が強く関与」し、「早発型アルツハーマー病が多く発生している家族には、アミロイド遺伝子に変異があるか、老人班の沈着を促進させる酵素をつくる遺伝子に変異がある」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』273頁)。
一方、遅発型アルツハイマー病(65歳以降発症)では、70%が遺伝性で、その多くが「APOEという遺伝子にあるバリエーションが原因となっている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』273頁)事が分かっている。
血友病 血友病は、「血液の中の凝固因子というものが足りないために血が止まらない病気」で、「遺伝病の中では比較的数も多い病気」であり、「安全性の高い血液凝固因子製剤」の投与が標準的な治療になっていた(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
しかし、血友病が「X染色体上の血液凝固第[因子(血友病A)もしくは凝固第\因子(血友病B)の異常によって、正常な機能を有する凝固因子タンパクの発現の欠如をみる伴性劣性遺伝性の出血性疾患」であるため、「血友病も遺伝子治療研究の対象疾患の一つとされ、様々な手法で正常な血友病因子遺伝子を細胞もしくは染色体に導入することで、生体内での血友病因子産生を可能にする試みがなされてい」る。血友病の本格的な遺伝子治療研究は、「海外では1991年頃から、我が国では2000年頃から開始され」、血友病の遺伝子治療方法としては、@異常を持つ遺伝子を修復し、正常化する方法、A異常な遺伝子はそのままにしておいて、正常遺伝子を直接染色体に導入する方法、B産生システムを持った正常遺伝子を細胞内に導入する方法の3つがある(坂田洋一「血友病遺伝子治療の最新情報と展望」『Hemmophilia
Topics』13、バイエル薬品株式会社、2007年9月発行)。
この血友病遺伝子治療の利点として、@「他の対象疾患では治療遺伝子タンパクが数十%以上発現しなければ臨床効果が期待できないのに対し、血友病ではわずか数%の発現で明らかな臨床効果が得られること」、A「血友病因子のみを発現させればよく、他の様々な生体内の生理的反応を制御する必要がないこと」がある。この結果、「治癒が期待できるといったことから急速に進展していき」、「近い将来、この遺伝子治療が確立すれば、血液凝固因子製剤の輸注回数が減り、製剤に混入する可能性のある未知の病原体からの回避や、患者さんの経済的・心理的負担の軽減、さらには医療費削減などの恩恵がもたらされるものと期待されてい」(坂田洋一「血友病遺伝子治療の最新情報と展望」)る。
ここに、Baxter(大手の製薬会社)がこの権利を取得したことから、「こういう大手の製薬会社が入ってきてくれたことで恐らくこの遺伝子治療はもっと先に進むし、実用化が早まるだろうという期待」が生まれた。しかし、「このBaxterという会社自身はこれまで凝固因子の販売でものすごい利益を得ていた会社なので、逆にこういった大手が権利を取得することで遺伝子治療の進歩が抑制されてしまうのではないかという、そういう見方もある」(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])のである。
(ニ) 遺伝子と環境・薬品との協同治療
フェニルケトン尿症の治療 「多くの病気の正確なメカニズムが知られるようになった現在、場合によっては食生活を変えるだけで病気の影響を防ぐことも可能」である(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』70頁)。例えば、「フェニルケトン尿症は、100%遺伝子による病気だが環境操作(「蛋白質摂取を極限まで制限し、成長に必要な他のアミノ酸すべてを大量に補充する薬を飲」む)で100%予防可能な病気の代表作」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』72頁)である。
マルファン症候群の治療 マルファン症候群(「大動脈が急速に拡張する」)も、「近年、遺伝疾患を薬でコントロールすることに劇的な進歩を見せた」ものである。ハル・ディーツ(ジョンズ・ホプキンス大学)は、「長年にわたる培養細胞実験と、それに続くマルファン症候群モデルマウスでの実験を経て、大動脈の損傷を遅らせる、又は止めるという薬物(ロサルタン)治療をついに見つけた」のである。20年前に「マルファン症候群は、大動脈や脊髄、目の水晶体を支える線維などの結合組織に欠かせない蛋白質フィブリリンをコードする遺伝子の差異により引き起こされる」事が発見されると、「大半の研究者は薬による治療は困難を極めるだろうと考えた」が、ディーツは、蛋白質「フィブリリンには(「TGF−βという別の蛋白質に結合する」という)別の機能がある事を突き止めた」のである。そして、「マルファン症候群のようにフィブリリンに欠陥があると、TGF−βが異常なほど大量に循環」し、この「大量にあるTGF−βが大動脈を拡張させているのではないか」という仮説をたて、TGF−βの作用を抑える「高血圧治療薬のロサルタン」を投与すると、「目を見張る」効果があり、現在ロサルタンが成人に効くかどうか調べる大規模臨床試験が進行中である(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』72−4頁)。
(ホ) その他の遺伝子治療
エイズ遺伝子治療 医師ゲイロ・フッターは、エイズ、急性白血病(エイズウィルスに似たHTLVウィルスの感染が原因)を併発してもはや化学療法が効かない場合、「大きな賭け」だが、「二つの病気を一気に解決するかもしれない方法」は「造血幹細胞の移植」であるとし、患者に幹細胞を移植すると、2年後に「体内からHIVの形跡が消え」たとした(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』212頁)。
HIVでは、「遺伝子情報はDNAではなくRNAに書かれ」、「ウィルスは細胞に侵入すると、一緒に運んできた酵素を使ってRNAをDNAに変え」、次に「ウィルス由来のDNAは宿主細胞のゲノムに入り込み、そこで自身の複製を始め」、このウィルスは「免疫系の主役級」のT細胞に取りついて免疫系を「徐々に破壊」する。「広範な疫学研究の末、エイズウィルスの祖先は長年チンパンジーの中で生きていたことがわか」り、「それが人類に感染したのはおそらく1884年から1924年のアフリカで、食料としてチンパンジーの肉をさばいていた」時と推定されている(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』215−6頁)。
HIV感染者の血液製剤を注入しても、感染しない血友病患者がいて、彼を通して「原因探し」が始まり、「エイズにならない血友病患者たちのCCR5(免疫細胞の表面にある蛋白質)遺伝子を調べ」ると、ほとんどの蛋白質遺伝子の塩基対が「32個も欠ける」という変異があった。蛋白質は「どれもDNAの3個の塩基対でコードされ」たアミノ酸でできているが、3で割り切れない32個欠失は「フレームシフト変異」(「読み込むための枠がずれ」ていること)であり、蛋白質CCR5が「全く作れない」のである。これがHIVウィルスの感染を防ぐのであり、「ヨーロッパ人のおよそ12%から16%はこの変異遺伝子と正常遺伝子を1コピーずつもっていて、それがいくらかは効力を発揮し、HIV感染から本格的にエイズを発症するまでの時期を数年遅らせている」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』217−9頁)のである。
これを知った医者ユーリ・デーヴィスは、「この変異を二つ持つ幹細胞ドナー」を探し出し、患者に「この幹細胞がうまく生着すれば、ドナーの細胞がHIVの増殖を防ぐ」と見て、移植した所、これが成功したのである。従って、彼は、「HIVに感染している人でもCCR5をブロックすれば、ウィルスを消滅させられる」とみたのである。デヴィッド・ボルティモアは、「これを遺伝子治療の『原理の証明』であると宣言し」、@「感染者から幹細胞または骨髄(造血幹細胞が含まれる)を取り出し、生体外遺伝子治療でCCR5遺伝子に修正処理」し、Aそれを患者に戻すと、「これらの細胞は未処理の細胞よりも患者の体内で増殖しやすく、やがては定着する」という治療アイデアを提唱した(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』220頁)。このように、「HIVの話は病原体と宿主の相互作用のさまざまな面を明らかにし、遺伝子がどのような役割を果たしているかを教えてくれる」(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』221頁)のである。
結核の遺伝子治療 コリンズは、「結核も、免疫反応が充分に機能しない宿主を好」み、「エイズ患者が増えるにつれ、結核は恐ろしい勢いで戻って来」て、「何よりも心配なのは、あらゆる既存の抗結核薬が効かない結核菌が出現していることだ」とする。「宿主の感染しやすさに関与する遺伝子探しも進み」、最近、「SLC11A1(solute carrier family 11 member 1)という遺伝子に、感染しやすさに関与する『よくあるバリアント』があることがわか」り、「予防と治療の新たな戦略を開発」する大きな手掛かりとなった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』224頁)。
(ヘ) 小括
コリンズも的確に指摘するように、2000年を挟んだ前後20年間、遺伝子治療は「ローラーコースター状態で、何度も失意のどん底におち」ていて、「免疫欠損症やLCAの治療で成功しているのは、むしろ例外」であった(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』318頁)。
しかし、2009年頃以降から最近になって、遺伝子治療の流れが「大きく変わってき」て、「遺伝子治療で・・いろいろな基礎的な研究が行われて・・、その成果として、様々な疾患での治療効果が出てき」(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])たのである。
この結果、2012年に、アメリカの遺伝子治療学会(ASGCT、The American Society of Gene & Cell Therapy)は国やNIHに、遺伝子治療のTarget10を提案し、「10個の疾患(ADA欠損症、血友病、X連鎖免疫不全症、パーキンソン病、加齢黄斑変性症、副腎白質ジストロフィー、サラセミア貧血、レーバー黒内障、EBVリンパ腫、悪性黒色腫)」の遺伝子治療は「数年以内に実用化される」ので、「こういった遺伝子治療研究に研究費をきちんと出してくれ」と要望した。さらに、アメリカの遺伝子治療学会は、「ここまで遺伝子治療が実用化されたのだから国の審査は必要ない」から、「RACと呼ばれている国の審査機関」の廃止を提案した。たが、アメリカ政府はRAC廃止には同意せず、「国の審査は今現在行われてい」(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])るのである。
また「1つの大きな流れとして、大手の製薬会社がこの遺伝子治療に参入し」、「BaxterのほかにもGSKというヨーロッパの大きな製薬会社・・が中心になってこういった免疫不全症の遺伝子治療を経済的にバックアップするというようなことが行われ」、2011年に「ウイルスベクターが欧米で最初に遺伝子治療薬として承認された」のである(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
A 日本における遺伝子治療
日本では、文化的制約などもあって、遺伝子治療は遅々たる動きを示した。つまり、「日本では、人類遺伝学の教育をきちんとしている大学あるいは学部が少ない」ので、「遺伝子工学というテクノロジーの分野はずっと進」んでも「本当の人類遺伝学的な立場からの研究」は「やはり少し遅れている」ことになる(1986年1月座談会での笹月健彦発言[T.フリードマン『遺伝子治療』154頁])。
そして、人体実験は、米国では、「ある医療技術が臨床の水準にいくまでの必然的なステップであるという了解のもとに、非常に積極的な意味で使」うが、日本では「ひどく暗い感じ」がする。また、「DNAを修繕する」事は、「肉体機械論的な考え方」の欧米には受け入れやすいが、日本人は「何か人間の根源的なものをいじる」とみて「なじみにくい」のである(1986年1月座談会での米本昌平談[T.フリードマン『遺伝子治療』154−6頁])。さらに、「プライバシーの問題」もあり、日本では、「遺伝病について調べにくい」(1986年1月座談会での高久史麿発言[T.フリードマン『遺伝子治療』154頁])のである。
しかし、確かに日本では遺伝子は「社会的には印象が悪い」が、遺伝病でも「治療の前に診断がなければ治療は成り立たない」から、「遺伝病であっても、その治療自身については違った見方ができる」可能性がある。「生殖細胞を扱わない限り、遺伝子治療という事に関しては、倫理的な問題というのはむしろ随分少ないような気」がし、「社会的に受け入れられる可能性は高い」ともいえるのである(1986年1月座談会での榊佳之談[T.フリードマン『遺伝子治療』155−6頁])。
その際、成功実例と患者側動向が重要となろう。これに関して、笹月健彦氏は、「遺伝病は、治療しなきゃいけない」、「治療すればかくかくしかじかよくなる」という共通認識がなければ、その規制も緩和されないとする。高久史麿氏は、「米国で成功例がどんどん出」れば、「遺伝病の家族とか本人が、遺伝子治療で治してくれ」という事になろうとする。遺伝子治療ならば、「他人の臓器を買うわけではない」から、「おそらく家族とか本人からぜひ治してもらいたいという声が出て」くるとする。このように遺伝子治療普及には患者からの遺伝子治療の要望が必要であり、米国の場合にも「遺伝病の子供を持った母親から、もうぜひ遺伝子治療をしてくれという要望がかなりあった」とするのである(1986年1月座談会での発言[T.フリードマン『遺伝子治療』161−2頁])。
a 遺伝子治療
遺伝子治療のガイドライン 1994年2月に、厚生省は「遺伝子治療臨床研究に関する指針」を告示し」たが、この「作成には高久史麿氏(日本医学会の会長)が中心に島田隆氏(日本医大)、小澤敬也氏(自治医大)が関与した(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
」
1994年6月には、文部省は「大学等における遺伝子治療臨床研究に関するガイドライン」を告示した(加藤一郎・高久史麿編『遺伝子をめぐる諸問題――倫理的・法的・社会的側面から』日本評論社、1996年、277−295頁)。
遺伝子治療の展開 1995年に、北海道大学医学部付属病院でアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症の患者に日本初の遺伝子治療が実施された。
1997年4月、厚生省科学審議会が設置され、その先端医療技術評価部会が「旧遺伝子治療中央評価会議の仕事を引き継いで、遺伝子治療臨床研究プロトコール(実施計画)の審査」をする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』78頁)。
1997年5月、熊本大学の遺伝子治療臨床研究実施計画が先端医療技術評価部会の承認を受けた。これは、「エイズの免疫療法で、免疫を強化してエイズウィルスを殺す力をつけ、未発症感染者の発症を抑えようというもの」で、「遺伝子治療用ベクター(遺伝子を細胞に運びこむための担体)を医薬品として商品化するために、製薬企業(ミドリ十字)が医療機関に依頼して行なう、本邦発の遺伝子治療用医薬品臨床試験になるはずのもの」であった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』78−9頁)。
これは、ミドリ十字(1998年に吉富製薬に吸収合併)が、「アメリカのヴァイアジーン社(ウィルスベクター供給してきた遺伝子治療ベンチャー企業)と共同開発したエイズ治療用のレトロウィルス・ベクターの商品化」をめざしたものである。ミドリ十字は「薬害エイズの元凶」であり、実施医療機関は熊本県内だけであり、被験者も僅か4人に過ぎなかった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』79−80頁)。
1998年1月29日、厚生省で厚生科学審議会の第五回先端医療技術評価部会が開催され、「生殖医療についての公開審議」が終ると、熊本大学が「ミドリ十字から臨床を取り下げたいとの申し入れ」(アメリカで行なわれてきた臨床試験で、治療の有効性が証明されなかったので)があったので、遺伝子治療を断念したと報告した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』78頁)。
こうして、2000年頃、日本でも遺伝子治療は氷河期にあったのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』82頁)。
b 体細胞遺伝子治療
便法としての体細胞遺伝子治療 「『遺伝子治療』は人を宿主にした遺伝子組換えの別名」であり、「遺伝子組換えは、プラスミドやウィルスなどのベクターを使った細胞の核内に外来遺伝子を導入する技術で、75年以後、大腸菌から酵母、昆虫、動植物、哺乳類へと宿主の生物学的階級をあげながら、実用の幅を急速に拡げ」、ついに人間の遺伝子治療に行きついたのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』85頁)。
しかし、「今行なわれている遺伝子治療は、この流れからはずれた、他の生物では行なわれたことのない種類のもの」であり、「75年以来他の生物で行なわれてきたのは、生殖細胞を含む単細胞を標的にしたものだが、人間に行われているのはすべて個体(出生後の人や出生前の胎児」)を宿主とする体細胞遺伝子治療」である。これは、「世間の抵抗をかわして、生殖細胞に手をつけずに遺伝子治療の技術を使っていくために、人間でだけ考え出された便法」である。だから、@「研究の蓄積が全くな」く、「少なくとも人に使えるようなものではとてもな」く、「アメリカで体細胞遺伝子治療の概念が形をなしてくるのは、ようやく80年代半ばになってから」である事、A「医療技術としては、これは非常に複雑で危険性も高い技術である」事が指摘される(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』86頁)。
体細胞遺伝子治療の難解さ 「人の体は多種多様に分化した体細胞が入りまじって働きあう、高度で巨大な有機体」であり、「そこから一種類だけ選んだ特定の体細胞をねらって、遺伝子を送り込み、その有機体の生理をコントロールしよう」という事であり、これは「生殖臓器で隔離されたたった一個の生殖細胞を標的にするのと比べて、・・途方もなく難しい事」は誰にでも分かることだとする。しかも、「ベクターは、基本は病原ウィルスの感染メカニズムを利用して遺伝子を送り込むというもので、ウィルスの病原性を完全に殺しながら感染性を残すという細工が必要」であり、「こうして作った人工ウィルスに、病気ごとに特定の遺伝子をつないで、これを患者の体に感染させ、体内で遺伝子を発現させるという」体細胞遺伝子治療が「簡単にできるわけもないのである」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』86頁)。
医療産業の体細胞遺伝子治療推進 それにも拘らず、医療産業のゆえに、「体細胞遺伝子治療は棄てられる様子もなく、今も盛んに研究が続けられ臨床実験が行われている」。医療産業は、体細胞遺伝子を成功させるための決め手となるベクターの製造を続けるのである。製薬企業は、研究機関に臨床試験を依頼して有効なベクターを製造させ、そのベクターを「遺伝子治療用医薬品」として医療機関に販売するのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』87頁)。
例えば熊本大学はミドリ十字の依頼でレトロウィルス・ベクターの新薬臨床試験を行ない、東京大学医科学研究所は米・ソマティックス・セラピー社(後に、セル・ジェネシス社に買収)の依頼でレトロウィルス・ベクターの臨床実験を実施し、岡山大学は米・イントロゲン・セラビューテックス社の要請でアデノウィルス・ベクターの臨床実験を行なった。現在、「商品化にこぎつけたものは一つもない」が、「遺伝子治療用ベクターは、80年代半ばから、アメリカのベンチャーを中心に、激しい開発競争が展開され」、「これが90年以後の臨床競争にそのまま持ち込まれた」のである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』87−8頁)。
こうして、体細胞遺伝子治療では、「治療の戦略とそれ用のベクターは、細胞の種類や病気の数だけあり得る」ことになり、生殖細胞遺伝子治療とは異なって、ビジネス領域が広範である(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』88頁)。
1980年代にヴァイアジーンやGTIという遺伝子治療ベンチャーが生まれ、それぞれ大手医薬メーカーカイロン社、スイス・ノバルティス社に吸収されたが、アメリカの臨床試験申請ではこの二社が「スポンサーと思われるものが、数も中身も突出」している。ヴァイアジーンは「94年に世界で初めてエイズで第U相試験にはい」り、GTIは、そのベクターが「世界初の臨床実験になったアメリカでのADA欠損症治療に使われ」、「その後ガンに絞って、96年にはこれも(世界12カ国30施設余という大規模で)世界初の第V相試験にはいった」が、いずれも失敗したり、好結果は出せなかった。こうした事から、「遺伝子治療医薬品はまだ一つも開発でき」ないのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』88−9頁)。
体細胞遺伝子治療と人体実験 「これまでベクターに使われてきたのは、ほとんどがレトロウィルスで、アデノウィルスや、ウィルス以外のものではリボソーム(合成脂膜で作った小胞)などもある」が、研究者や企業は「もっと可能性の高いウィルスを求めて、エイズウィルスやヘルペスウイルス、SV40(サルの癌ウィルス)などに手を出し始めている」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』89−90頁)。
ここ十年間の体細胞遺伝子治療は、「ウィルスという半生物を医薬品にし」た事、「人の遺伝子で稼ぐ道をつけた」事のみならず、「最も大きいものは、人を実験動物にしてしまった」事であり、十年間で「二千人を超える人が効くあてのない治療実験を受けた」事があげられる。その結果、ガンの場合、「最初から死が確実と見られた患者が選ばれて、安全性抜きで治療効果を調べる実験がされ」、「ほとんどの被験者が試験後か試験中に死亡しているという」。また、ADA欠損症など「単一遺伝子病の患者は、がんやエイズなど滞在患者数がケタ違いに多い病気の治療用ベクターを開発するためのモルモット(標識実験)にされた可能性がある」。「初期の頃の、遺伝子治療で遺伝性疾患が治るというキャンペーンにもかかわらず、十人や百人しか患者のいない病気のために企業が多額の開発費をかけてベクターを商品化するわけでもないから、ADA欠損症の遺伝子治療実験は、がん用のベクターを開発するための前実験だったというのは充分にありうることであ」り、これが事実なら、「ADA欠損症の子どもはモルモットにされた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』90−91頁)ことになる。
そして、「体細胞遺伝子治療がいつまでもものにならないということが、ある種の人たちに、生殖細胞遺伝子治療を解禁すべきだと主張する口実を与え始めてい」て、「これもある意味で体細胞遺伝子治療がもたらしたことの一つかもしれな」が、「この二つは全く違うもので、体細胞遺伝子治療が役に立たないことが、生殖細胞解禁を正当化するものではない」事に留意すべきとする(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』91頁)。
c がんの遺伝子治療
「遺伝子治療が行われる各疾患の割合を見ると、一番多いのががんで、だいたい4分の3」だが、「がん治療のファーストチョイスとして遺伝子治療が選ばれる」のではなく、まず「放射線療法や外科治療、化学療法を試し、それでも効かないとなると、患者さんは藁にもすがる思いで、まだ確立されていない遺伝子治療を受けてみようということになる」というものである(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
東大医研 1998年に東京大学医科学研究所付属病院で腎臓がんの遺伝子治療が始まり、1999年3月には次述の様に岡山大学医学部付属病院で肺がんの遺伝子治療が着手され、1998−9年頃が「日本でもいよいよ遺伝子治療が本番に入った」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』92頁)時期のようだ。
東大医科研の遺伝子治療の対象は「腎臓がん以下、すべて・・がん」である。国ガイドラインが遺伝子治療の対象として認めているのは、「従来の治療法では治しようのない致死性の病気か、治療の利益がリスクを上回るものに限られている」が、東大医科研の治療は「C期の腎臓がん(「がんが腎臓周囲の脂肪組織を越えて広が」る、「多くは二年以内に死亡する」もの)に対する免疫療法」である(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』93頁)。
岡山大学 1999年に、岡山大学は肺がんの遺伝子治療に着手し、「『p53』というがん抑制遺伝子を発現するアデノウイルスベクター(Ad)をがん組織に投与」した(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
岡山大学の治療は、「P53を送りこんで、がん細胞の増殖を抑制、または死滅させようというもので、肺がんの7割を占める非小細胞性がんと呼ばれる種類のがんが対象であ」り、「そのなかのP53遺伝子に変異や欠失があり、かつ手術で取りきれないところまで進行した患者が選ばれる」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』94頁)のである。
二方法の比較 遺伝子治療における遺伝子導入には、「ねらいの細胞をいったん患者の体から取り出して、体外でベクターを感染させたうえで患者に戻す方法(体外法)」(東大医科研)と、「ベクターを直接患者に投与する方法(体内法)」(岡山大学)がある。
後者のアデノウイルスの利点は、「遺伝子導入効率が非常に高いこと、分裂細胞、非分裂細胞の両方に遺伝子を入れられること、大きな遺伝子も導入が可能なこと」でるが、その欠点は、「正常細胞の樹状細胞やマクロファージ、がん細胞のグリオーマやメラノーマ、あとT細胞などに対して遺伝子を入れることができないこと、そして血液中に入ったウイルスは99%が速やかに肝臓に行ってしまうこと」、「中和抗体により遺伝子導入効率が低下」すること、「免疫原性が高い」事などであり、さらに「風邪の原因ウイルスなので、多くの人が自然にアデノウイルスに感染して抗体を持ってい」るために、「アデノウイルスベクターを薬として投与しても、持っている抗体によって中和されてしまい遺伝子を入れることができないという問題があ」る(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。欠点が利点より多いのである。ただし、「従来型のアデノウイルスでも、TNFの遺伝子を入れると腫瘍の増殖が抑えられ」、「遺伝子導入効率がいいRGDタイプだと、さらに抑制され」るので、「抗腫瘍効果のある遺伝子をがん細胞に入れれば、腫瘍の増殖は抑えられることが分かっ」ている(中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])。
従って、体外法のほうが、「手間も費用もかかり、専用の細胞大量増養施設が必要で重装備だ」が、「目的外の細胞や臓器にまでベクターが感染してしまう心配が少なく、投与前の安全性検査も二重に行われ」、安全性は「簡単な体内法に比べれば高い」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』94頁、中川晋作「遺伝子治療」[平成25年5月17日講演])のである。
d 実験医療
遺伝子実験医療ガイドライン 遺伝子治療は「先端生物医療の一つ」であるが、「臓器移植や体外受精とはかなり様子が違ってい」て、「安全性も有効性もはっきりしない研究途上の実験的医療」だが、「国がガイドライン(1994年「遺伝子治療臨床研究に関するガイドライン)下で指導監督する実験医療」である(96頁)。「これまで人体実験も実験的医療もたくさん行なわれてきているが、この種の実験を国が公式に認めたのはこれが初めてである」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』96頁)。
ガイドラインによる医療産業育成 これまでは「厚生省も文部省も新しい医療技術の導入については医の自由裁量にまかせて行政は介入しない」と言う姿勢であったが、それを変えたのは、「遺伝子治療という医療ができるかどうか」は医薬品産業が「安全でよく効くベクターが作れるかどうかにかかっている」と考えだしたからである。体細胞遺伝子治療が、「こういう発想を引き出して医薬産業の可能性を開いた」。つまり、「遺伝子治療は生殖細胞を避けて、とりあえずは体細胞だけで行なうというのが世界的な流れだが、(種類が多い)体細胞を標的にすれば遺伝子治療の対象疾患は遺伝性疾患に限らず、(患者数がケタはずれに多い)後天性の病気一般に広が」り、体細胞遺伝子とウィルス等の組合せは「ほとんど無限にあり得る」から「遺伝子導入ベクターは産業として充分成り立つ」というのである。
しかし、「商品にまでできあがったベクターはまだ一つもなくて、今はアメリカを中心に世界中が開発にしのぎを削ってい」て、日本はこの体細胞遺伝子治療が医薬産業として成り立つか否かの状況にあるようだ(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』97頁)。
e 治験
治験による商品化企図 遺伝子治療の臨床研究の6割は、メーカーの「医薬品開発の最終段階」たる治験であり、メーカー依頼の「治験でない、いわゆる(自前の)臨床研究は、東大医科研の腎臓がん、癌研の乳がん、名古屋大の脳腫瘍、岡山大の前立腺がんの四本」であり、「商品化はまだずっと先」だが、研究が煮詰まればメーカーが関与してくる可能性のあるものである。「遺伝子治療は遺伝子導入ベクターが医薬製剤化されて商品として流通するのでなければ、日常診療に使えるものにはならないのである」。「遺伝子治療は、国益や企業利益や現実的な事情や、研究への熱意や野心や、さまざまなものを巻き込みながら、ともかくも産業へと脱皮しかけているようだ」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』98−101頁)。
皆無の治験効果 この十年間(1990年代)に、「世界中でおびただしい数の人体実験が行われてきたにもかかわらず、効いたといえるものはほとんどない」。1995年、米国NIHは、「それまでに連邦資金を受けて行われた106件の臨床実験を調査して、治療効果があったという証拠は全くなかったと発表」した。このように多くの人々が「体細胞遺伝子治療は使えるものにはならない」としつつも、「開発の勢いは衰える気配もな」いのは、動物実験では治っていることから、研究者とメーカーはここに希望をつないで実験を続けているのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』102ー3頁)。
f 以後の遺伝子治療
遅々たる展開 1999年以後、日本では、「国が新たな8施設の臨床計画に承認を与えて、これで臨床実験に手をつけた施設は11になり、2001年12月現在では症例数は32例になった。「対象疾患は・・がんが中心で、被験者はほとんどが進行がんや末期がんなどいわゆる致死性の病気の患者である」が、1999年5月、国(文科省の遺伝子治療臨床研究専門委員会と、厚生労働省の厚生科学審議会科学技術部会との遺伝子治療臨床研究作業委員会)は新たな遺伝子治療に備えて致死性に限定していた遺伝子治療ガイドライン(1994年制定)を修正した。これを受けて。1999年11月に大阪大学医学部は虚血疾患の遺伝子治療臨床計画を国に申請した。2001年5月に「国は初めて非致死性の慢性疾患の遺伝子治療(大阪大学医学部付属病院の虚血性血管疾患[慢性閉塞性動脈硬化症とビュルガー病]の遺伝子治療臨床計画)に承認を与えた」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』147−150頁)。
「日本の遺伝子治療の進み方は意外に鈍い」のである。「申請が相次いで出された98年前後、臨床計画10本は「すべて取り下げまたは中止」され、1999年11月阪大の上記臨床計画受理以降は、「アメリカのアデノウィルス・ショックがさまざまな形で日本にも及んでい」てか、「国への申請は今のところ途絶えている」。「日本の遺伝子治療がほぼ全面的にアメリカに依存してスタートし」、「したがってアメリカの動静に否応なく左右され」ている。1999年以来日本では遺伝子治療申請が途切れているのは、前述のように、「アメリカの産官学が遺伝子治療に対して慎重になり、根本から見直す方向にある」事が影響しているようだ。「日本の遺伝子治療は、基礎的な研究や技術の蓄積がほとんどないところで、国が強引にガイドラインを発表して、国主導でスタート」し、「ベクターやアイディアやプロトコールをかなりのところアメリカに頼ることでそれが可能だった」が、この影響で「そのやり方が続かなくなった」のである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』151−4頁)。
「日本で遺伝子治療を受け」た人31人のうち、「死亡した被験者」は、「東大医科研(内科)の腎臓がんでの臨床研究で一人」、「名古屋大学の脳腫瘍での臨床研究で一人」、「RPRジェンセル社の肺がんでの治験では、岡山大学(外科)で七人、東北大学で一人、千葉大学の食道がんで一人」の11人である。こうした死亡以外の重体などは国に報告義務はないようである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』154−5頁)。
HGFによる下肢血管新生遺伝子治療 下肢血管病は遺伝子病ではないが、ここに遺伝子治療が適用されてゆく。
1999年11月10日、大阪大学は、「下肢血管病の患者(推定10万人で従来の治療法は不充分で「下肢切断に至る人」が年間1500人ぐらいて、5−20%が切断後に死亡)の下肢筋肉にヒトHGF(hepatocyte
growth factor、肝細胞成長因子)遺伝子をつないだプラスミド(環状DNA)を注入して、新しい血管を作らせ、失われた血流を再建させることで患部を治療」するという臨床計画を国に申請し、2001年に承認された。「遺伝子組換え技術でヒト成長因子、特に血管新生作用のある成長因子が量産できるようになって、虚血性疾患の薬物療法に新しい可能性が出てきた」ことから、阪大は「血液が通らなくなって傷んでゆく脚に遺伝子を注射して、新しい血管を生やす」のである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』155−6頁)。
阪大研究チームは、申請書で、「遺伝子治療を選ぶ理由」として、「組換え製剤による薬物治療と比較して」、@「HGFの血中濃度を低くおさえたまま、同所だけ一定期間高い濃度を維持でき」、A「組換え産物のほうが投与時の効果は強いが、それだけに急性の血管拡張反応を起こす可能性があって危険」であるが、「効き方の緩い遺伝子治療ならそれが避けられ」、B遺伝子治療より「組換え産物の投与は高くつき、経済的負担が大きい」事(実際には「遺伝子治療の方が高価になるはず)などの利点があるとする。こうして、「遺伝性疾患の治療法として出てきたはずの遺伝子治療」は「市場原理に乗って遺伝と関係のない一般的な病気へと限りなく拡散していく」。阪大チームは、当時のアメリカの血管新生遺伝子治療の動向にならって、イズナーの方法を採用して、プラスミドのベクターを使い、イズナーとの共同研究として厚生省に申請したが、ベクターはアメリカ(血管新生遺伝子治療に使われているのは、VEGF、FGF、HIF)のではなく、「自前」で作った「「HGF遺伝子(日本で発見されて、日本で遺伝子がクローン化された成長因子」)を組み込んだプラスミド」であった(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』158−161頁)。
HGF遺伝子は、1989年、鹿児島大学・三菱化成、九州大学・東洋紡、雪印乳業の三グループによって、『ほとんど同時にクローン化され、塩基配列と蛋白構造が決定され」、九州大学・東洋紡グループにいた研究者が阪大で着手したのである。「肝細胞成長因子として発見されたHGFは、遺伝子がクローン化されると、肝硬変などの治療薬になり、癌にも使えると期待されて、すぐに量産のための組換え技術開発が始まり、さらに薬効探しが進められて、アメリカの企業も加わった激しい組換え技術開発競争が行なわれるようになる」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』162頁)。この競争には、「組換えHGF製剤開発にかける産学の執念」があった。
1996年、阪大第四内科グループは、「肝細胞成長因子に血管新生作用があること」を発見し、さらに「心筋梗塞モデルラットを使って遺伝子治療実験を試みる」。これは、@「VEGF(血管内皮細胞増殖因子)は特許料が高くてとても手が出せないので、アメリカのお手付きでないフリーの遺伝子」である事、AHGFプラスミドは炎症をおこさないのに、アデノウィルス・ベクターは「投与が必要な慢性疾患の治療には炎症反応(免疫反応)を引きおこす」事からであった。そして、阪大チームは、このHGF遺伝子導入プラスミドを日本で初めて商品化するために、メドジーン・バイオサイエンス社(現アンジェスMG社)を設立した(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』163−4頁)。
「HGFによる血管新生遺伝子治療」は、阪大のほかにベクターをプラスミドとして兵庫医科大学によっても推進され、九州大学医学部第二外科グループはベクターをセンダイウィルス(1953年に「仙台で新生児の肺炎から発見されてHVJ[赤血球凝集性日本ウィルス]と命名され、細胞融合に広く使われてき」て、ディナベック研究所[1995年に医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構と民間との出資で設立]がこのウィルスで初めての『国産』ベクターを開発」した)によって「FGFによる下肢虚血性疾患への臨床研究を準備中」である。「宝酒造が韓国の子会社でVEGF遺伝子導入プラスミド製剤の治験を進め」、「東京慈恵医科大学では米・ゼンザイム社のHIF遺伝子を入れたアデノウィルス・ベクターの治験(心疾患)を準備中」である(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』164−5頁)。
2001年3月29日、文科省科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会の遺伝子治療臨床研究専門委員会で、寺田雅昭委員(国立がんセンター総長)に送られた「米・NCIの研究者から動物実験で高率にがんが発生したという未発表のデータの概要」から「阪大の下肢血管疾患の臨床研究計画」承認が見送られた。つまり、それによると、「生殖細胞にHGF遺伝子を入れて、HGFを過剰に生産するトランスジェニックマウスを作り、これとがん抑制遺伝子p16を働かないようにしたノックアウトマウスをかけあわせたところ、生まれた仔マウスの100%近くに、平均して生後3.3ヵ月で横紋筋腫(「幼少年期にだけ発生する稀な癌」)ができた」のであるが、会議は「未発表のデータ」だとして無視しようとしたが、文科省が「もう少し検討の時間がほしい」としたのである(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』168−170頁)。しかし、同年5月、下部の作業委員会で、「被験者の選定、経過観察を厳格に行なう、という留意事項を追加して通すことが決ま」った。
ベクターという遺伝子治療製剤開発 「虚血性疾患に限らず、白血病その他のがんでも臨床が計画されているものがあり、新しいベクター開発の動きもあ」り、「早晩第二派が国の審査の場にのぼってくることは明らか」であり、「今回の阪大の動きはその前ぶれ」とする。「厚生省が『生活習慣病』と名づけた非致死性の慢性疾患と、その他外傷まで含む広範な疾患」を対象にして、「たぶん日本の遺伝子治療も、『国産』血管新生因子をテコにして、いよいよベクターという名の遺伝子治療製剤開発の段階にはいる」所である。これを見通して、2001年6月、厚生労働省と文科省の合同委員会は「遺伝子治療臨床研究の在り方に関する委員会」を設置して、審査を一本化し、簡略化、迅速化して、且つ「増えてくるベクターの製剤化のための治験に対応できる体制をつく」り、「大幅な規制緩和」をしようとした(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』165−6頁)。
2001年6月20日、「遺伝子治療臨床研究の在り方に関する委員会」の第一回会議で、「遺伝子治療等の新技術」を「実質的に制限している状況を改善するよう検討する」という規制緩和方針が打ち出された。しかし、アデノウィルス問題、成長因子遺伝子(FGF遺伝子、VEGF遺伝子)問題など、「遺伝子治療は安全性も有効性も全く不明」な「特異な実験医療」であるから、これに対して、小沢敬也氏(自治医科大学教授)は、「まだ実験的医療である事をきちんとおさえてお」くべしとした。「細胞増殖作用をもつVEGFやFGFが、正常細胞だけでなく、がん細胞をも増殖させるというのはあり得ることで、早くから予測されていた」のであり、HGFでも「大阪大学の臨床研究計画が国の審査を通るのにやはり発癌性の問題が影響している」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』165−8頁)。
体細胞遺伝子治療による生殖腺汚染問題 「体細胞遺伝子治療による生殖腺汚染(意図しない生殖細胞遺伝子改変)の問題も、まだ何も解決していない」のである。「生命体は遺伝子と環境との相互作用で働く巨大で繊細な有機体だと言われ」、「その全容も、そこに外からベクターに乗せた遺伝子を投げ込むとどうなるかということも、まだなにもわかっていない」のであり、「わかったのはゲノムというのっぺらぼうにした情報の塩基配列が9割ほどと、『使える』わずかの数の遺伝子だけである」が、「アメリカでは『体細胞遺伝子治療は、他の技術よりましな現在の治療法の延長線上のものと見られる』というOTA(連邦議会技術評価局)レポート『遺伝子治療』(1984年)の結論を根拠に臨床実験が開始された」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』171頁)。
研究者は、体細胞遺伝子治療において、「遺伝子治療といってもDNAの小さな断片を入れるだけで、化学合成された薬物の投与と同じだと主張し、『死を約束された』人を被験者にして結果を消し去ることで危険で無謀な人体実験を正当化して」、「確たる成果が出ないまま市場原理にまかせて開発が進められ、『生き続ける』はずの人を対象するようになって、元々の病気が悪化して死んだ」という言い訳はできなくなり、「歴史的な人体実験の正体が露わになってきた」。にも拘わらず、日本政府が危険な遺伝子治療の「規制緩和を図るのは鈍感な時代錯誤」と批判する(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』172頁)。
「臨床試験中の遺伝子病」治療 2002年頃の「臨床試験中の遺伝子病」治療としては、次の三種がある。
第一は、重症複合免疫不全症(SCID)・嚢胞性線維症(CF)の遺伝子治療であり、これらは「対立遺伝子の一方だけに遺伝子が発現に関与するモノジーン(単一遺伝子性)」であり、この治療法は、「正常細胞のDNA遺伝子を、損傷した細胞のDNA遺伝子中へ導入する方法」で、これは「ヒトの医学への分子生物学の適用(応用)として認められた最初の遺伝子治療の一つ」(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』丸善、2002年、64−5頁)である。
第二は、がん・エイズなどポリジーン(多遺伝子性)遺伝子病に対する遺伝子治療であり、これは、「多数のより優れたベクターなどを使用して、多数の遺伝子を感染細胞の中に入れ」たり、「一つの良く吟味調整され、しかも十分に調節された後、確実に目的とした機能性を発現できる遺伝子を作る」事によって治療する方法だが、「大変難しい」ものとされている(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』丸善、2002年、67頁)。
第三は、嚢胞性線維症(CF)・アデノシンデアミナーゼ‐重症複合免疫不全症(ADA‐SCID)や「このほかの単一遺伝子病である十数種類の遺伝子病」など臨床試験中にある遺伝子病治療であり、「これらの各疾病に応答するヒト遺伝子が、単離され、クローンされてい」る(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』丸善、2002年、68頁)。
そして、「それぞれの遺伝子病治療に関して、基礎的研究室から得られた実験結果は、遺伝子置換による遺伝子欠損を修復する目的で、@「まず、試験管内で、ある一つの正常遺伝子を、遺伝子疾患を引き起こした欠損部位を持つ変異遺伝子中に挿入し」、「変異遺伝子は、修復されて、正常遺伝子にな」り、A次に、「このようにして修復した正常遺伝子は、“遺伝子治療”するために、患者の一部の細胞の中へ戻され」る。「この遺伝子治療の手順の正しさの証拠」は、「このような遺伝子導入は、モデル動物、あるいはあるヌードマウスの中へ移植したヒト組織を使って、生体内で、成功する事が確認」できた(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』87−8頁)。
「この新しい治療開発を目的とした遺伝子導入実験は、さらに、ヒトの生体に転移(移植)されなければな」らず、「このボランティアの生体実験は、注意深く調節された状態で行なわれ」た。「最初のボランティアは、一つの新薬の投与による安全性試験、あるいはフェーズT試験の処置として、予定通りに開始」し、「遺伝子導入による薬の安全性試験や人体への影響が、細かく試験され」た(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』90−1頁)。
「実験室で調整された遺伝子についての安全性などを確認した後、いよいよ臨床遺伝子治療試験」が行われ、「この遺伝子が、生体内、あるいは試験管内のヒト細胞の中へ導入され」、「さらに多くの年月をかけて、安全性確認のための予備的な遺伝子治療試験が行われた後、より多くの患者は、」安心して、しかも安全に臨床遺伝子治療を受けられるようになる」のである(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』91−2頁)。
1996年から現在(2002年頃)まで、「遺伝子治療を受けた患者」は大部分「疾病を回復させて、副作用も」なかった。だから、「仮に、十分機能性をもった外来の遺伝子が、完全にヒト細胞内に転移、増殖して、さらにこれら外来遺伝子の発現が、長期間、維持し、保持する事ができるのであれば、“遺伝子治療は、非常に多くの疾病による根本的な欠損を治療できるであろう”と、私達は、信じることができる理由を見つけ出すことができ」ることになる(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』92頁)。
本橋氏は、「遺伝子治療の歴史は、わずかに、約10年」であるから、「この遺伝子治療は、完璧で完成度の高い治療法では」なく、「そこで、遺伝子DNAの遺伝番号(コード)に従って、より詳細な遺伝子情報を理解して、そしてこれらの得られた情報を巧妙に利用することが、遺伝子治療の成功を、私達に約束する」とする(本橋登『ヒトゲノムと遺伝子治療』丸善、2002年、114頁)。
日本の遺伝子治療が遅延する理由 こうした事から、2013年において、「日本でも遺伝子治療が実際1995年以降行われ」、「日本のカウントでいうと34個のプロトコールが既に行われ」、「日本では今のところ重篤な副作用は出てい」ないが、「日本ではなかなか欧米に比べて進まない」という事態は変わらないのである(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。さらに、「日本では治験という形で遺伝子治療が行われた例」は僅か2例にすぎず、他に「承認されたもの」1つは「実際には治験が行われ」ず、「非常に少ない」(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)のである。
米国と比べて、日本の遺伝子治療が遅れている理由として、@「公的な研究費が少ないということ」、A「日本は研究者の数が少なく」、「今現在はiPSをも含めて幹細胞研究にみんな流れていってしまう」事、B「治療をするときにウイルスベクターを使う」が、「ウイルスベクターを作れる組織というのが日本には本当に限られ」ていて(東大の医科研の一部、一部の企業)、「治療をしたいと思っても皆欧米に頼らざるを得ない」事などがあげられる(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
もう1つの問題として、「日本はこの指針とか、審査体制が非常に時代遅れ」で、「欧米では長くても半年以内に審査が終わるようなシステムになっている」が、日本では審査に平均1年以上、「長いものだと3年も掛か」り、さらに、「PMDAという医薬品の審査をする機構」(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)と「臨床研究が全く連携していない」のでl、日本では臨臨床研究で終わっていても「全く医薬品としての開発に結びついていないという問題があ」るのである(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
米国と違い、「日本では臨床研究という概念と、更にそういった医薬品として開発しようという治験」とが「全く別の体系で行われている」のである。日本では「臨床研究の場合にはプロトコールもベクターの安全性も厚生科学審議会で行われてい」るが、「治験、薬として開発しようとするとこれはプロトコールもベクターの安全性もこのPMDAで審査される」のである(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
これに関連して、日本のPMDA、米国のFDAにおける製薬資本との関係の相違もあるようだ。中畑氏は「恐らくアメリカなどだと、臨床研究というよりも治験の色彩が強い形で、多く早い段階から企業が参加する形で進められている」とする。島田氏は、日本では「製薬会社が入ってきて、PMDAで審査」し、「日本はPMDAと臨床研究が別個に行われてしまっていることが、いろいろな意味で弊害になっている」が、「アメリカでのFDAを考えると、FDAはNIH、要するにRAC側と常に協力してやっていくという体制ができてい」(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)て、製薬資本と協業していると指摘する。
ただし、こうした製薬会社と研究者との関係は微妙でもある。谷憲三朗氏(九州大学生体防御医学研究所)は、「製剤化を目指した遺伝子治療の研究戦略が求められる時代になっている」とする。だから、伊藤たてお氏(日本難病・疾病団体協議会代表)が「製薬会社であろうと、研究施設であろうと、大学であろうと、行政であろうと、一緒になって研究を進めることは大いにやってほしいことです。そういう連携をよくすることが大事だ」とする。ただし、製薬企業は目先の利益ではなく、長期的・総体的な利益を考えているようだ。この点に関して、、島田は、Baxter(1931年米国で設立、2014年グループ売上高167億ドル)やGSK(GlaxoSmithKline
K.K、1953年英国で設立、2016年グループ売上げ4兆1555億円)が「こういう遺伝子治療に積極的に参入しているのですが、彼らの話を聞くと、遺伝子治療そのものは会社の利益にはそれほどならないのだけれども、その他の部分、医療全体のことを考えると、大企業としてはそういった医療にも貢献すべきだ」とし、「こういった先端医療で・・企業として収益がものすごくあるということは、余り考えにくい」(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)とする。
また、アメリカでは、「臨床研究も治験もベクターの安全性に関しては・・FDA(アメリカ食品医薬品局、Food and Drug Administration) が一括して審査をし」、プロトコールに関しては国の審査はもう必要なく、RAC(DNA諮問委員会)がやるのである。もともと「アメリカはそもそもカルタヘナ法を批准していないので、こういう審査はない」のである。それに対して、日本は臨床研究でやる場合には、「遺伝子治療臨床研究に関する指針」に基づいて「厚生科学審議会で審査をして大臣の意見を回答する」ことになっている(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
遺伝子治療ガイドラインの見直し 平成22年度(2010年度)の厚生科学の研究事業としてガイドラインの改訂についての調査研究を行った。しかし、なかなか改正されず、依然として「現在の指針自身が非常に分かりにくい形になっているし、科学の研究の進歩に追いついていないというような問題」があった(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。しかし、2013年になって、島田隆ら遺伝子治療学者が改正ガイドラインを作成したのである。
そこで、2013年6月4日、厚生労働省は、遺伝子治療の専門家らを招いて、これを叩き台にして、遂に「遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直し」に着手した。
許斐健二課長補佐(厚生労働省)は、まず、「遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会の設置」は、「科学の進歩、国内における新規申請件数の増加、他の臨床研究指針との整合性、諸外国の動向等の、近年の遺伝子治療臨床研究を巡る状況において変化が見られる中で、指針の見直しは喫緊の課題となっ」たことによると説明した(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)。
資料3「『遺伝子治療臨床研究に関する指針』改正の経緯」では、「主な変更点」は、@対象疾患が致死性のみではなく、重篤な疾患を含めたこと、A「品質、有効性・安全性確保のため、投与されるベクター等については、治験薬GMP(Good
Manufacturing Practice、適正製造基準)の基準を満たした施設において製造されるもの」、B「遺伝子的改変を禁止すべき細胞の規定に受精卵及び胚を明示したこと」、C「被験者に対する同意」は文書化すること、D「治験を適応除外としたこと」などであるする(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)るとする。
資料4「遺伝子治療臨床研究に関する指針の概要及び審査の流れ」では、「生殖細胞等の遺伝子改変の禁止」などが規定された(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)。
資料54の「2ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針との関係」では、「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針はiPS細胞を対象とし」、iPS細胞を用いる臨床研究では、iPS細胞の作製過程において、「遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与する」ので、「その品質・安全性の面について、遺伝子治療の専門家による確認」が必要とされる。そこで、昨年末の科学技術部会で、「iPS細胞を用いる臨床研究への当面の対応」として、「ヒト幹細胞臨床研究に関する審査委員会」に、「遺伝子導入に関する専門家を加えて審議を行うこと」になっている(厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日)。
島田隆氏らは、主な改正点は、@「今の科学技術のレベルに合わせること」、A審査体制をとにかく徹底的に見直して、できるものは簡略化して、できるだけ早く日本で遺伝子治療が進められるようにしようという」事だとする。つまり、「委員会も同じ議論をいろいろな委員会でただ繰り返すのではなくて、きちんと仕分けをしてや」る事、審査手続に日数制限をすることなどであるとするのである(島田隆発言[厚生労働省大臣官房厚生科学課「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会議事録」2013年6月4日])。
現在までの日本における遺伝子治療実施状況 「我が国で実施されている遺伝子治療臨床研究一覧」(厚生労働省「遺伝子治療臨床研究実施計画の申請及び遺伝子治療臨床研究に係る生物多様性影響評価に関する参考資料」)によると、@1994年から2014年まで46件の遺伝子治療臨床研究の申請がなされ、うち1件は申請取下げ、2件は実施見合わせとなり、2014年現在で継続中のものが21件であり、A実施主体は、大学付属病院が40件、国立研究機関が3件と、大学病院が中心であり、B対象疾患は、癌17件(前立腺癌6、肺癌5、食道癌3、腎細胞癌2、乳癌1)、腫瘍・腫症11件、ADA欠損症2件、白血病2件、閉塞性動脈硬化症(バージャー病)2件であり、癌・腫瘍で過半の28件も占め、C導入方法では、アデノウィルスベクター15件、レトロウィルスベクター14件と、この二者が多い事などがわかる。詳細は、ここを参照されたい。
この2014年には、文部科学省・厚生労働省は、「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(平成14年3月27日、16年12月28日全部改正、20年12月・26年11月一部改正)を一部改正した上で、改めて通達し、遺伝子治療方針を堅持している。
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